電話も出来なかった吃音持ちが数百人の前でMCができるまで2 | アクロバットパフォーマーの9割が勇気。

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僕!声優になります!!




あかん!!お前は体操のお兄さんや!!!



17歳の時僕は漫画家になろうと絵を描いていた


絵自体は小さい頃からあちこちに描いたりしていた


よく新聞に挟まってる広告チラシの裏面やカレンダーの裏に描きまくってた


吃音はさらに酷くなっていた


ついに母音(あ行)も言いにくくなっていた



あ行は口の中の舌を使わず口の形だけで発する音なのでこの音たちが出ないとどうしようもない


と当時は思っていた


そして何より難関だったのが



自己紹介


奥村睦巳



そう!


くむらつし


僕自身の名前の初めには


母音が入ってる


終わった‥‥


意識すればするほど喉や口の中、さらに胸にも力が入って


息が詰まったような音しか出なかった


自己紹介の場面はそんなに来ないんじゃないかと思われるかもしれないが


そうでもない


当時は携帯電話もなく


一家に一台あった離れた場所でも人と会話できる画期的科学の結晶


家の固定電話



誰からかかってきたのかもわからないし自分からかけた時にはしっかりと名前を言わなきゃいけない


これが地獄だった



おおお‥‥おっおおおおく‥‥おおおお



とりあえず名前が言えない


電話に出た相手も誰だかわからないまま受話器の向こう側で


おおお‥‥っおっおく‥‥


って言ってるから怖かったに違いない


この時間が嫌で仕方なかった


出なきゃいいじゃん!!

って思うかもしれないけど、極力出なかったけど、家には自分だけしかいない時もある。


だから僕は漫画家になろうとした!


え!?なんで!?

ってなるけど

浅はかさ満点の僕は

漫画家は漫画だけ描いて人と喋らなくてもいいと思ってたからだ

今思っても浅はかすぎる。


さすが僕。



でも日常で毎日毎日苦しみながら家に帰ってくる僕を親は知っていた



僕は今でも自分がきっかけだと思ってるけど


それから母親は仏教徒のお坊さんのところに話を聞きに行くようになった


霊能力をお持ちの方もいらっしゃるみたいでいろんな話をしたり悩みを聞いてくださるらしい


らしいというのは僕はほとんど行かなかった


行きたくなった


そういうのが嫌いなわけではなかったが



僕の吃りが消えるように祈る母親の姿を見たくなかった


申し訳なさすぎてあんたも行きなさい!と言われても反発するように首を縦に振らなかった


数ヶ月経った時


僕は漫画家を目指し短編を描き続けながら部活でやっていた徳島県唯一一つしかない男子新体操をやっていた頃


金曜ロードショーで


もののけ姫が再放送でやっていた


僕はその時に初めて見たんだと思う。


衝撃だった‥‥



あ‥‥


アシタカ‥‥



アシタカ‥‥



かっこよ!!!!!


僕はアシタカに惚れた!



めちゃめちゃカッコいい!


その時に声優さんの存在を知った。


この人みたいになりたい!


そして母親のこの姿を見たくない!



吃音を治そう!!



これが僕が吃音を治そうと地元徳島県を出ようとしたきっかけが繋がった瞬間でした