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(前回までのお話)
腸閉塞で救急搬送され、その日のうちに緊急手術、そのまま入院することになったグラさん。
病室で初のお泊り開始!



手術が終わり眠りについたのは深夜1時過ぎだと思うのですが、突然の吐き気で目が覚めました。

起き上がれないので、初のナースコールボタンを押し、たまたま目の前にいた看護師の男性に、
「すいません、気持ちわオエッ



なんということでしょう。
言い終わる前に吐いてた…


風邪でもノロでもないのに突如吐いた自分に呆然としました。

暗闇の中、ベッドも髪の毛もゲロだらけになりましたが、看護師さんは嫌な顔一つせず、慣れた手つきで綺麗に片付けてくれました。

仕事とはいえわたしにはとても出来ない…
もらいゲロしそう…



その後しばらく眠っていましたが、俄かに周りが騒がしくなり部屋が明るくなりました。

朝です。
あとからわかりましたが、この病院は6時起床、21時消灯なのでした。

朝は、検温、採血から始まり、そのあとは朝食なのですが、わたしは
ですので、その間寝ていました。


昨夜はわからなかったけど、救急患者専用の部屋に運ばれたらしく、そこには一人では起き上がれないような重傷者が4人ほど横並びに寝かされていました。

「トイレいかなきゃな」
と思って、ふと下半身に違和感を感じました。

!!!
オムツを穿かされている…?!
しかもなんか、オムツから管が出ている!!?

麻酔されて意識がない間に、尿道にカテーテルをぶっ込まれ、さらにオムツを穿かされるという屈辱的な姿になっていました。

手術だから仕方がないんだろうけれども、なにやら越えてはいけない一線を、気づかぬうちに越えさせられていた自分にすこし落ち込みました。

そして、この尿カテーテルを使って尿を出す、というのが、出来てるのか出来てないのか感覚がつかめず、看護師さんに
「すいません!うまく出せてるでしょうか?」
と尿が入る袋を見てもらわないとわからないという。

これでは看護師さんに毎回尿が出てるか確認しなければならない…
そしてオムツがゴワゴワして不快…

自分でトイレに行けるようにならねばオムツも尿カテーテルも取れないので、立って歩いてトイレ行けます!アピールをし、早々に外していただきました。


その後、体を拭いてもらうために起き上がろうとしたら、
起き上がれない…!!
手術傷は3箇所ですが、一番大きいのはヘソの真下の傷で、腹筋に力を入れると、ここに激痛がはしるのでした。

腹筋がダメなら腕の力で起き上がるしかあるまい。

体を横向きにし、ベッド横の柵を手で掴んで起き上がりました。
それから3日程は、起き上がるのにかなり苦労しました。


その後、術後初めてトイレに行くことに。
ここで、歩くのにも腹筋を使うということを、生まれて初めて知りました。

手術傷が痛いだろうからということで、術前に脊髄麻酔をしていました。
その麻酔、効きすぎて左足の付け根あたりの感覚がなくなるほど強烈だったんですが、それをもってしても補えないほど、一歩進むたびに切ったところが痛い。
麻酔しててこれなら、しないと眠ることさえ出来なかったに違いないです。

そして、洋式トイレの便座に座る時も、腹筋に力を入れられないので、途中からドーンッと落ちるように座ることに。
毎回、便座が割れてしまわないか心配でした。

ただしこれらの痛みは日毎に劇的に良くなって行って、退院する際にはほぼわからないくらいになりました。


さて、わたしの病状だとトイレに行くのにルールがありました。
主治医に1日の尿の量を報告しなければならないらしく、毎回便座にひっかける計量カップみたいなものを看護師さんが準備してから用を足すことになっていました。
つまり、トイレに行く際には看護師さんに必ず声をかけ尿を見てもらわなければならないのでした。
このときはまだよかったのですが、そのうち、いちいち声をかけるのが面倒になり、黙ってトイレに行ったことがあとでバレて、注意されたりしました。(大人なのに)

そして、最後までなんだかわからなかったのですが、トイレに尿を貯めておかれてる人もいました。
45リットルほどの透明な袋に名前が書かれていて、そこにどんどん尿が貯められていく…
正直、人目につかないところに置けば良いのに、と思いましたが、個室前に堂々と設置されていました。しかも2名分。


トイレに行ってから暫くすると、もう一般病棟に移ることになりました。
さすがに歩いて行けないので車椅子で異なるフロアの病室に連れていかれました。

部屋は四人部屋でわたしは入り口側のベッド。
他は皆おばあさんでした。

しかしわたしはその中の誰よりも早く動けずほぼ寝たきりで、一番老人みたいな様子で仲間入りしました。


つづく…
(前回までのお話)
腸閉塞で救急搬送されたグラさん。
高気圧酸素療法を受けるも効果なし。
救急車を呼んでから10時間経過、ついに緊急手術が始まる…



あとから聞いたら、手術は三人の医師が担当する、という形式だったのだそうです。(一人が執刀して残り二人が見ていたらしい)

医師の中で一番若い先生(このあと何度か登場するので、若先生と呼びましょう)が手術室まで同行してくれました。

手術室前では麻酔医が待っていて、わたしが手術を怖がらないようにするためなのか、「今日はお仕事だったんですか?」などと無理やり普通の話を振ってきてくれてましたが、正直、手術は全く怖くなく(どちらかというと注射や投薬は積極的に受けに行くタイプ)、疲れ切ってもいたのでテキトーに相槌を打っていました。


手術室は、真ん中に手術台(高めのベッド)があり、壁のひとつの面にはモニターがあり、手術台の横にわたしを照らす大きな照明があり、あとはなにやら色んな機材がある、という、ドラマなどでよくみるいわゆる”手術室”の光景でした。



手術台に乗り、横向きになるように言われたのでそのようにすると、麻酔医が背中に針を刺しました。
それは手術前に説明された、手術傷の痛みを抑えるための脊髄麻酔というやつでした。

背中に針を刺されながら、
うわぁ、いまのわたし、人間なのにまるで標本の虫みたいにされてるなぁ!
とちょっと感動したのを覚えてます。

ちなみにその後四日間は背中に針を刺しっぱなしで標本継続でした。


そのあとは、酸素マスクみたいのをつけたあたりで、意識が飛びました。

全身麻酔です。





















喉に違和感を覚え、目が醒めました。

コレは、ええと、アレだ。

先程吐きまくって断念した、鼻から胃に入れるカテーテル。
意識ない間に入れやがったな…

なので、覚醒後の第一声は
「あ、コレか!
すいません、コレ、取ってください!!」
でした。


目覚めは最悪だったけど、ものすごくよく眠れたような感覚でした。
あんなに深く眠れたことはあまりなく、爽快感がありました。(睡眠じゃなく麻酔だけどね)




仰向けのままベッドごと手術室から運び出され、途中でベンチに座っていた両親の顔を見たのは覚えてるのですが、そのあと病室に運ばれるまでの移動中は若干記憶が曖昧です。

次の記憶は病室で、母から、
やはり腸が捻れていたこと、
だけど腸は腐ってなかったから、腹の3箇所を5ミリずつ切るコースだったこと
を聞きました。



手術は順調だったのだけど、わたしが麻酔から目覚めるのが遅かったらしく、この時点で深夜1時半。

両親は家に帰って行きました。

わたしも麻酔がまだ効いていたのか、単純に疲れていたのかやたら眠たく、そのまま眠ったのでした。


つづく…