最近の雑感。 | 毎日をちょっぴり生きやすくするあべもん(安部源生)のブログ

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作業療法士という生活を支える仕事をしています。講演会を全国10ヵ所以上でやっています。内容はセラピスト向けぁと筋膜、東洋医学、心理学。一般向けだとストレスケア、コミュニケーション など


皆さん、こんばんは!

OOOなセラピスト、
(Occupational therapy(作業療法)
×Oriental medicine(東洋医学)
×Oita(大分))

Oriental Physio Academy(OPA)
大分県支部長の
安部源生(あべもとき)です。

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今日は雑感です。
何かについてアウトプットするわけではないので、
僕に興味ない人は読まないでください笑

ここ1、2年Facebookやブログで
色んな人の考え方や働き方を目にする機会が増えました。
それは自分の価値観を考えさせらせるほどに。

正直なところ、
僕は作業療法士という職業は
そんなに好きじゃないようだ。
ということを最近思い始めています。

別に患者さんと関わることが嫌いなのではありません。
作業療法や臨床自体は素晴らしいものだと思います。
自分がこれ以外の仕事をやっている姿も
あんまり浮かびません。

ただ、
作業療法士は
患者さんととても密に関わるのに、
医療カーストでは正直、下の方です。

業務上、絶対に医師の指示の下となります。
決して平等の関係はあり得ません。
その業務すら医師、看護師みたいな業務独占ではありません。
法律上は作業療法士しかできない仕事ではないのです。

また、特に最近は
医療に関わる人間に
自己犠牲はつきものな印象をうけます。

妥協は許されない。
金儲けのビジネスすらタブーのような印象です。

でも、
治療者だって人間、
完全に人の為に生きるのか?
というのも考えなくてはいけません。


人間の死生観は百年は変わらないと言われています。
この50年、長寿は当たり前の時代になってきました。

老いをそのまま受け入れ、
自宅で診とることも多く、
死が身近なものだった時代と違います。

今は誰もが
健康・生を当たり前とする時代、
医療を必要とする時代かもしれません。

でも、
人間の生き死にを
人間がどうにかしようなんて
おこがましいと考えるのです。




ましてや人の生を
別の人、他人が。


やはり、
僕は自分のために生きたいです。
家族が出来れば変わるのでしょうが。

それは親切心や仲間をもたないというわけではなく、
優先順位ということです。

働く上で何を優先させるのか?
僕は人の為だけではなく、
自分の暮らしも考えたいのです。
なのでビジネスのことも考えたいわけです。


僕は治療家、臨床家として、
ゴッドハンドみたいなクラスには憧れません。
そこまでなって、人を見下すのも嫌ですし、
相手に自分の価値観を押し付けたりもしたくありません。
自分は自分です。

お互いゆるーく生ける。
それくらいを目指したいのです。
「なんとなく、しあわせー」
を目指したいのです。



「こうじゃないと幸せじゃない」
「こうなれたら幸せ」
というのは本当の幸せではありません。
幸せとは自分の中に見つけるものです。

何に左右されるのではなく、
なんとなく、
しあわせー
と自分も思いたいし、
仕事で関わる人にもそう思ってほしいのです。

いくら
治療が成功したって
老いや死は皆平等に与えられます。
ゴールが平等である以上、
幸せを外部に求めている状態では
本当の幸せとは言えないのです。

僕も仕事での姿は
なにかあの人は感じがいいよね
というのを目指しています。

そんな場を供給するために
僕の作業療法士としての立ち位置は
適職か?
と最近考えるわけです。

何万人もの療法士が毎年生まれてくる時代、
セラピストの姿も多様化してきました。
「自分がどうあるべきか?」
というのを考えたいものです。

今すぐ起業できるような下地はありませんが、
微力な僕ですが、
作業療法士としての安部に
捉われすぎず、
色んな所にアンテナを張っていきたいものです。

「ほくらは微力だけど
無力ではない」
今やれることをコツコツと。
生き急がずゆるーく生こう。

と、思う今日この頃。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。