僕は無宗教です
神様の存在なんて全然信じていないひねくれもんです
そのくせ正月には神社でお賽銭を入れて神様におねだりし、嫌な出来事があると神様のせいにする
そんな矛盾に薄々気づきながらも無宗教だと言い張っています
でも宗教に関わっている人の事は全く否定しません(一部のカルト宗教以外)
むしろすばらしいものだと思っています
それはその宗教の教え・方針がどんなものであろうとその人が何かを
「本気で信じられる」
「心のよりどころがある」
その事自体がその人の人生、生活に何らかのプラスになっていると思うからです
困難にぶち当たってもプラスに転換しやすいと思います
これまで旅してきていろいろなものを見てきました
マヤ文明、マチュピチュを造ったインカ帝国、1000体ものモアイ像を造った耳族、キリスト文化、イスラム文化…
人の力では到底不可能だと思われるような事が実際人間の手によって行われました
最初は「こんなのやらなきゃ殺すとまで言われなきゃできないよな~」なんて思いましたが、やっぱりそんな負の力では絶対無理だと思いました 暴動おきるし
「本気で信じる」
そのパワーは奇跡のような事も起こす力があるように思います
それは言い方によっては「洗脳」という言葉がひとつあるかもしれません
本気で信じる事で脳をトランス状態にし潜在能力を引き出す
それはプラスに働けば心理学的、脳科学的にも有効だと思うし、素晴らしいことだと思う
そういう意味では自己啓発も一緒だと思います
これは悪い意味ではないです
実際僕も自己啓発本(ビジネス書やいわゆる成功者と言われる人の哲学書など)何冊も読んだことありますし、それによってプラスの考え方が身に付いたのも事実です
それにまだ読みたい本もいっぱいあります
しかし宗教にしろ何にしろ一番怖いのは
「それだけが正しい」
これがほんとに怖いです
争いは全てここから始まってるんじゃないかと思う
これは宗教に限ったことじゃなく全ての考え方に言えることかも
仕事や人づきあい全部
特に今の職業はいろんな手技や派閥があって各々が他を受け入れない
むしろけなしあっている場面をよく目にします
他を否定することで自分を正当化しようとする防衛反応は先輩から後輩へと受け継がれまだ何も学んでいない新人の可能性を潰します
話がそれちゃった
とにもかくにも
「他を認める」
平和があるんだとしたらこれなくしては有り得ない
ひとりとして同じ人間はいない
同じ人間である必要はない
そう思います
宗教であれ自己啓発であれ、必要な人もいれば必要のない人もいる
これも正しいし、あれも正しい
僕は自分に枠組みを作らないことでいろんな事、いろんな考え方を吸収して成長していきたい
そしてできあがっていく自分の考え方に「信じる力」が宿ればいいなあ
っていうひとりごとでした
最後まで耳を傾けてくれた方ありがとうございました!