タロットのささやき、こころの景色

タロットのささやき、こころの景色

大田区・東急沿線にあるプライベートスペースで、
マルセイユタロットリーディングをおこなうHARUです。
おやつとお茶を楽しみながら、じっくりゆっくりタロットを介してじぶんと向き合う時間。
月に数回、定期的にカフェ鑑定も行ってます。

 

(つづき)




 

 

ケイト・ニュービー

「ファイヤー!!!!!!!」

 

 

 

六本木から銀座間の路上に落ちていたものを

人工大理石に埋め込んだプレートたち。

 

いわゆる

何の変哲もないただのゴミたちが、

どこか楽しげなリズムで

ささやいているようだ。

 

 

 

そして壁面には

青梅市の藍染工房で染められた

透けるようなオーガニック綿のカーテン。

 

 

 

 

人工物による

空と大地

もしくは

海と砂浜にもみえる。

 

 

 

 

シェロワナウィ・ハキヒウィ

 

 

 

作家の出自ベネズエラにある

世界最大の熱帯雨林地帯。

そこに住む原住民女性の装飾品や自然物を

モノプリントで描いた作品。

 

 

 

素朴ゆえにとてもチャーミングだけど

開発による環境破壊で

彼らの生活は脅かされている。

 

 

アサド・ラザ

「木漏れ日」

 

 

 

故障したまま長らく放置されていた

展示室の天窓のロールスクリーン。

作家はその修理のための足場をつくり

時間とともに変化していく太陽光の明るさだけで

作品と向きあう空間。

 

足場がまるで

太陽という神に祈りを捧げるための

古代の神殿のよう。

 

 

 

 

MAMコレクション

さわひらき

 

 

箱庭療法に由来したインスタレーション作品。

 

 このスペースのコレクション展も

毎回の楽しみ。

 

 

 

 

心がしんと鎮まる。

遠い記憶がよみがえり回遊していくのを感じる。

心の深い深い奥の奥に降りていくような

起きているのか眠っているのか

その境界線にいるような気持ちになる作品。

 

 

 

 

ずっとずっと

ここにいたいと思った。

 

 

大好きな作品空間でした。

 

(おわり)

 

 
 

チケットはずっと以前から購入していたのに

 

ようやく行ってきました

腰の重いわたくし。




 

 

 

 

森美術館

 

森美術館開館20周年記念展

「私たちのエコロジー」

 

 

 

もう20年が経つのですね・・・

 

私にとって森美術館は

ハズしがないつねに心踊る空間です。

 

 

 

ニナ・カネル

「マッスル・メモリー」

 

 

 

 

展示室いっぱいに敷き詰められているのは

北海道から運び込んだ

5tの帆立貝。

 

帆立貝の殻の焼却処理には

膨大な燃料費と

それにより発生する二酸化炭素が問題に。

 

 

 

鑑賞者がこの上を歩くことで

粉々に砕かれていく貝。

再利用品もさまざま開発・販売されていますが

追いつかない現状があること。

 

スニーカーの下で砕ける乾いた音が

心に痛い。

 

 

セシリア・ヴィクーニャ

「キープ・ギロク」

 

 

古代アンデス文明で

コミュニケーションに使用されていた、

ロープの結び目による結縄文字と

原始的な布を組み合わせた作品。

 

 

 

 

 

1950年代以降

日本における環境問題発生と

その対応策についての年表。

 

これだけ多くの問題が起こり続けてきたことに

改めて驚き

そしてその後にもまだ

 

 

環境や人体への被害問題が生まれ

終わることがない螺旋状のジレンマ。

 

 

よき天気でした。

 

 

 

殿敷侃

「山口-日本海-二位ノ浜 お好み焼き」

 

 

 

両親を原爆病で亡くし

自身もそれにより死去した作家の作品。

海岸で集めたプラスティックゴミを

深い穴に埋めて焼却した残骸2t。

 

 

「お好み焼き」というタイトルとのギャップが

逆に静かな怒りと恐怖を感じさせる

焼けただれた堆積物の

その重量感。

 

 

 

 

谷口雅邦

「発芽する?プリーズ!」

 

 

 

褐色に水分をうしなった

トウモロコシの葉や根がぎっしりと

廃棄されたようにも見えるが

 

その乾いた土の中には

種が埋められており

緑が芽生える可能性を秘めた作品。

 

モニラアルカデイリ

「恨み言」

 

 

 

日本の養殖技術で衰退した

ペルシャ湾岸の天然真珠業。

 

天井から聞こえてくる幾重ものささやきは

人工的に命の球を宿される真珠たちの恨み言。

 

 

 

雄保良

fruiting body

 

 

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大理石ほか

世界中から集めた砂岩や塩、

そして

人工物のカオス。

 

私には

破壊された街に灯るちいさなあかりに

見えたけど・・・。

 

 

 

 

監視員のお嬢さんに聞けば

 

天井から垂らされた白い絹糸から
塩水がすこしずつ流れおち
 
やがてその糸に
塩の結晶がゆっくり実り
 
 
水がしみ込んだ砂岩が
より鮮やかな赤へとじわじわと変化し
その裾野に塩が波跡のように白く現れる。
 
 

 

 

 

会期が進むごとに

景色が変わっていく。

 

その過程を

一生懸命伝えてくれた

眼鏡の監視員さん

どうもありがとう。

作品を観る目がまったく変わりました。

 

 

(つづく)

 

 

いい映画だったなあ。

しみじみ

いい映画だったなぁ。

おいしいものが細胞にじんわりしみこむように

からだとこころがいつまでも味わいたい

そう告げるような映画だった。

 

 

「Perfect Daysパーフェクトデイズ」

 

 

映画は

特別なことのない日常。

おなじことを繰り返すいつもの日常を

映し続ける。

 

  落ち葉を掃く音で目覚め

  植物に水をやり

  歯磨き洗顔髭を整え

  自販機の缶コーヒーを飲み

  車の中でカセットの音楽を聴きながら

  トイレ清掃の仕事へ向かう

  「平山」という初老にさしかかろうという男の毎日。

 



  神社のベンチで昼食

  (コンビニのサンドイッチ)

  今日の木漏れ日を1枚撮影

  (古いコンパクトカメラ)

  仕事終わりは自転車で銭湯

   (開店と同時に)

  その後地下の飲み屋で1杯

   (いつものやつ)

  寝る前の読書

    (古本屋の100円棚の文庫本)

 

そしてまた朝がくる。

 

 

  最低限の会話(ほぼ無言)

  最低限の人間関係(ほぼ挨拶のみ)

  必要なものだけの最低限の生活。

 

そんな中でも

小さな出会いと笑顔

小さないざこざがあり

心は浮き上がり心はざわめく。

 

 

同じ日は二度とない。

見上げれば

昨日とは違う朝

そして

ひとつとしておなじ姿ではない

風にゆらぐ美しい木漏れ日。

 

 



自分にとっての喜びを

しっかり見つめること

いらないものは潔くすててしまうこと

自分にとつて大切なものだけを

大切に握りしめること

 

 

 

簡素にそぎ落とされた2階の空間は

彼の大きな決断と別離を

 

積み上げられた荷物で埋まる1階の部屋は

この生活に至るまでの

彼の人生の紆余曲折を私たちに垣間見せる。

 

生きていれば

色々なものは溜まっていくけど

空を見上げさえすれば

その美しさを感じることができれば

また

笑顔になれるはずだと

「平山」演じる役所広司の笑顔は

無言のまま教えてくれる。

 

 



この映画に対するヴィム・ヴェンダースのインタビューが素晴らしくて

すこし長めだけどほんとうにおすすめしたい。

 

インタヴューはこちら

 

 

夜半に

友人の死の連絡が

突然に

 

家族の方が代わって

送信してくれたのでしょう

友人のメッセンジャーから

その本人の死を伝える言葉が入力された

不思議な画面

 

 

すぐには事態を飲みこめず

しばらくしてから

深夜ひとりで部屋の照明を見上げて

ただ

 

ああ

やっと終わったんだね

 

のことばだけが浮かんで

それから私の頭の中は無音のままです

 

 

私と同じ歳

死ぬにはまだ若いの友人の死

 

 

 

 

 

 

友人は体に違和感があると言ってたけど

幾度検査をくりかえしても原因不明だと言ってたけど

半年以上たってから

難病と診断されたと言ってたけど

 

それから1年とすこしで

みるみる病状が悪化していきました

 

 

 

 

 

ようやく病名が判明し

動けるうちに

食べられるうちに

月1で美味しい食事をしようと約束したけれど

3回目からは外出ができなくなりご自宅へ伺えば

やがて車いすに

 

ベッドに寝たままとなった友人が

施設へと移り会いにいったけど、

症状の進行の速さに

悲しんだり驚いたりする余裕もありませんでした。

 

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友人の仕事や職場環境は

話を聞くたびに

ため息がでるほど大変なものではあったけど

 

しかし大好きなその仕事から逃げださず

愚痴もこぼさず

自分に厳しく責任をもって勤め続けていて

私は

友人の仕事の話を聞くのが大好きでした

 

 


 

だんだんと友人のことばが聴きとりにくくなり

面会のあいだの無言の空気を

私の言葉で埋めるしかなくなると

 

楽しい話題がない、

私自身の日々の生活の浅さとか

興味関心の狭さへと思いがおよび

無力感から会いに行くのがつらくなったのです。

 

知人から

無理に行くことだけはやめるよう諭され

 

自分は無理をしているかどうかを心に問いながら

2月の面会のタイミングを計っていたところの

メッセンジャーの知らせでした。

 

 

 

 

 

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友人は

一度たりとも

病気や死に対する不安や恐れ

怒りや絶望を口にしたことはありませんでした。

 

泣き顔も見せませんでした。

 

動かなくなった体で

何を思い何を感じていたのか

それは私が勝手に想像してはならないし

できることではありません。

 

 

 

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ただ

ほんとうにただ

友人の姿や声や交わしたことばをこころに抱きながら

いつかは私もぜったいに死ぬ

確実に訪れるその日まで

私は生きていくのです。

 

今はそんなふうに感じている

ただそれだけを記してみました。

 

 

 

 

 

 

 

このデザイナーの

あるの椅子を見た時の驚きは

今でも忘れられない。

 

 

 

 

この冬いちばんの寒さと強風のなか

 

 

 

世田谷美術館

「倉俣史朗のデザイン」展

 

 

 

 

 

 

最初の展示室にある

4点のみ撮影可。

 

 

 

 

「01チェアー(ダブル)」

「01テーブル」

 

 

 

0(ゼロ)のフォルムが

背もたれや腕当てや脚に。

床に落ちるその影さえ

なんて魅力的。

 

 

 

「透明ガラス入りテラゾーテーブル」

 

 

 

灰色の堅固なテラゾー(人工大理石)のなかに

きらきら光るガラスの破片。

 

触れれば傷つけられるようなガラスの鋭利さが

永遠に閉じこめられた安心感。

 

そして

 

断面の透明な輝きの美しさ。

 

きらりと光る。

 

 

 

 

 

 

「トウキョウ」

 

 

 

カラフルなガラス片が、

ミルク色のコンクリートのなかを

自由に弾け舞っている。

 

 

 

 

私の舌は

柔らかなミルク寒や軽いメレンゲに混ぜこまれた

フルーツゼリーの破片の記憶を

そっとなぞった。

 

 

「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」

 

 

エキスパンドメタルで構成された

工業製品のような椅子。

 

格子状のメタルのあいだを

すり抜ける光と風。

 

 

美しいけれど

絶対に座りたくはない。

 

しかしチケット売り場前に展示された

座ってもいい

「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」に腰掛けたら

 

まったく違和感なく

問題のない座り心地で驚いたわたくし。

 

 

 

館内の借景。

まるで、

昨年観たホックニーの作品みたい。

 

 

 

そうそう、

この写真の作品こそが

有名な「ミス・ブランチ」‼️

 

倉俣作品との最初の出会い。

透明アクリル樹脂に閉じ込められた

深紅の薔薇の造花。

 

いつ観ても心が躍る。

 

 



 

夢は

「養分、現実、ある解放区である」

として

倉俣史郎が夢日記(夢絵日記)をつけていたこと、

分析はせずにただそれを楽しんでいたこと。

 

 

彼の蔵書のなかに

ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』があったこと。

 

 会場にいかなければ知らなかった

いくつかの喜び。


寒かったけど楽しいひととき。