夜半に
友人の死の連絡が
突然に
家族の方が代わって
送信してくれたのでしょう
友人のメッセンジャーから
その本人の死を伝える言葉が入力された
不思議な画面
すぐには事態を飲みこめず
しばらくしてから
深夜ひとりで部屋の照明を見上げて
ただ
ああ
やっと終わったんだね
のことばだけが浮かんで
それから私の頭の中は無音のままです
私と同じ歳
死ぬにはまだ若いの友人の死
友人は体に違和感があると言ってたけど
幾度検査をくりかえしても原因不明だと言ってたけど
半年以上たってから
難病と診断されたと言ってたけど
それから1年とすこしで
みるみる病状が悪化していきました
ようやく病名が判明し
動けるうちに
食べられるうちに
月1で美味しい食事をしようと約束したけれど
3回目からは外出ができなくなりご自宅へ伺えば
やがて車いすに
ベッドに寝たままとなった友人が
施設へと移り会いにいったけど、
症状の進行の速さに
悲しんだり驚いたりする余裕もありませんでした。
友人の仕事や職場環境は
話を聞くたびに
ため息がでるほど大変なものではあったけど
しかし大好きなその仕事から逃げださず
愚痴もこぼさず
自分に厳しく責任をもって勤め続けていて
私は
友人の仕事の話を聞くのが大好きでした
だんだんと友人のことばが聴きとりにくくなり
面会のあいだの無言の空気を
私の言葉で埋めるしかなくなると
楽しい話題がない、
私自身の日々の生活の浅さとか
興味関心の狭さへと思いがおよび
無力感から会いに行くのがつらくなったのです。
知人から
無理に行くことだけはやめるよう諭され
自分は無理をしているかどうかを心に問いながら
2月の面会のタイミングを計っていたところの
メッセンジャーの知らせでした。
友人は
一度たりとも
病気や死に対する不安や恐れ
怒りや絶望を口にしたことはありませんでした。
泣き顔も見せませんでした。
動かなくなった体で
何を思い何を感じていたのか
それは私が勝手に想像してはならないし
できることではありません。
ただ
ほんとうにただ
友人の姿や声や交わしたことばをこころに抱きながら
いつかは私もぜったいに死ぬ
確実に訪れるその日まで
私は生きていくのです。
今はそんなふうに感じている
ただそれだけを記してみました。