九州の、名の無い普通の人々の生き様。
◇岩下俊作選集 第一巻◇
岩下俊作
1.無法松の一生(富島松五郎伝)
2.対州まだらの唄
3.邂逅
4.辰次と由松
5.犠の牛
6.蘇秦と張儀
7.マゼラン
8.算額問答
9.防塞落ちて
10.文覚
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月組公演
昭和57年(1982年)3月31日〜4月12日[バウホール]、58年(1983年)2月4日〜2月7日[東京・有能と簡易保険ホール]、58年2月9日〜2月10日[福岡サンパレス]、58年2月15日〜2月16日[中日劇場]
バウ・ミュージカル
『永遠物語』2幕
ー岩下俊作・作「無法松の一生」より
草野旦 脚色・演出
九州小倉の俥引き、富島松五郎(榛名由梨)は「無法松」と異名をとる乱暴者だったが、心根は優しく、純粋な心の持ち主だった。吉岡家に出入りするようになった松五郎は吉岡大尉が急死した後、吉岡夫人(条はるき)への思慕を押し隠し、その息子敏雄に素朴な愛情を注ぐ。しかし成長した敏雄は松五郎から離れていくのだった。宝塚での舞台化は冒険家と思われたが、大成功を納めた意欲作。
月組公演
平成10年(1998年)7月30日〜8月9日[バウホール]、11月28日〜12月7日[東京・日本青年館]
宝塚バウホール20周年
バウ・ミュージカル
『永遠物語』2幕
ー岩下俊作・作「無法松の一生」より
草野旦 脚色・演出
九州小倉の俥引き、富島松五郎(榛名由梨)は「無法松」と異名をとる乱暴者だったが、優しく純粋な心の持ち主だった。吉岡家に出入りするようになった松五郎は吉岡大尉が急死した後、吉岡夫人(風花舞)への思慕を押し隠し、その息子敏雄に素朴な愛情を注ぐ。しかし成長した敏雄は松五郎から離れていくのだった。昭和57年3〜4月初演、昭和63年7月に再演された名作。初の試みでOGの榛名由梨が現役生徒と共演、感動を蘇らせ、バウホール20周年記念作4作の最後を飾った。
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「岩下俊作選集 第一巻」です(・∀・)
宝塚歌劇団は漫画で全国人気になったのである意味映画作品を舞台化するのはあまり怖いことではありません。そこらよりもずっと人の作品を脚色するのが上手です。
しかし宝塚歌劇団は夢を描いて華やかに!でナンボなのでいくら映画が名作と言えども同じ昭和の庶民の生活を描いた「無法松の一生」を宝塚でやるって冒険だったと思います。お世辞にもキラキラはどこにも無いし……そして舞台写真を見てあれ、「主演の人、男の人じゃん?」と思ったのはここだけの秘密です←アホ
「無法松の一生」もとい「富島松五郎伝」は岩下俊作(1906〜1980)の小説で直木賞候補にも選ばれました。無法松と呼ばれた乱暴者の最初で最後の愛が飾り気は無いけど気持ちよく書かれていて吉岡夫人の人柄も知れます。無欲に徹しているところのどこに心の汚さがあるのさ……敏雄のあれは……思春期特有のやつだよね。学問で身を立てようと思うと体育会系がどうしても苦手になってしまう……でも敏雄にも伝わっていたと思うんだ……
あとの9作品は2.3.4が有田辰次の目指せ立身出世もの、5から10は古代中国、大航海時代のヨーロッパ、江戸時代、平安時代後期を舞台に歴史物です。4は直木賞候補にもなりました。5は死ぬ直前の諸葛孔明が主人公で劉備たちに感じていた距離感と軍師としての意地とプライドが書かれていて三国志の見方が変わります。10は「鎌倉殿の十三人 文覚ver」。こっちの善児ポジは悔いて悔いて今にも死にそう←
「岩下俊作選集 第一巻」でした(・∀・)/
最後は、あんなことになってしまった。でも最初は楽しかったのだーーー(*^o^*)/