〈解放〉きっとあの人はあの時の私そのものだったのかもしれない。 | “私”と世界に恋して生きる♡ブログ/かまたりほ/在り方・恋愛・美容・生活

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私自身が、自分の葛藤に気づきながらも

「自分を認めたい」
「これはもう自覚をしたい」と
とある一面を持つ自分に対して
そう強く感じてる、私がいる。



それは自分の弱さと相反する

私の強い部分👍


なんだけど、それを認めるには
その相反する「弱さ」に関して

このパターン、この感情、この思考
何度も繰り返してるなってものがあって
まさにそれは、私が自覚して
わかってあげるべき「弱さ」なような
そんな気がしてた。


それを受け入れてこそ、自然と
私のもってる強さも、同時に
輝くし✨自覚して、素直になれる!って
そんな葛藤も、理解してた。





私が受け入れるべき、弱さは
きっと、不完全さ。


と、同時にそれは相手の不完全さを
許して、自分がそれで傷ついていたり
嫌な思いをしたなって、感じてた「それ」を

相手を戦わず、変えようとせず
ただ、じっとわかってあげる作業が、
なんか必要な気がしてた。




私はなぜかわからないけど、
何かものごとが「できない」だったり、
それで、相手に何か注意されたりすると
すぐ、戦う意識を持ち出して

「それは受け入れない!!」なんて、
強がって、拗ねてる自分をずっと感じてた。



でもさ、当たり前だけど

大人だって人間だから、時に失敗したり
ミスすることなんて普通にあるんだよね。

それは人間であるが故、時に間違えたり
失敗してしまうことだってある。



そんな当たり前のことだと、
頭では理解しているのに

じゃあいざ自分がそうなったとき
「相手と戦う」「違うもん!!」って
言いたくなる私がいるのをわかってた。




それがもう何度もあったから
これは私の問題だなって、
自分を見つめて、感じてみたときに

「できないこと」そのものより

そのことで相手が不快になってる
その気持ちを、私のせいにされてる
=私は責められてるんだ💔



って気持ちや前提・思考の癖を持ってて
そんな気持ちから自分を守るために

「私のせいじゃないし」なんて
素直になれない自分がいた。
それが理解できた泣き笑い




それって本当かな?って。
100%、絶対、いつも、完全に本当?って。


答えとしては「私の思い込みかも」って
そういう余白が自分に生まれたんだけど


それと一緒に、猛烈に怒りの気持ちが湧いて、
それはとある人にも、向いているものだった。



それはもう私の中では、去年散々向き合って

苦しくてそれでも、やり切った、と

そう思っていた、想いや気持ちだった


そのはずなのに、まだあった、怒り。

怒りと、なぜか自分に対しても

「ごめんね」って気持ちになった。




こういうとき、例えとんでもない

怒りの気持ちや、罵詈雑言が出ても

やめない、なかったことにしない!



まだ何か引っかかる気持ちがある、

ただ、仮に嫌だったなって思っても

どこか説得したり、それに対して

対抗心を抱いてる私がいたムキー




私は一体、何に怒ってるんだろう?

どうしてこんなにも、受け入れたくない

不快な気持ちを、ずっとわざわざ

握りしめているんだろう?って。



感じて、頭の中でイメージして。






これは、”とある人”関わらず

はたまた私自身の思い込みや

葛藤なんだけど、



軽くいてはいけない。

とにかく「軽い」ちゃらんぽらんな

不真面目な、ただ、楽しい♩だけで

生きてる。

そんなの絶対に許されない。



そうだ。いまこれを書いてて感じたんだけど、

私の世界は昔から、子供の頃から

いつも、色鮮やかで好奇心に溢れてた✨


子供が読む絵本みたいに


私の目に映る世界は、いつもキラキラで、

色鮮やかで、華やかで「楽しさ」と

新鮮さしかなかった。



そこにはいつも、自分を見張る目があって、

そこからずれないか?それないか?

ずっと見張っている、そんな意識を感じてた😌





信頼している方に言われた


りほちゃんは、とても無邪気で

おてんばで、おっちょこちょいで、

人懐っこくて、ちょっと恥ずかしがり屋で

内弁慶。

大人の後ろに隠れて周りを見て

それで、いたずらして

キャキャキャっ!笑って走っていく

そんな子どもみたいな、ピュアさ。



ああ、自分で打ってて泣けて来たよ泣き笑い




そんな「軽く」

やりたいなら、やっちゃえ〜みたいな


不真面目で、適当で

嫌なことは嫌で、苦手なことは怖くて

そんなことには飛び込みたくもない


そんな「楽しいと好奇心」だけで

生きてた自分を、見張っているかのように



とある人に感じていたものは、

私が私を厳しく見張っていた「その目」に

似ていたんだ。




そんなのは嫌で、その厳しい目から

解放されたい反面、


それは私にとって、注目してもらってる

気にかけてもらってるっていう目線でもあり

本当のところは、そうやって

怒られていたかったのかもしれない。



「これダメ」「こっちが正解」って

その人が笑ってくれたり、

その人に褒められるのを、ただ

望んでいただけなのかもしれない、



そんな、お母さんに対して抱いてた気持ちを、

まさに、また別の誰かに投影してた。






さらに私の怒りは、彼女の不完全さを

許せない気持ちもあった。


それは、私自身が自分の

不完全さやネガティブ、失敗や誤ちを

人に許してもらおうとしてたからだった。





私は当時からなんとなく、薄々


「私は、なんか嫌だな」

「私は、そうは思わないな」

なんか違和感、なんか違うな…


と感じていたことが、沢山あって。




でもそれを、自分で選ぶことができず、

誤魔化してたところもあった。


それは、自分のことを信じられない

そのものだったし、

その「自分を採用していく」ことで、

彼女を否定していると、思われそうで

それも嫌だったんだ。





そこでまた、私の葛藤が出て来て、


「私はこう思う」を伝えようものなら、

「それは違う」「それは間違ってる」

「こうだった、ああだった、」って



ただ、気持ちを聞いてもらえない

ただ、失敗や誤ちを許してもらえない

ただ、気持ちや想いを共有すること

分かち合うことよりも、



私のほうが、〇〇だった!

私はこうだった!こう言ってた、

ああだった!



って、返ってくることを恐れて

何も言えなくなっていた私もいたし



なによりも、私が聞いてもらえない

寂しさや我慢をわかっていなくて、

そんな思いをしたくなくて、

人を勝手にそう観てたんだって思った。




そして、そう言いたくなるくらいに

自分を守りたかった自分の気持ちや

彼女の気持ちも、なんとなく理解した。



きっと、彼女も怖かったのかもしれない。

私と同じで、自分をそうやって

守っていたのかもしれない。




そこで、ふわっと軽くなった私もいた。



そしたら、急に


私は常に常に、不完全さと隣り合わせで、

でもそれで良いんじゃないか?って思えた✨




長くなるので、続きは別に書きます✍️✨