偽ヘイト活動開始宣言 | 合田ケムリのブログ

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不肖合田ケムリ五十一歳老害、ろくでなし子クラスタ不眠三銃士の一員であります。無駄に長生きしましたんで、色々話して行きますよ。

〇偽ヘイト活動開始宣言〇


そもそも、俺には生まれつき人権などは与えられてない。


毒オカンが俺を妊娠していた時に、毒糞親父が他所に女を作り、毒オカンは、離婚しようかするまいかと悩み、結論として、こう決めた。


毒オカン「アタシが今つらいんだから、産まれて来るこの子に、万国共通の嘆きの叫び声【あい】と名付ける。」


その事で、丸亀のたまえお婆ちゃんと、壮絶な口喧嘩をした。

だが、俺の人権を守ろうとした、たまえお婆ちゃんの言い分など、キチガイの毒オカンに通用する訳がない。


四国香川県丸亀市に、俺の出生届が出された時点で、俺には、毒オカンの怨みと呪いがこめられていた。


しかもその上、産まれてすぐに、毒糞親父が俺の唇を奪い、


毒糞親父「あいちゃんのファーストキスはパパのものだからね♡」


と、高らかに勝利宣言し、俺を生まれつきの傷者にした。


毒オカンは、俺の処女膜を守る事を生涯の使命だと決めてから、被差別部落に引越し、杉並区文化圏の俺は、其処でまた、壮絶な村八分と虐待を受ける。


新卒で入社した会社は、有り得ない程のブラック企業で、俺はイビリ倒されて、完全に睡眠障害と鬱病の廃人となったが、誰もその責任などは取らない。


俺に人権などは与えられていないからだ。


生々流転。


野方に住んでいた頃、ランチを食いに行く店に、大槻ケンヂがよく来るのを見ていた。当時、精神科に通っているというだけで、もう周り中からモロに差別される様な時代だったのに、大槻ケンヂは、テレビや雑誌などのメディアで、こうカミングアウトしていた。


大槻ケンヂ「僕はノイローゼになって、精神科に通っています。」


俺は、泉麻人の冗談画報の頃から、筋肉少女帯と大槻ケンヂを見ていて、ファンだし、アルバムも当然買って聴いているし、大槻ケンヂの本だって、沢山読んでいる。


その大槻ケンヂが、ノイローゼをカミングアウトしたのだ。


まあ、俺もエロ絵師になった時、全ての病をカミングアウトして、表現規制反対派活動をやり始めた。


俺「大槻ケンヂと、鬱病友達になりたい。」


はい、詳細はこちら。

http://chemlyn.web.fc2.com/aida/ojou/OJOOU0016.html


こんなに延々と虐待され続けたこの俺を、生まれて初めて、人間扱いしてくれたのは、大槻ケンヂその人に他ならない。


だが、四ツ谷に別居して、お大尽遊びに耽ってやりたい放題の毒糞親父が脳内出血で倒れて救急搬送され、しかも、自宅介護する事になったから、という理由で、俺はまた、被差別部落に四年間軟禁された。

その間ずーっと、毒オカンの痰壺。


大切な大切な病気友達の大槻ケンヂに、別れの言葉を交わす暇すらなく、俺は突然、あの子の視界から消えたのだ。

そして、十五年も十六年も、会っていない。

そんなの、もう、赦して貰えなくて当然だ。


生々流転。


俺への虐待は、延々と続いた。


ろくでなし子さんのぱよちん騒動をキッカケに、なし子さん周りの、俺を人間扱いしてくれる人たちとの出会いがようやく訪れた。


だが、その幸せも束の間。


俺は、俺の霊能やパソコンの技能を利用するだけし尽くして置いて、少しでもこちらの意見を言ったら、人脈から切られて、向こうが明らかに悪いのに、表裏口コミ全ての場で高らかに勝利宣言されて、「エセ」「手のひらで蟻が叫んでるだけ」と、複数からディスられている。


ってか、それ以前にも、俺の事をさんざっぱら虐待して来た連中が数多いる。


今後、具体的にどういう虐待を受けたのか、そして、ソイツらの方がよっぽど、肥溜めのアブク立ててるゲロ程度に過ぎない癖に、俺から人権を奪い、どれだけの道具扱いをして来たのか、詳細に書き綴って行く。


ってか、俺が死ねば、みんな平和に暮らせるんでしょう?


だったら、俺が死ねばいいんだよね。


不肖合田ケムリ五十一歳老害。


コレが始まり。ホンの序章。

↓続きネ。

偽ヘイト活動大槻ケンヂ編第一回

偽ヘイト活動大槻ケンヂ編第二回

偽ヘイト活動大槻ケンヂ編第三回

偽ヘイト活動大槻ケンヂ編後日譚