第三の目。と言えば、
「霊感」「サイキック」を司る場所としてご存知の方も多いと思います。
チャクラで言うとベースの第一チャクラから開いて6番目、
正しく開花させるには、文字通り頭でっかちにならないようその前の5つのチャクラをしっかりと開かなければいけないので、かなりの修練が必要と思われます。
駄菓子菓子。
私が第三の目が開くようになったきっかけは、中二病を拗らせた結果です。
これ、冗談じゃなく9割方本気の話です。
残り1割は才能だと自負しておりますが、
9割は中二病を拗らせた結果です。
15年前の私は中学1年生。
当時『鋼の錬金術師(以下ハガレン)』がブームで、多分に漏れず私も読んでおりました(*´-`)
読んだことのない方にはイメージつきにくいと思うのですが…
禁忌や真理に触れる時、
錬金術を発動する「錬成陣」から扉が現れ
その扉の向こうの何か…実態のないウネウネや目が現れるんですね。
扉の向こうには真理があるんです。
その真理に触れるための「通行料」として、
体の一部を代償として失う…といった内容なのですが。
中学一年生にして中二病真っ盛り。
怖いものなんてございません。
代償なんてなんのその。
「私も扉の向こうに行きたい!」
つよーく思っていました(*´-`)
当時はもう既に古典の魔術や錬金術、
スピリチュアルと呼ばれる部類の過去世やアカシック・レコードの本を読み漁っていたので、
知識ではなく「実際」に「真理」を「体感」したいと思ってたのですね。
霊感や超能力もです。
自分が持っていなかったので、特殊能力が欲しかったんです。
拗らせてますね~₍₍ ◝('ω'◝) ⁾⁾ ₍₍ (◟'ω')◟ ⁾⁾
で、ハガレンの真理の件を「真なり」と思ったんですよ。
初めに戻りますが、第三の目はサイキックだけではなくインスピレーションを司る場所でもあります。
逆説的ですが、「真なり」と思ったインスピレーション…自分があれだけ欲しかった「霊感」は既に持っていたのです。
これが、生まれつき持っていた部分の1割です。
でもやっぱり「視えたり」「聞こえたり」する方が、自分が納得するじゃないですか。
それに、「見栄えが良い」。
私の先生は、
「一般的に視える。というのはエーテル体の、オーラ体の中ではまだ「粗い」領域の可視化で、本当に高いレベルのものは感じることの方が多い」
と言っていました。
「霊感とは本来インスピレーションを表す言葉で、
通常期待したり求めるものは霊感ではなく超能力」
これを自分の言葉で深ーく納得したのはつい最近でした。
【参考になりそうな過去記事】
星座別☆「霊感」ポイント
さて、もう一つ私の拗らせでハガレン以上に大切な漫画があります。
『遊戯王』を抜かして私のスピリチュアルは語れません。
マジで。
今でこそ多くのシリーズが出ていますが、
私が指すのは「遊戯王」と聞いて一番イメージ出来るキャラの世代…デュエルモンスターズ(通称DM)です。
古代エジプトの王の魂が現在に蘇った。という設定なんですよ、実は。
DMはただのカードバトルだけではないんです。
またいずれこの話は詳しく致しますが、
遊戯王を見て、それ以前から古代エジプトに対しては強い執着があったことを思い出した私。
初めはキャラクターから入ったつもりですが…
遊戯王をきっかけに古代エジプトへの執念を自覚し、
その10年後、卒論で古代エジプトについて書いて最高評価を頂いたのは、一生恩師には秘密です。
さて。遊戯王の話に戻すと、主人公以外にも古代エジプトの魂や意思を引き継いだキャラクターが何人かいます。
魂や意思はアイテムに封じられ、現代では「宿主」「主人格」と呼ばれるキャラと共存しています。
キャラにもよるのですが、人格交代する時に額に「目」が浮かび上がるんですね。
もしかしたら作者のインタビューの中にその意味が書かれているかもしれませんが、
私はそれも単純に「真なり」と思ったんです。
「過去世を垣間見るには、第三の目を開くのが手っ取り早い」と。
ハガレンでも「お父様」と呼ばれるホムンクルス(人造人間)が、額から賢者の石を取り出すシーンがあったりするんです。
第三の目は様々な考察が出来るのですが、
私にとっては「真理や過去世を垣間見るアカシック・レコードへのゲート」のようなイメージだったのです。
遊戯王とハガレン。
同時期に2つの重要な漫画を見続ていた私は焦りました。
「自分には霊感がない」
「アカシック・レコードを見ることができない」と。
そこで私は
「霊感がないなら、第三の目を開けばいいじゃない」
という謎の結論を出したのです。
途中の段階は全くなく
「霊感欲しい」→「そうだ。第三の目開けよう!」。
拗らせてますね~~~!
変に偏った知識のあった私は、
「夜寝る直前と朝起きてすぐの変性意識状態下では、アストラル体にアクセスしやすいため『あちら側』に行けるかもしれない」
と考え、朝晩トレーニングをしました。
具体的にどのようなトレーニングだったかというと。
・額から眉間にかけて、パクッっと縦に亀裂が入るイメージ
・薄い亀裂が入ったら、ゆっくり左右に皮膚が開いてくる
・眉間に力を入れて、額から部屋を観察している
・額にエネルギーが集まり、また出ていくイメージ
・額で光を感じる
すべてのイメージは目を閉じて、第3の目で「見る」ことを意識していました。
見えないものを「視る」のではなく、目と全く同じ器官として「見る」ことをしました。
感覚に従ってメニューを変えてみたり、
やったりやらなかったりを繰り返したのですが。
ほんの1週間で、亀裂が入るイメージがするようになったんですね。
1ヵ月後には、さわさわ…と風を感じるようになりました。
そして2ヵ月後のある日。
第三の目が、本当に開きそうになったんです………!
皮膚の下で眼球がゴロって動くような。
それどころか、左右にまつげがあるような!
代償なんて。と思っていたくせに、
いざ「真理の扉」を開きかけた瞬間はそりゃもう怖かったです!
そう。結局はやめたんですね(*´-`)
今までの15年間で、一度もあの時「目」を開いてみればよかった。
と思うことはありません。
それくらい…凄いことなんだと思います(ザックリ)。
ですが開ききっていないにも関わらず、
その後あらゆる物事はほとんど第6チャクラで感じます。
セッションで降りて来る言葉は頭頂の第7チャクラを受信機にしますが、
現実世界の物事を見るときは、自分の感覚や直感を含め第6チャクラで世界を見て感じています。
開ききっていないにも関わらず、我ながらすごいな…と思います(*´-`)
いずれご紹介させて頂きますが、
オーラの状態をスキャンできるボディの調律師さんも
「第6チャクラはそれほど使っていませんね」
と仰っていました。
多分、私の今世のお仕事は
サイキックに世界を見るのではなく、
宇宙のメッセージを降ろす受信媒体なのでしょう。
ある意味において、
インスピレーションは自然とできてしまうことなのです。
遊戯王とハガレンは、私が持つギフトを教えてくれたのですね(*´-`)
………と、綺麗に(?)まとめてみましたが(*´-`)
正直、このワークはあまりオススメできません。
むしろ危険です。
チャクラはやはりベースから順に「ラッパを鳴らすように」開くものなので、
ベースがおざなりだといくらスピリチュアルに目覚めたところで現実に生かせません。
私の例を続けますと、
もともと強かった感受性が更に強くなり、現実と空想の境がつかなくなりました。
乖離性人格障害と言える程の分裂気質が顕著になり、心の部屋を作り上げたり。
自分のパターンに気付くまで10年かかり、
脱却するのに5年かかり。
そして今。ブログを書いて昇華しました。
書き始めは、まさか手放しの内容になるなどと、3文前まで思いもよりませんでした…(*´-`)
15年に及ぶ精神不安。
それこそが私の「直感」に対する「代償」だったのかもしれません。
もう少し、きっと他のやり方はあったのですよ。
錬金術の言葉を借りると「上なるものは下なるものの如し」。
スピリチュアルとして覚醒したいなら、まずベースをしっかりしなさい。
「上なるものは下なるものの如し」
これはすべてに当てはまる「真理」です。
ということは。
「私が存在する」という事実はもう「真理」を既に体現していたんです。
ベースがしっかりしていないのに、覚醒…覚醒…上へ上へと見すぎてしまうと、
風船のように浮いてしまいます。
本当に、浮きます。
そして、足元がおぼつかないのでめっちゃしんどいです。
これ、何度も言葉を書いて言わされています(笑)
それだけ今、現実世界に着地していることがすごく重要なんです。
漫画やゲームの世界に憬れること。
私はサブカルチャーと言われるものから本当に多くのことを学びました。
一番大きなギフトは、「それでも、現実の方がよっぽど面白い」と知れたこと。
2次元になくて3次元にあるもの。
それは、リアリティ。
「感じる」という体験をしたくて地球に来たことをつい忘れてしまいがちですが、
サブカルチャーは「体験すること」を思い出すために「非日常」を演出しているのではないかと思っています。
「想像できることは実現できる」
さて、あなたの体感したいリアルは?(*^^*)
お話会ではテーマを設けているものの、
毎回こういうトンデモ話が飛び出します(*^^*)
次回開催はこちらをご覧ください
11月のカレイドスコープセッションの
スケジュールはこちらから(*^^*)
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