「限りなく透明に凛として生きる」 | 物語の庭

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カフェと図書室、わたしの人生。

昨日は
堺市で行われた佐藤初女(はつめ)さんの講演会と分かち合い
ーイスキアの集い『「今を生きる」"いのちと向き合う"』ー
を聴きに行ってきました。


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日本のマザーテレサと呼ばれる佐藤初女さん、失礼ながら全く存じ上げませんでした。
父がこの方の本を読んで、行きたいとのことで誘われてついて行ったのでした。

しかし94歳の初女さんを前にして、
紹介DVDなども素晴らしくて、
ううん、すごい。
こんな人がいるのかと、

集まっておられた方々の、
初女さんにお会いできた!という感動には程遠いまでも、
何かしら、感じるものはたくさん得て帰ってきました。



初女さんは
青森に「森のイスキア」と称する悩みや苦しみを抱えた人たちを受け入れ、
共にご飯を食べ、お話を聞く癒しの場を主宰されています。

「森のイスキア」が出来る前は、ご自宅で苦しみを抱えた人を受け入れ、その数は700人にものぼったとか。

訪れた人のために、
丁寧に作ったご飯を一緒に食べ、そばに寄り添って話を聞いてあげる、
それだけで、苦しみを抱えた人は元気になって帰っていくそうです。

初女さんは苦しんでいる人の話を聞いても、自分からは何も言わない。
抱えている問題を話しているうちに、苦しんでいる人自身の中で、問題が整理され、答えに気付くのだそうです。



そういえば、ここのところ忘れたような気になっていましたがあせる
私自身も、
森のイスキアを訪れる人たちのように、
心の苦しみを抱えた時期が長くあって、その時のことを、ふと思い出しました。

その時わたしは若干17歳で、自分の心の闇を抱えて誰にも言えず、1人で苦しんでいたのですが、
あの時、誰か、初女さんのような人に
自分の話を聞いてもらいたかったな、と思いますね。

わたしがどうやってその苦しみを抜け出したかというと、
数年悩んで悩んで苦しみ抜いた上で、そのことをひたすらブログ(今はなきブログですパー)に書いたのですが、
それがきっとよかったのだと思いますニコニコ

誰かが自分の話を聞いてくれる(読んでくれる)、
それは癒しなんだなぁってブーケ1

いまは、なんだかトンネルを抜けたように明るい気持ちで生きていますが、

あの頃があっての今の自分だし、
あの頃の自分を知っていてもなお友達でいてくれる周りのみんなには感謝しかないし、
そういう気持ちを大事にして
今後の人生では、なにか人のために、という生き方をしたいなと思うことがあります。
 
それでも、
人のために生きることが素晴らしいこととわかっていても、
やっぱり自分というものは捨てきれない。

やっぱり自分をわかってもらいたいし、受け入れてもらいたい、という気持ちがあって、
どこまでも人のために、自分は透明になるのだという初女さんの境地には、
わたしにはまだまだとてもたどり着けないなぁと思います。


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「限りなく透明に凛として生きる」
佐藤初女 著
ダイヤモンド社

帰ってから、父に借りたこの本を読みました。

人が透明であるというのは、どういうことか。

能率や効率ばかりが求められる今の世の中で、
「わたしはこういう人間ですよ」というふうに、
自分というものが先になっている。

こうした"自分"というものを抜け出し、
透明になって生きれば、人をまるごと受け入れられるようになる、
透明になるとほんとうに生きやすいんですよ、と語られる初女さん。

昨日の講演会に行っていなければ、
きっとこんな言葉も素通りしていたでしょうね。

すべて理解できたわけではないですが、
ほんとにすごい人だと思います。
他の著作もまた読んでみたいなと思いました。



それではまた音譜