『数字が読めると年収がアップするって本当ですか?』第3章、公開!! | ビジネスに使えるスピリチュアルの専門家 吉武大輔 official Blig

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『数字が読めると本当に儲かるんですか?』の著者

古屋悟司さん(ゲキさん)の2冊目が本日発売になります!!

 

 

今年の2月に開催されたゲキさんとのコラボセミナー

 

 

 

前回は、経営者向けの内容でしたが

今回は、サラリーマンやOL、アルバイターなど

組織に属して、働いている人たちに向けた良書!!

 

ゲキさんの実体験を元にしたストーリーは

読みやすく、かつ具体的な知識も盛りだくさん。

明日からの働き方や自分の給与への考え方が変わるかも?

 

一方で、経営者が社員に読んでもらいたい要素も

ふんだんに盛り込んであるので、

社内で勉強会なども企画するのもオススメ!!

 

 

自分の給料がどうやって生まれているのか。

この本を読んで、「お金」について勉強することで

これからのお金の付き合い方を考えていける一冊です。

 

 

ゲキさんのご好意で、第3章をまるっと公開させていただくことになりました!

 

もちろん、書籍で読むのが一番オススメ!

可愛いイラストのゲキさんや田中先生も登場します。

 

 

 

『数字が読めると年収がアップするって本当ですか?』

 

 

Amazonからも購入できますので、どうぞお楽しみください^^

 

 

ゲキさん、おめでとうございます!^0^

 

 

 

 

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第3章 落ちるところまで落ちたら、見えてくること

 

 

お金がないので借金をしました

悲しみは雪のように

 

ひとまず、燃えてしまった家を建て直さなくてはなりません。

もともと親の名義だった家ですが、家族会議で僕の名義に切り替えて建てることが決まりました。

地元の建築屋さんに相談して、家を建てることになりました。

僕自身は、賃貸のマンションでも借りて、土地は売ってしまえばいいのではないかと思っていたのですが、家族は家がほしいということでした。家族の意見を尊重してOKを出し、銀行に相談へ行くことに。

 

融資の審査もスムーズに通り、25年ローンを組み、3000万円の借金を背負うことになりました。

 

25歳のときでしたので、この瞬間、向こう25年間、50歳になるまでは家のローンを毎月十数万円支払うことになったんです。

「家族のため」。そう思い覚悟しました。

 

 

仮住まいも決まり、会社へ出勤して、いつも通りの日常が少しずつ戻ってきました。

「家のローンを返すべく、しっかり稼がないと」と気合を入れて、営業に行くのですが、なぜかうまく売ることができません。

何か、こう、あせっているような、頭がうまく回らないという感じで、思ったようにトークができないんです。

時折、手が震えたり、声が出なくなったりします。また、いきなり理由もなくイライラしたりすることがあり、気持ちをうまくコントロールで きなくなっていました。

そのことを、チャットで知り合った友人に相談したところ、「それ、うつ病じゃないか?」と言われました。

「まさか自分がうつ病に?それはないだろう」と心の中で思っていました。

その後、チャットで知り合った友人は、わざわざ仮住まいまで1冊の本を持って、お見舞いに来てくれました。

「うつ病じゃなければそれが一番いいんだけど、まずはこの本を一度読んでみて」と言うのです。

その本には、うつ病に関しての症状などが書いてありました。

まあ、ものは試しだから、読んでみるかと、本に目を通してみたところ、症状がピタリと当てはまるんです。

「うつ病?そんなわけない!」。

信じたくないのですが、正直、毎日が思うように運ばず、今までのように頭も回転せず、とてもイライラした毎日が続いていました。

そして、それはとてもつらかったので、しだいに否定できなくなっている自分がいました。

紹介してもらった病院に行って検査をしてもらうと、診断はやはり「うつ病」。

僕の人生もついにここまでか。

がっくりと肩を落とし、深いため息をつきました。

 

 

 

負けないで

 

家が建ち、ローンの支払いがはじまりました。

このとき、僕はトップセールスから脱落していて、さほど稼げている営業マンではなくなっていました。

だから、この支払いと、車のローンが重なってしまったことで、所有していた2台の車を手放すことに決めました。

車は日常生活で必要なので、安い軽自動車を1台買うことにしました。

 

ふつうは、うつ病になった人は、仕事を休んで脳を休めることが最適と言われています。

でも、僕の場合には家のローンを払わなければならないため、仕事を休んでゆっくりしていることなどはできず、薬を飲んでごまかしながら、少しでも売上を立てなくてはならない状況でした。

自分に負けそうになり、何もかもが嫌になることが多々ありましたが、借りたものは返さねばなりません。僕に休んでいる暇など、ひとときもありませんでした。

 

 

 

 

給料は安くても安定している会社、稼げば稼ぐほど給料が上がる会社

もしも明日が… 。

 

僕の月の売上は150万円ほどになって、歩合制なので月収も40万円にいかなくなり、ピークのころの半分ほど。

僕は営業マンとして、どんどん落ちぶれていきました。

どうやら営業マンとしても終わりが見えてきたようです。

今までのようにキレのあるトークがまったくできない精神状態になってしまったのですから、致し方ないですが……。

そうなってくると、人って勝手なものですね。「給料は安くても、安定している会社」がうらやましくなってくるんです。

給料の天井が見えてしまっている人生かもしれないけれど、かぎられた給料の中でやりくりしながら生きていくのも悪くない。

毎日毎日、売上目標と戦いながら生きていかなくても済むので、そっちのほうが楽かもしれないと。

 

たとえば、公務員や安定したふつうの会社に入れば、ものすごくお金持ちになることはないかもしれないけれど、ものすごく貧乏になることもないと思いました。

生涯年収が決まっているのであれば、その中でやりくりすればいいだけです。

代で家を買い、25年ローンをコツコツと返済して、子どもを授かり、高校や大学に行かせ、定年になったらのんびりと暮らす。

ささやかな幸せを喜びながら、節約にも楽しさを見出し、たまの外食をありがたくいただく。

そんなふつうの暮らしも悪くない。

 

会社から家に帰ると、机の上にメモがありました。

もはや、いちいち気味悪がったり、不思議に思ったりするよりも、「今度はどんなことが書いてあるんだ?」という気持ちでした。

 

「稼ぐ額よりも大切なのは、どんなふうに働いて、どんなふうに稼ぐかだよ。キミはどんな稼ぎ方がしたい?」

 

稼ぎ方か? 今まで考えたこともなかったな。僕がこれまで考えていたのは、稼ぐ金額のことばかりでした。

僕は、どんな稼ぎ方がしたいんだろう?

 

 

 

悲しみにさよなら

 

「稼ぎ方」という言葉が書かれたメモを見ながら、いろんな職業のことを考えていたら、ふと思ったんです。

「ちょっと待てよ?」と。そもそも安定したふつうの会社なんて、この世の中に存在しないんじゃないだろうかと。

バブルのときには、土地神話がありました。土地は絶対に値下がりしない、そう言われていました。今はどうだ?    土地の値段は下がりに下がっています(2000年ごろは土地の価格が暴落していた)。

銀行はつぶれない。だから、銀行に就職したら絶対安泰だと言われていました。

今はどうだ?あちこちの銀行が合併して、なんとか生き残ろうとしています。

そしてインターネットが登場して、僕はその魅力に引き込まれ、いろいろと検索したり、チャットを楽しんだりしました。

ネット掲示板の「2ちゃんねる」では、いろいろな噂話を目にしました。

そんな流れのなか、じゃあ、うちの会社が取り扱っている学習教材は、時代の流れから見てどうなんだろうと思い、試しにヤフーで検索してみました。

すると、「だまされた」「押し売りされた」などの、かなりネガティブな評判が出てきたのです。

さらに、ヤフーオークションで取り扱っている教材を検索すると、「子どもが使わなかったので」というコメントとともに、販売価格の3分の1くらいで出品されていました。

 

この現状を目の当たりにして、僕が売っている学習教材はいずれ売れなくなる、そしてこの業界も長くないことを感じました。

社長に「この会社をまかせたい」と言われたこともあり、「いずれ、この会社のトップになってやる!」と思っていましたが、その気持ちは世の中の流れと、最前線の営業マンから脱落した今の自分から、一気に崩れ去りました。

 

さらに、こんなふうにも思いました。

「年功序列のいわゆる安定した会社に勤めて働いたとしたら、僕はそれで楽しいのか?」と自問自答してみました。

決まった給料をもらう仕事に満足できないからこそ、僕は新卒で豊丸自動車の販売会社に入社し、その後、歩合制の会社に転職したのです。

今さらふつうの会社に入り直しても、お金に不自由することなく、好きなものを好きなときに買えて自由気ままに生きるというのは、おそらく叶うことはないでしょう。

 

「僕はふつうじゃ満足できない」。

ならば、もっと上を目指してみようじゃないか。

今はうつ病のただのポンコツなのにです。

「このまま終わるわけにはいかない」。

心からそう思えた瞬間でした。

すべてに自分で責任を負うような、そんな稼ぎ方がしたい。

すべてを自分が決める。そう、もちろん給料も自分で決めるんだ! そんな仕事がしてみたい!

それを実現するにはただひとつ、独立するという選択肢でした。

自分で会社を経営する!これしかありません。

リスクはもちろんあります。うまくいく保証も何もありません。

でも、僕にとってはそれこそが、自分の居場所なんじゃないか。

 

さて、そうと決まれば何をするかを決めなくてはなりません。

会社を辞めるタイミングも考えなくてはなりません。

明日から忙しくなるぞ!心の中がスカッと晴れたような気分になりました。

こんな気持ちになれたのは、いつ以来だろう。

お先真っ暗だと思っていた僕の人生に、ひとすじの光が差し込んできた気がしました。

 

 

 

 

 

「 自分の足で歩く 」という生き方

自由への疾走

 

自分の会社をつくって独立しようと決めてからは、ワクワクの連続でした。

これで僕も、憧れの社長になれる! そしてきっと社長は儲かる!

これで、大学時代に見返したかった彼らを見返すこともできるはずだ!

妄想が洪水のごとく僕の頭の中に流れ込んできます。

そして、学生のころから追い求めていた「お・か・ね・も・ち」という優越感も味わうんだと、鼻息も荒くスタートを誓いました。

 

最初に考えたのが「何を売ろう?」ということです。

経営者は、すべてを自分で決められる自由があるので、何を売ろうが、いくらで売ろうが、どうやって売ろうが、だれにも何も言われません。

 

ということは、経営者は自由に決められる反面、悩みも尽きないとも言えます。

が、僕はまだあまりそういうこともわかっていなかったので、かなり楽観的でした。

「宝くじ売り場に並んでいる人は、だれひとりとして、ハズレるなんて思っていない」というような心境に近いかもしれません。

何を売ろうが、バカ売れすることしか考えていなかったので。

自分のお店をはじめて、将来的には全国展開!

 そこで、まずは全国展開されていない業種を考えてみました。

すると浮上してきたのが、自転車屋さんと花屋さんだったんです(当時は大手が参入していない業種でしたが、現在はいずれも全国展開の大手企業があります)。

大手がやっていない、これら2つの業種のどちらかにしよう、そんなふうに考えました。

そして、たまたま幼なじみの先輩が茨城県で花屋をやっていたので、とりあえずいろいろと教えてもらえるだろうということで花屋に決定。

ここまで3日間くらいで決まりました。

 

次に、どんなお店で、どんな価格帯で売っていくかを考えなければなりません。

これは1分くらいで決定!ちょうど不景気で、あちこちで安売り店が流行っていたということもあり、安売りの花屋にすることにしました。

覚えてもらいやすい店名にしよう!

 激安の花屋だから「ゲキハナ」。

ということで、これも1分で決定!

 

ここまで決まったら、あとはお店の場所をどうするか、ここが一番の悩みどころです。

「交通の便がいいところにお店があったほうが?」「土地勘のある場所にお店を構えたほうが有利ではないだろうか?」と、そんなことを考えていたら、自ずと地元の住宅地という選択肢にたどり着きました。

手ごろな物件がちょうど空いていて、家賃も10万円とそこそこです。

すぐに契約をして、内装の工事に入りました。

ただ、「工事」と言っても、お金がたくさんあったわけではないので、ほぼすべてを自分でやることにしました。

次に、お店のロゴを決めました。近所の子に「チューリップ描いて~。目と口も描いてね!」とお願いして描いてもらった絵がなかなかよかったので、それを使うことに。

看板屋さんに発注して、ロゴと店名と「激安」という文字が入った大きな看板をつくってもらいました。

配達と仕入れ用と、2台の車が必要になり、まず今まで乗っていた軽自動車を配達用の車にしました。

そして500円玉貯金で30万円くらい貯めていたので、仕入れに使う花の苗などを載せるトラックを賈うために、そのお金を持って車屋さんへ。「これください♪」的に中古の軽トラックを1台購入。

 

 

 

経営者は「 決める 」のが仕事

 

独立するためのある程度の段取りが整い、会社に辞表をサクッと提出することにしました。

西村社長に「独立したいので会社を辞めたいんです」と素直に言うと、多少引きとめられるかと思いきや、「いいタイミングかもね。がんばるのよ!」と気持ちよく受け取ってもらえました(もしかして、社長もこの業界が長くないことを薄々気づいていたからかもしれません)。

会社を辞め、茨城県の花屋をやっている先輩に電話をして、「1か月だけ花屋の仕事を教えてください」とお願いしました。すると、快く「いいよ!」という返事をもらったので、1か月間、泊まり込みで花屋のことを学びました。

 

1か月後、茨城から戻り、次にオープンする日を決めました。

それに合わせてオープンを知らせるチラシをパソコンでつくりました。

そして、チラシを新聞に入れてもらうよう、新聞屋さんに駆け込んでお願いしました。集客の準備もほぼOK!

さらに、オープニングスタッフも募集しなければなりません。お金も余裕がなかったし、時間的にもゆとりはありませんでしたから、知り合いに声をかけて、パートで働いてもらうことにしました。

 

なんだかトントン拍子にすべてがうまくいき、「僕って経営者に向いているんじゃ                   

ないか?」「もしかして、時代の先端を行く若き経営者とかいって、有名になってしまうんじゃないだろうか?」なんて思いました。昔読んだ有名な経営者の本の一節には「経営者の仕事は決めることだ」とか書いてあったのを思い出しました。              

 

そうか!    これか!

 

自分ですべてを決めることができるのって最高!  

「もしかして、僕は経営者になるために生まれてきたんじゃないだろうか?」とすら思いました。

家に帰ると、またメモが机の上に……。

 

「安売りはたくさん売れても、儲からないよ。よく計算して、しっかり利益が出るように見極めてやったほうがいいよ」

 

なんだ、今回のメモは、よく経営の本とかに書いてありそうな説教か。

そんな「べき論」より、僕には目の前にやらなければならないことが、たくさんあるんだ。

明日はオープンだし。メモをくしゅくしゅと丸めて、ゴミ箱に捨てました。

 

 

 

 

給料はだれが決めている?

天と地と

 

いよいよオープン初日です。

僕は10時開店の2時間前にはお店に入って、緊張しながらあれこれ準備をしていました。

開店30分前には、お店の前は人だかり。「激安チラシの効果ってすごいんだな!」と思いました。

やっぱり、これには豊丸自動車の販売会社時代の経験が活きています。

安くすればお客様は買ってくれる、と。

ただ、豊丸自動車の販売会社では、安く仕入れて高く売るだったけれど、それではお客様に申し訳がない。安く仕入れて安く売るというのがポリシーです。

 

お昼時の1時間くらい以外は、閉店するまでずっと行列が続いていました。

やっぱり広告の効果っていうのはすごい!

教材の販売会社の西村社長は広告を出さないぶん、社員に還元するとか言っていたけれど、売れなければただの理想論じゃないか。そんなふうにさえ思いました。

僕は広告を使って、どんどん売上を伸ばし、売上を上げていくことで儲けるぞ!

 

この日は、お店に陳列した商品のほぼすべてが売り切れる勢いでした。

閉店後、レジを締めると売上は20万円。

この売上が毎日続けば、僕の独立は大成功!単純計算すれば1か月で600万円です。

ただ、この売上から、仕入れ代金、さらに新聞の折り込みチラシの10万円、オープンのときに手伝ってくれた母親をはじめ、駆けつけてくれた茨城の先輩、パートさんのお給料も払わなければなりません。

ま、たくさん売れれば、それもごくごく一部だろうと、たかをくくっていました。

しかし、オープンから数日がすぎると、何もなかったかのように、行列はまったくなくなりました。

1か月がすぎ、月間の売上を出してみると、100万円ほど。

来月の仕入れやチラシ代や家賃や人件費、そして、電気代やら電話代など、諸々を払うと10万円ほどしかお金は残りませんでした。

 

 

 

ええええええええ! 今月の僕の給料10万円!?

何か間違っているんじゃないかな?

 

全然儲からないじゃん!

 

 

 

経営者は「 給料の天井 」がない反面 、「 底 」もなかった

 

何かがおかしいと思いながらも、その理由はわからず、もっと売れば儲かるんじゃないかと思いながら、日々をすごしていました。

 

僕の1日はざっとこんな感じです。朝5時に起きて市場に仕入れに行きます。

「どんな花が売れるか?」を考えながら仕入れをします。

その後、お店に戻ってきて開店準備。商品を並べたり、花にお水をあげたり。

お釣りがなくなれば、銀行へ両替に行き、配達を頼まれれば配達をし、営業が終わればレジを締め、月末にはパートさんへのお給料を準備。

 

夜は夜で、「今後どんなふうにお店を盛り上げるのか」を考えました。

また、いつでも営業しているお店には、お客さんがたくさん来てくれるだろうと、年中無休を掲げてしまったため、いっさいのお休みはありません。

そんなこんなをしていても、赤字になってしまう月も出てくる始末です。

お金持ちになることを夢見て独立したはいいものの、やることはたくさんあるし、忙しいし、朝起きるのが早くて眠いし、休みがないから疲れるし。

年中無休なので、元旦からもちろん営業開始。

でも、元旦から花を買う人は1人もいませんでした。お客さんゼロ。やらかしてしまいました。

 

僕が勤めていた学習教材の会社では、僕は売るだけでよかったのです。

ただただ、お客さんのところへ行って、売るだけで、売上のあとは、会社が全部やってくれたんです。

 

20%が給料としてもらえたんです。

 

でも、今はというと、1から10まで全部自分でやって、あちこちにお金を払って、最終的に残るのは、売上の10%もないありさま。

今の僕の給料はどうなっているんだ?そして、ある一定以上の売上が出せなければ、給料はゼロ。

 

お客様が来ない日がずっと続いたら、給料がゼロどころではなくて、むしろ借金がどんどん増えてしまうじゃないか。夢みたいなことを考えて、意気揚々と独立したはいいけれど、すごく貧乏になっちゃった。

かけた分の労力が全然報われない。もちろん、教材販売の歩合制の営業マン時代も、いくらがんばっても売れなければ、歩合はゼロ。それは同じなんだけれど、何かが違う。

モヤモヤしたものが、心の隅っこに残ったまま、時間だけがただすぎていきました。

 

帰りじたくを済ませ、車に乗り込むと、ワイパーのところにメモが……。

 

「どれだけがんばったかも大事だけど、どこで何を売るのかも大切だよ」

 

うーん。どういう意味だろう。いまだかつてないくらい、がんばっているんだけどな。

これって、売る場所を変えたほうがいいってこと?もっと駅の近くのほうがとか。それとも、なんだろう?

 

 

 

 

社員の給料を上げたくても 、上げられないワケ

素直になれなくて

 

お店を開いたものの鳴かず飛ばずだったため、メモにあった「売る場所」というヒントをもとに、当時話題になっていたネットショップも開いてみました。

すると、それが大当たり。結局、実店舗は閉めて、ネット販売に注力することにしました。

ネットショップの売上は大幅にアップして、売上が増えれば増えるほど、仕入れの量もガンガン増えていきます。

それにともなって仕事量も増えていきます。仕事量が増えると、人手が足りなくなっていきます。

その結果、スタッフをどんどん雇っていくことにしました。

 

会社には僕を含め8人のスタッフがいました。社員が4人、アルバイトが3人、そして僕の計8人です。

花屋は体力仕事も多く、けっこうきついのでみんな大変だったと思います。

そんな環境のせいもあってか、スタッフからは少なからず不満も出ました。

たとえば、「私のほうが仕事ができるのに、なぜあの人と同じ給料なの?」というのも。

実際にスタッフの中には、できる人も、そうでない人もいるわけです。

できる人は昇給させたいと日ごろから考えていましたが、一度昇給させてしまうと、下げることは容易ではありません。

それに、1人を昇給させるために、ほかの人を減給するわけにもいきません。

だから、会社のお金にゆとりがないと、なかなか昇給させることができないんです。

「キミを評価していないわけではないよ。とてもがんばっているのは、とてもよくわかっているよ」と社員たちにはいつも伝えていました。

 

 

 

変わらぬ想い

 

僕の会社は、仕入れた商品の支払いのタイミングが先に来て、クレジットカードで決済したお客さんの売上代金は、翌月に振り込まれてくるというしくみです。

ですから、売上が上がり続けている以上、手持ちの資金が足りなくなります。

そのために、銀行から「運転資金」という名のお金を借りて、会社のお金のやりくりをしました。

会社の規模が大きくなればなるほど、資金繰りや投資をどんどんしていく必要が出てくるんです。

と同時に、銀行からの借り入れも増え、自分の給料を上げるゆとりを持つことができない状況が続いていました。

ただ、銀行口座の「ある一瞬」だけを切り取れば、手持ちのお金がたくさんあるように見えます。

でも、入ってくるお金も大きければ、出ていくお金も大きい。早い話が、動かしているお金が大きいだけ。

会社は、銀行から借りたお金で経営しているようなものでした。

その年の決算書だけを見ると黒字の状態だったのですが、会社が成長すればするほど、お金が足りなくなるという、不思議な状況でした。これを僕自身は理解できずに「なぜお金がたまっていかないんだろう?」と悩んでいました。

でも、お金が残らないことよりも、会社は肌で感じてわかるほどのスピードでどんどん成長していたので、そこに満足感や充実感を覚えました。やればやるほど規模が大きくなっていくあの感覚は、麻薬的に僕の感覚を支配しました。

 

会社の規模はどんどん大きくなっているのですが、情けないことに会社が黒字体質になっていないので、そうやすやすと社員やアルバイトを昇給させることができませんでした。

「それは経営者の怠慢だ!」と言われればそれまでかもしれません。

もしも、この状態で昇給させようとしたら、銀行から借り入れたお金で昇給させるという方法になってしまいます。

だから、「(給料を上げたいけれど)もうちょっと待っててくれな」「ちゃんと評価してるから、(昇給を)考えているから」とスタッフには伝えました。

スタッフは社長である僕に対して具体的に文句を言わなくても、「社長の懐に全部お金が流れているんじゃないか?」「社長が独り占めしているんじゃないだろうか?」と思っている。

そんな無言の圧力を感じるほどでした。

給料や時給を上げるとなると、それは継続的な「約束」になってしまいます。

いつ、会社がしっかりと黒字体質になるのかが見えないなかで、それをする勇気は当時の僕 にはなかったんです。

「ゆとりが出てきたら、みんなの給料を増やそう!」。

そんなふうに思いながらも、どこかで現実を直視したくないという自分もいて、スタッフの心の声に耳をふさぎながら、日々の仕事に没頭していきました。

 

 

 

 

一番実績を出している社員が 、給料が不満で辞めてしまいました

ホット・スタッフ

 

うちの会社には、とりわけ実績を出している社員がいました。

もちろん、ほかの人もがんばっているので、彼だけえこひいきしているつもりはないのですが、彼はだれの目から見ても、ものすごくがんばっていて、しかも結果を出しています。

入社1年目にもかかわらず、朝は僕以外のだれよりも早く出社して、準備をしています。

仕事の効率化を考えて、改善を提案するなどの意見もどんどん出せる人でした。            

彼が梱包する箱の中は、お客さんが注文した商品がきれいに並べられ、クオリティも高く、お客様からお褒めの言葉をいただくことも多くありました。

 

 

 

とどかぬ想い

 

ある日、仕事が終わり、日も暮れた夜のことです。一番仕事ができる彼から、直接相談を受けました。

 

「この給料では食べていけないし、結婚もできないです。だから辞めます」

 

それを聞いて、とっさに僕の口から出たのは次の言葉です。

 

「キミは、まだ1年目だよね? 僕はとても期待しているし、評価もしている。

ただ、それは『うぬぼれ』だよ。頭を冷やしたほうがいい。そして、もっとうちを儲けさせてくれ。そしたら、給料を上げることができるよ」

 

が、そんな僕の言葉をさえぎるように、彼は辞表とともに、こんなセリフを残して辞めました。

 

「社長は僕から搾取しようとしています。僕は辞めます。お世話になりました」

 

彼が辞めてしまったことはショックでした。

でも、本音を言えば、たしかに彼の満足いく給料を出せるまでの甲斐性は、うちの会社にはありませんでした。

この先、いつ給料が上がるかわからないことが、将来の漠然とした不安につながるのは当然のことです。

辞めていく彼に、僕は「がんばれよ……」としか言えませんでした。彼が辞めるのは、野球で言うなら、チームに絶対不可欠なエースで四番の選手を失ったくらいの損失です。

途方に暮れながら家に帰る途中、なんだか心がざわつくのです。彼の言った言葉がどこか引っかかるのはなぜなんでしょうか?

 

 

 

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