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“私”と世界に恋して生きる♡ブログ/かまたりほ/在り方・恋愛・美容・生活

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この記事の続き✍️✨ 




もう次に進みたくて、散々向き合った上で

「これはもう許して次に行くんだ」って、

きっともう大丈夫、終わった事だって


そう思っていたけど泣き笑い



実はそれらを理解して、自覚して

ちゃんと受け止めて進めたのは

今なのかもしれない看板持ち


と、なんだかいま、改めて自覚してる!笑



でも、それでいいのかも知れないって

今だから思うこともあったから

それも続きで書こうと思います☺︎




私が自分自身にある「強さ」も

ちゃんとわかってあげたい

自覚したいと思ってて


それを自覚するにも、進むにも

必要なことは

自分の不完全さ、ネガティブと

隣り合わせに、一緒に共存していく

そういう弱さを認めることだと感じてた。




そして、そういう自分のできなさ

不完全さを体験したときにはいつも


私は相手を不快にしてしまう。

それは私のせいなんだって

散々向き合って自分を責める声があって、



それは”もう終わったと思ってたとある事”

に対して、まだ怒りの気持ちや

「あなたのせいだ!!」と責める気持ちを

感じたと同時に


自分を自分で縛る意識だったり、

人に実は責められなかったんじゃないか?と


そういう自分の気持ちに

改めて向き合うきっかけになっていました。




私がどうしてずっとそのことを

許せなかったか?というと、


やっぱり、わかってもらいたい

という気持ちがあったからだと思う。




それで、この前の記事を書きながら

自分が整理できたのか、


前回の記事では、



なによりも、私が聞いてもらえない

寂しさや我慢をわかっていなくて、

そんな思いをしたくなくて、

人を勝手にそう観てたんだって思った。



こう書いたんだけど、



さらに何が寂しいのか?我慢してたかって、




私は完璧なはずなのに、

私は愛されるはずなのに、

この世で1番なはずなのに、


私はすごいはずなのに、

あなたよりすごいのに!!




それでも1番には、なれない

認めてもらったり、評価してもらったり、

褒めてもらえることもない。


それを認識してもらって

承認してもらって、「私のすごさ!」を

全然理解してくれない😭!!



と、思い込んでいて、



そんな寂しさや、怒りがあったこと、

それを前回の記事を書いたあとに、

改めて感じていました😌




この「あなたよりすごいのに!」は、


自分をすごく大きいものと捉えていて

その対象は(やっぱり)母に対して

感じていた気持ちだった。



と、なると、私はきっとお母さんの事を

すごく弱くて、小さい存在だと

ジャッチしていて


それは、私を認めてくれない、

私を尊重してくれない、


私を舐めてる!弱く扱ってる!

って言う、怒りという名の甘えと

自分自身のことを「愛されない存在」だと

決めつけていて




それは、自分のネガティブな気持ちの

受容・体感だったり、


存在をただ認めてもらったり、

尊重してもらってない!!!と

そっちにフォーカスしていたからだった

そう思い込んで疑わなかったんだ、

そう感じた。






だって、「私はすごいのに」と

自分の存在の大きさを、自分で自覚してるのに

それでも、それであっても認めてもらえない

(という思い込みなんだけど)


となると、それを認めることすらも

結構きついな…と思った。




だって、もうどんなに完璧でも

どんなに欠けてるところがなくても

それでも、認めてもらえないとしたら


どこかなにか、「この欠けてる所のせいだ」

ってできるより、きつい…。


だってもう、何のせいにも誰のせいにも

できなくなっちゃう。

ああ、そうか。ってそれらを認めて

受け入れるしかなくなっちゃう。



私はそれが悔しかった

負けるみたいで、

すごく嫌だった泣き笑い





でも何度もこういうことに向き合って来て

肌感覚で、これが不完全さと完璧さが

同時に存在するってことだと理解できて


あるものしか”ない”


と言う矛盾、

二極、陰陽、光と影、男女、

ネガティブとポジティブ



それらの本質が、自分でわかった気がして

「ならもう降参しよう」って


それらと戦うことを、説得することを

わかってもらう事の土俵から

すんなり、自分から降りれた気がしたんだ。






実は少し前に、この件について

「どうしたら良いだろう?」とモヤモヤしてて


でも誰にでも言える事じゃないな…と

悩んだ結果勇気を出して

相談したことがあった。



そこで貰ったアドバイスは、


りほちゃんが、自分をジャッジするのを

やめられたら完全に離れることを

許可できると思うよ☺︎

という言葉だったスター




そのときは、今みたいに全てを

理解できたわけじゃなかったんだけど



でもいまは、その言葉の意味も

それがどう言うことかも、

なんだか、すごくよくわかる。





結局、私が許せていなかったのは私自身で、


それを、とあること・とある人物を通して

私が体験する事で、自分のそれらに

向き合うチャンスやタイミングを

貰っていたんだね。




そしてそれは


不完全なまま

あらゆることに

一歩踏み出す


という今の私の課題にも繋がってる✨





私、自分で今回のことに向き合ってる中で

「これもあれも本当はこうしたいという

 気持ちがたくさんあったのかもしれない」

と思ったんだ。


でもそれに踏み出すことができなかった。



それは行動面でもあるし、何か思いや

気持ちを伝えてみたりとか、

断る・お願いする・頼るとか

色んなことが含まれるんだけど



それらも結局、

自分から踏み出すことができなかったのは



失敗することや、できない経験をすること、

時に「届かないこと」もあること、

形にならないこともあることを

体験・経験することになるからだった。



そういうときに感じる

ネガティブな気持ちや、ダメな自分を

感じることそのものを私は自分で

わかってあげられる強さがなかった。





そういうとき、どうするのが楽か?って


誰かに答えや承認をもらうことだったり、

また逆に誰かを、承認するフリをしたり

誰かを助けるふりをして、

自分のことを観ないでいること。



私きっとそれを、人に求めていたから、

「わかって欲しい気持ち」や

説得したり、相手を気にする意識が

抜けなかったんだね。






そこまで理解して、はじめて

そしてやっと「感謝」を感じながら


私の意識の中で、もう卒業できて、

離れられると思った☺︎



ありがとうという気持ちと共に、

私自身の課題と、「こうなろう」

っていうなりたい姿のビジョンも見えた✨!



またまた、長くなりそうなので

見えた課題やビジョンは次に書きます!♡







私自身が、自分の葛藤に気づきながらも

「自分を認めたい」
「これはもう自覚をしたい」と
とある一面を持つ自分に対して
そう強く感じてる、私がいる。



それは自分の弱さと相反する

私の強い部分👍


なんだけど、それを認めるには
その相反する「弱さ」に関して

このパターン、この感情、この思考
何度も繰り返してるなってものがあって
まさにそれは、私が自覚して
わかってあげるべき「弱さ」なような
そんな気がしてた。


それを受け入れてこそ、自然と
私のもってる強さも、同時に
輝くし✨自覚して、素直になれる!って
そんな葛藤も、理解してた。





私が受け入れるべき、弱さは
きっと、不完全さ。


と、同時にそれは相手の不完全さを
許して、自分がそれで傷ついていたり
嫌な思いをしたなって、感じてた「それ」を

相手を戦わず、変えようとせず
ただ、じっとわかってあげる作業が、
なんか必要な気がしてた。




私はなぜかわからないけど、
何かものごとが「できない」だったり、
それで、相手に何か注意されたりすると
すぐ、戦う意識を持ち出して

「それは受け入れない!!」なんて、
強がって、拗ねてる自分をずっと感じてた。



でもさ、当たり前だけど

大人だって人間だから、時に失敗したり
ミスすることなんて普通にあるんだよね。

それは人間であるが故、時に間違えたり
失敗してしまうことだってある。



そんな当たり前のことだと、
頭では理解しているのに

じゃあいざ自分がそうなったとき
「相手と戦う」「違うもん!!」って
言いたくなる私がいるのをわかってた。




それがもう何度もあったから
これは私の問題だなって、
自分を見つめて、感じてみたときに

「できないこと」そのものより

そのことで相手が不快になってる
その気持ちを、私のせいにされてる
=私は責められてるんだ💔



って気持ちや前提・思考の癖を持ってて
そんな気持ちから自分を守るために

「私のせいじゃないし」なんて
素直になれない自分がいた。
それが理解できた泣き笑い




それって本当かな?って。
100%、絶対、いつも、完全に本当?って。


答えとしては「私の思い込みかも」って
そういう余白が自分に生まれたんだけど


それと一緒に、猛烈に怒りの気持ちが湧いて、
それはとある人にも、向いているものだった。



それはもう私の中では、去年散々向き合って

苦しくてそれでも、やり切った、と

そう思っていた、想いや気持ちだった


そのはずなのに、まだあった、怒り。

怒りと、なぜか自分に対しても

「ごめんね」って気持ちになった。




こういうとき、例えとんでもない

怒りの気持ちや、罵詈雑言が出ても

やめない、なかったことにしない!



まだ何か引っかかる気持ちがある、

ただ、仮に嫌だったなって思っても

どこか説得したり、それに対して

対抗心を抱いてる私がいたムキー




私は一体、何に怒ってるんだろう?

どうしてこんなにも、受け入れたくない

不快な気持ちを、ずっとわざわざ

握りしめているんだろう?って。



感じて、頭の中でイメージして。






これは、”とある人”関わらず

はたまた私自身の思い込みや

葛藤なんだけど、



軽くいてはいけない。

とにかく「軽い」ちゃらんぽらんな

不真面目な、ただ、楽しい♩だけで

生きてる。

そんなの絶対に許されない。



そうだ。いまこれを書いてて感じたんだけど、

私の世界は昔から、子供の頃から

いつも、色鮮やかで好奇心に溢れてた✨


子供が読む絵本みたいに


私の目に映る世界は、いつもキラキラで、

色鮮やかで、華やかで「楽しさ」と

新鮮さしかなかった。



そこにはいつも、自分を見張る目があって、

そこからずれないか?それないか?

ずっと見張っている、そんな意識を感じてた😌





信頼している方に言われた


りほちゃんは、とても無邪気で

おてんばで、おっちょこちょいで、

人懐っこくて、ちょっと恥ずかしがり屋で

内弁慶。

大人の後ろに隠れて周りを見て

それで、いたずらして

キャキャキャっ!笑って走っていく

そんな子どもみたいな、ピュアさ。



ああ、自分で打ってて泣けて来たよ泣き笑い




そんな「軽く」

やりたいなら、やっちゃえ〜みたいな


不真面目で、適当で

嫌なことは嫌で、苦手なことは怖くて

そんなことには飛び込みたくもない


そんな「楽しいと好奇心」だけで

生きてた自分を、見張っているかのように



とある人に感じていたものは、

私が私を厳しく見張っていた「その目」に

似ていたんだ。




そんなのは嫌で、その厳しい目から

解放されたい反面、


それは私にとって、注目してもらってる

気にかけてもらってるっていう目線でもあり

本当のところは、そうやって

怒られていたかったのかもしれない。



「これダメ」「こっちが正解」って

その人が笑ってくれたり、

その人に褒められるのを、ただ

望んでいただけなのかもしれない、



そんな、お母さんに対して抱いてた気持ちを、

まさに、また別の誰かに投影してた。






さらに私の怒りは、彼女の不完全さを

許せない気持ちもあった。


それは、私自身が自分の

不完全さやネガティブ、失敗や誤ちを

人に許してもらおうとしてたからだった。





私は当時からなんとなく、薄々


「私は、なんか嫌だな」

「私は、そうは思わないな」

なんか違和感、なんか違うな…


と感じていたことが、沢山あって。




でもそれを、自分で選ぶことができず、

誤魔化してたところもあった。


それは、自分のことを信じられない

そのものだったし、

その「自分を採用していく」ことで、

彼女を否定していると、思われそうで

それも嫌だったんだ。





そこでまた、私の葛藤が出て来て、


「私はこう思う」を伝えようものなら、

「それは違う」「それは間違ってる」

「こうだった、ああだった、」って



ただ、気持ちを聞いてもらえない

ただ、失敗や誤ちを許してもらえない

ただ、気持ちや想いを共有すること

分かち合うことよりも、



私のほうが、〇〇だった!

私はこうだった!こう言ってた、

ああだった!



って、返ってくることを恐れて

何も言えなくなっていた私もいたし



なによりも、私が聞いてもらえない

寂しさや我慢をわかっていなくて、

そんな思いをしたくなくて、

人を勝手にそう観てたんだって思った。




そして、そう言いたくなるくらいに

自分を守りたかった自分の気持ちや

彼女の気持ちも、なんとなく理解した。



きっと、彼女も怖かったのかもしれない。

私と同じで、自分をそうやって

守っていたのかもしれない。




そこで、ふわっと軽くなった私もいた。



そしたら、急に


私は常に常に、不完全さと隣り合わせで、

でもそれで良いんじゃないか?って思えた✨




長くなるので、続きは別に書きます✍️✨








とある早起きから始まった
こんなnote大あくび




これはその時、noteをなるべく毎日書きたくて

早起きした時にたまたま付けたテーマ。



これを書いてから、

朝って感じてることをすんなり書けるな

ということがわかって


「毎日文章を書くこと」をやりたい!

そんな私にとっては、なんかいいかも✨と

思ったわけです!




だからその「朝テーマ」をアメブロでも

書いていこうかな?という次第指差し飛び出すハート


と、言っても今日はなんか

早起き?ではないけど「朝」という

テーマに寄せていこうかな。




私の毎日は大体いつも朝7時前後から

スタートするのがスタンダード✨


その生活リズムがついてから、

今日みたいに時間や予定に追われず

好きな時間まで寝れたとしても


結局朝起きちゃうんだ。笑





朝起きてすることは、大体

お手洗いに行って、洗面所に行って、


お水を飲んで、その間に何回か上半身を

ストレッチして、そのあとマッサージポール

(筋膜リリース)で体全体を伸ばして…


それでこんな風に、ブログやらを書く✍️





「早起きは三文の徳」というけれど

この間たまたま見てた朝のテレビで

それについての問い?みたいなものをやってた


「その三文とは現代の価値だと

 どのくらいだと思いますか?」って指差し



それが、現代でいう90円!笑



私のその時の感覚としては

「あ、なんか想像より安かった(笑)」と。



でも、塵も積もれば山となる。



10日続けたら900円


それが一か月で、2,700円だから

案外、というか馬鹿にならないよねって!



2,700円あったら洋服とか全然買える♡

ちょっとしたお出かけだってできる✨





私の毎朝の早起きはそのくらいの価値に

なってるかな??


まあ今日は全然早起きじゃないんだけど

朝だからできること、これからも

続けていくよ!



暖かくなって来て、朝起きるのも

苦じゃなくなってきているしね٩( 'ω' )و 





さて、今日もやりたいこと満載の

私の人生の1ページ✨私の毎日✨



スタート𓈒 𓏸 𓐍  𓂃 𓈒𓏸 𓂃◌𓈒𓐍 𓈒