澤村翔子とマリア・ラドエヴァ | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます


この二人が共演したFM放送を聴きました。

FMぐんま 群響アワー 2012年10月11日 午後8時00分~午後9時55分 群馬交響楽団
第484回定期演奏会「スターバト・マーテル」


ホストとゲストが出演者についていろいろ喋る訳ですが
プライバシーについての日本人の考え方にまた不思議な感覚を覚えました



喋っているホストとゲストは群響のスタッフと演奏者です。
出演者と一緒に仕事をしたわけですから
出演者の事はよく知っています



そうしたら

マリア・ラドエヴァが今回の指揮者の奥さんであること
彼女が二十代であること
ご主人と10歳以上歳が離れていること


などを話すのです。

しかも他にも「自分だけが知っている」ことをスクープのように話してしまう。


これって、プライバシーではないのか?
公開していいものなのか?


日本人て、「外国人は日本人とは扱いが違う」
と思っている人がよくいます。

日本人には失礼な事も
外国人にはそうではない。




何故なのか? とよく思う。

人間ならみんな同じではないのか?




マリアさんは実は私の個人的な友人です。
(以前書いたTatiana Trenoginaさんの友達)

彼女は facebook でも五歳の子供がいる事を公開しています。

それを群響のスタッフが知っているのかどうか不明ですが
日本人の出演者について
「澤村翔子は誰々と結婚している」などと言うでしょうか?

澤村翔子は結婚しているかどうかを公開していません。

しかも自分が独身であるかのような事をコンサートで言います。

『もしお見合いとかする時もあんまり(趣味は)ごろごろすることですとは言えない感じなんですけども』(2012.10.20二期会マイスタージンガー公演 歌の花束 大田区民ホール・アプリコ)


日本では独身じゃないと人気が取れないという文化もあって、
芸能人が身上を隠す(意図して言わない)のは世間的に認知される事のようです。




なぜこのように違うのだろうか?
文化の違い?





好きじゃないな~そういうの。

文化と呼んでいいのだろうか、そういうの。



その人が独身だからファンになるっていうのは日本的な子供染みた考え方だとつくづく思います。


この国は こどもの国 だから仕方ないのか。



マリアと澤村翔子@群馬音楽センター
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