エキスパートアイズのブログ -7ページ目

景気や経済しか頭にない人は下品に見えてしょうがない

今日初めて行ったケーキ屋さん、どれも250円〜350円で、近年稀に見る良心的な価格。味は飛び上がるほど美味しい訳ではないが、私好みの甘さ控えめ生クリームのショートケーキをはじめ、どれも素朴でまた食べたくなる美味しさ。
それより何より気に入ったのは、一人で切り盛りするお店のお母さんが、「(良心的価格なのは)自分が食べていけるだけで十分だから」と言った謙虚な姿勢。みんなに美味しいと喜んでもらえるなら、自分が特別贅沢する必要もないし、不要なお金を溜め込む必要もない、高級な店舗だっていらない、したがって、それらがケーキの値段に転嫁されていないので、非常に良心的な価格を維持できるということですね。
もう何十年も続くお店のようだから、すっかり庶民に愛されていることが、よくわかりました。

我が国の首相は、相も変わらず年頭から「景気対策が最優先」と叫んでいた。またか、こいつ、それしか頭にないのかよ。バカの一つ覚え。しつこいわ。
景気、景気、経済、経済って言い続けるけど、果たして国民のどれくらいが自分達が犠牲になってまで景気を良くして欲しいと願っているのか?

景気が良くなると得をするのは、政府行政癒着企業と、そこからがっぽり袖の下をもらえる政治家や官僚と、株価や不動産が値上がりして投機利益を稼げる大金持ちと投資家ぐらいでしょ。
バブルが終わり、一般庶民は実に質素な生活が習慣となり、もはや贅沢なんてぜんぜん関心ないようだものね。今のご時世、爆(バカ)買いや身分不相応な贅沢に走るのは、急に経済だけが成長してお金を手にした中国人と東南アジア人だけでしょ。こう言っちゃ悪いが、彼らはお金はあるかも知れないが、知性や教養レベルがまるで追いついてない。だから贅沢の仕方が下品に見えてしょうがないのです。かつてバブル期に日本人がヨーロッパでブランド漁りをして現地人から冷ややかな目で見られたのと同様に。

贅沢は敵とまでは言わないが、品のある人は、身の丈に合った生活を送り、贅沢していることを決して見せびらかさない。
それに、お金を持ってることや贅沢三昧することよりも、知性や教養を高めることがずっと重要だとわかっている。
お金と品性、どちらを選ぶかといえば、私なら絶対に品性を選ぶ。だって、下品な金持ちなんて見るに堪えないもんね。

知性がなく経済ばかりを重視してきた人がトップに立ってしまった国、アメリカ。大統領就任を目前に、各方面から批判されれば口汚い応酬でメディアにアピール。もう見苦しいったらない。あれが世界一を豪語する先進国の代表か?アメリカ人は情けないと思わないのだろうか?
とかく経済ばかりを重視する人は、まず自分の儲けを最優先に考えている。そして自分に金銭的利益をもたらしてくれる人を優遇し、なんら利益をもたらさない存在には慈悲のかけらもかけずに排除するか無視する。
日本もこの数年でその傾向が随分強くなってきましたね。いったい誰のせいでしょうか。

さて、最近私は随分と清貧に徹してます。
貧乏だからね。と言っておけば喜ぶ人を数人特定できますがね。私が幸せでいると気に入らなくて、不幸だと大喜びする人を、石川県内に5人ほど。そのうち名前を公表してやるわ。
と、この話をするとすぐに脱線して恨みつらみ延々と言ってしまうので、今日はすぐに軌道修正。
清貧の話でしたね。
例えば、洗い流さないヘアトリートメントとワックスが切れてしまい、代わりに今はハンドクリームとベビーオイルを髪につけてます。ヘアトリートメントぐらい買えばいいんだけど、貧乏だから買えない…訳じゃなくて、ハンドクリームが家に大量にあって使い切れないから。もともと無精者なのでスキンケアが面倒くさくて、もらいもののハンドクリームやフェイスクリームがどんどん溜まっていたのです。しかし、人生の先が見えてきた今、この調子でいくと溜まったクリーム類を生きているうちに使い切れないこと必至。それはマズイ、と思い直して、放置されていたクリーム類の有効活用に徹しているわけですね。
以前、ハンドクリームは革製品を柔らかく保つのに有効と聞いたこともあったし、肌に良いなら髪にだって良さそうと信じ、毎日せっせとハンドクリームの消費活動に徹しています。
それから、アムウェイで買った(買わされた)高級ミルクローション。これも乳液はあまり使わない私には宝の持ち腐れで、数回使ったきりずっと放置されていたが、最近ボディローション代わりにガンガン消費してます。顔につけるだけだとなかなか減らないが、全身につけるとなると減りも早い。多少古い化粧品でも、手足なら顔より鈍感だろうから、神経質にならずに塗りたくれる。
他にも、香水はトイレの芳香剤代わりに。高級ブランドだって使わなきゃただのゴミ。私は香水なんて使わないくせにたくさん持っていたので、この際、トイレを高級な香りで充満させることにしました。

捨てずに消費、あるもので済ます。
質素な生活の第一歩のつもり。
わざわざ新しいものを買わなくても、家捜ししたら、代替品がたくさん見つかるからね。それで生活が惨めかと言えば全く問題ない。別に不自由はないし、他人に見栄を張る必要もないことだし。我が国の首相がスローガンにしているように「買って買って買いまくれ」を実践しなくても、生活は支障なく、家の中の眠っていた物品を生き返らせ、気持ちは豊かさを維持できます。
庶民の皆さん、そんなもんじゃないですかね?

最近、捨てられない親世代の荷物整理が流行っているらしいが、その延長線上で不用品のリサイクル市場が活況だと聞きました。
良い事だ!
おおいにけっこう!
新品を買っては捨て、買っては捨ての消費活動によって成り立っているメーカーや業界にとっては許し難い市場でしょうが、エコロジーの観点からも中古市場は非常に素晴らしいと思います。
「エコロジー」ですよ、間違っても拝金主義の首相が言う「エコノミー」ではありませんからね。

中古市場を見てもわかるとおり、人間はよほどバカでない限り、工夫をすればいくらでも節約しながら豊かな生活を送ることができる。しかも、限りある地球の資源を大切にしながら。
使えるものは捨てずに使う。不要なものは捨てずに他人に譲渡する。それでも足りなければ、ようやく新しく買えばいい。
経済を重視しなくても、十分豊かな生活を送れる。
そもそも、なぜ経済を発展させたいのでしたっけ?生活を豊かにするためですよね?ならば、十分豊かな生活を送っている日本人は、もうこれ以上がむしゃらに経済を発展させる必要もないのでは?

もともとエコノミー(経済)とエコロジー(環境)は相反するもの。経済を重視すれば環境は破壊され、環境を重視すれば経済は停滞する。仕方ないことなのです。
では、我々はいつまでも環境を無視して経済を追い求めていけばいいのですか?
違いますよね。生活の場である環境がめちゃくちゃに破壊されてしまえば、経済もクソもない。それを強欲な政治家や投資家はわかってないのです。わかっていても自分だけは何とかなると思ってる。
しかし、知性豊かな日本の一般庶民は、そんなバカに付き合うのはやめましょう。
経済活性は後進国に任せて、我々一歩突き抜けた先進国チームは、もっと余裕の気持ちで後進国を見守り、経済よりも環境保全の方に活動をシフトしましょう。

購買活動は見苦しくて下品で頭が悪い証拠
節約と工夫こそ知恵の見せどころでバカには決して真似できない
そういう概念が、もっともっと日本じゅうに浸透していけばいいのに。


関係を維持したい人とは?

新しい年が始まりました。

あけましておめでとう。

おめでたいかどうかはわからないが、とりあえず言っておく。

 

正月休みが終わり、ようやく平常運転が始まり、嬉しいことが2つ。

 

年末いろいろな行事が立て続いてそのまま年末年始に突入し、ぶくぶく太ってしまったので、家で一人になれるようになり、やっとダイエット再開。おかげで体重はどんどん減っていき、腹回りもすっきり回復。あー、嬉しい。

以前使っていた体脂肪計が壊れたので、今は体組成計を使ってますが、これが目から鱗。

昔の体重計は単純に体重を測るだけだったので、身長に対して体重が重いか軽いかしか判断基準がなかった。そこに体脂肪計が登場し、脂肪率が出るようになり、体重が重くても体脂肪率がそれほどでもなければデブではないとなんとなくわかるようになった。そして現在の体組成計。BMIとか筋肉量とかが出て、もっと細かくデブかそうでないかがわかってきた。私は一般的な女性に比べ体重が多かったのですごく気にしていました。でもこの体組成計の登場で、実は体重の3分の2以上が筋肉であることがわかり、嬉しいことに体脂肪率も内臓脂肪も標準の範囲の低いほうに留まっていることがわかり、体重が重くてもデブではないことが証明されたわけです。

どうりで、体重の割りにそれほど太って見えなかったわけだ。

あー、気分いい!

 

そして、年末年始の奴隷扱いから解放され、ようやく自分一人の時間が復活。

やりたいこと、やらなければいけないことが、ようやく自由にできるようになりました。

本当に、年末年始や長期休暇は、結婚している女性にとっては生き地獄でした。

 

さて、毎年恒例になりましたが、年賀状の整理。

もういい加減出揃ったので、来年のために、友達・知り合い関係の見直しです。

SNSやネットでつながっている友人は、だいたい普段から連絡しあったり直接会ったりしているので、年賀状のやり取りがなくても普通に友人関係を続行。問題なのは、年賀状だけの友人・・・というか知り合いレベルですね。遠く離れていて普段からぜんぜん連絡もしていない人とは、今後また会う機会はほとんどゼロに近いんじゃないかと思うと、もう関係が切れてもいいかなと思うんだけど、そういう人に限って律儀に、しかもちゃんと1日に到着するように年賀状を送ってきてくれる。だから、なんとなく切れない。近くに住んでいてもぜんぜん会っていない人でも、やっぱり送ってきてくれる。じゃあ、その人と再会したいかというと、今さら会って何を話せばいいのか戸惑ってしまいそうで、会うことを躊躇してしまうのです。でも、数年前にもありましたが、10年以上ぶりに再会し、お互いを見つめなおすことができ、それからまた友人関係が深まったというケースも。それに、最近の私は、世界を駆け巡っているわけですので、日本の遠方なんてたかが知れている。要は会う気があるかないかというわけで、これだけ年賀状をやりとりしているんだから、やっぱり会ってみてもいいかな、なんて。

今年のひとつの目標に設定してみようかしら。

 

あ、もちろん切れてしまった人もいますよ。

一昨年あたりから少しずつ。

あれ、あの人から来なくなったな、と不思議に思ってしまう人ばかり。

中に一人、5年前のどん底を理解して一緒に寄り添ってくれた人だったが今年突然年賀状が来なくなって、これはさすがにちょっと寂しかった。でも、しょうがないよね。何か心境の変化でもあったのかもしれない。

ともかく、去るものは追わず、諸行無常。

永遠は続かないということで、バッサリ切り捨てましょう。

 

ところで、「今となっては、こんなに何もない私と、なぜみんな交流を維持してくれるのか?」と、いつも疑問に思っていたのですが、昨年秋に会った人が面白い回答をくれました。

 

その回答を披露する前に、少し。

一人自由な時間を持てたため、今日は久しぶりに古いビデオの整理をしていました。

「白い巨塔」

ああ、懐かしいですよね。

有名すぎて解説不要ですが、私が見たのは唐沢寿明さん演じる新しいほう。

医局の腐敗をテーマに金と権力に心を奪われる人たちの人間関係とそれによって切り捨てられ被害をこうむる弱者を見事に表現しています。

「金と権力」。

これですよね、人間の欲望。

今日見た第1回目からも、いきなり義父役の西田敏行さんがズバリと言っていた。

「人間というのは金ができると次に名誉(大学教授=権力)が欲しくなる。名誉があれば金と人は自然についてくる。だから誰もが名誉を欲しがるのだ」と。

西田さん、あまりにハマリ役すぎて、笑っちゃうほど。上手いですね。

って感心している場合じゃない。

まさに、世の中の90%の人たちが、金と権力に惑わされ、それにひれ伏しています。

それが世の常です。

だからサラリーマンは役職を欲しがるし、社長になれば政治家になりがたるし、政治家は大臣になりがたるし、公務員は上級官僚になって政治家をひれ伏したがるし、警察や検察や裁判所は権力をたてに無辜の国民を不当に裁こうとする。

みんな、お金も欲しいけど、権力さえあれば、怖いものはないと思っているのです。

そう思っているから、権力に楯突く人間が気に入らない。

そうして権力者は気に入らない人間を、何かと難癖をつけ、吊るし上げ、他の人たちが真似して楯突かないように見せしめとして叩き潰していくのです。

 

まあ、そうやって潰された私は、遅ればせながら「世の中そんなもんだろう」と理解したので、だからこそ、こんなに何もないどころか現時点でマイナス要素しかない私なのに、なぜ離れようとしないのか?が不思議でならなかったのでした。

それで、昨年秋に思い切って聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。

「私は今となっては、地位も権力もお金もなにも持たない生きる価値のないただのクズ人間なのに、なぜそんなに支援してくれるのか?」

「それは、君がおもしろいからだよ」

・・・

え?おもしろいから?

ビックリです。

そんな回答をくれる貴方こそ面白い人だ!

この人、ビジネスとしても大成功を収めて、いまや何億(何十億?)という資産を持ち続け、何不自由なく生活できる人です。かつてはそこそこの会社社長で海千山千やってきた人だから、当然、お金に対する感覚はシビアです。なので、私との関係を維持する理由は、きっと「今度は大成功をしてくれるだろう」という投資と期待の気持ちで接していたのだろうと思っていたのでした。

それが、ただ単に「おもしろいから」という回答には拍子抜けした。

 

突き抜けちゃった人というのは、こういう感覚なのだろうか。

 

ともかく、「私との関係を切らずにいる人たちは、どうせ、『今度はうまくやるだろう、成功するだろう』と期待しているだけで、それに答えない(答えられない)でいればそのうち離れていく人たちばかりだ。結局は『傷ついた彼女を支えてあげている』という自己満足と『彼女が復活したときに近くにいれば得をするかも』という計算があるだけさ」と冷めた目で見ていたので、あんな回答をもらって、肩の荷が下り、ずいぶん気が楽になりました。

 

世の中には、こういう物好きもいるんだな。

 

しかし、よく考えれば、私が心から人間関係を維持したいと思うときの基準はどうだったか?

そういえば、金や権力や地位なんかではなかった。

思いやりと誠実さではなかったか?

さすがに「おもしろい」という感覚は意識していなかったけど、人間的に味のある人はやっぱり面白くて好きだし。

いくら金や権力があっても、誠実さに欠ける人、強欲な人、思いやりのない人とは交流したいとも思わない。

先日もこういうことがありました。

一時的に田舎へ帰ることにしたので、その間に会ってくれる人を募集したら、ある仕事を引退した女性が「この日のランチはOK」とすぐに回答くれ予約までしてくれました。その後、半日ちがいで某中堅会社の社長が同じ日時を指定し「そこしか空いてない」と言って来たが、私は先約があり既に予約までしてくれていたので、社長の誘いを断りました。

これがゴマすり人間だったら、一介の引退女性と現役の有名社長を天秤にかけるまでもなく、当然女性に日時を変更してもらい、社長との会合を優先したでしょうね。

でも、私はそれがイヤです。

もし自分がそうされたらどう思うか?

「他の人から同じ日程で誘われたので、こっちの予定をずらしてもらえないかしら?」

なんて言われたら、当然、「ああ、私って大事に思われていないんだな」とすぐに気づきますよね。

そんな失礼なことはしたくない。

「先約があるから、他の日程だとダメか?」というのはマトモな返答。たとえ相手が大手企業の社長であろうが、政治家であろうが。もし、それで「私の誘いより先約を優先するなんて、失敬な!」と怒ってしまうようなら、社長だ政治家だなんて肩書きは立派でも、所詮その程度の小物だということです。

それぐらいに、私は「義」のある人間であり、また、「義」のある人が好きなのです。

 

ただ、世の中はそうではない。

常に「利害」「損得」を計算し、自分にとって有利なほうにつく。

西田敏行さんはドラマの中でこうも言っていた。

「腕だけで上に立てれば、世の中なにも難しいことはない。そこに人間関係が絡んでくるから難しいのであって、それを上手くかいくぐって上に立ってくれると思ったからこそ君を買ったのだ。君に投資をしているのだ」と。(実際のセリフと違うかもしれないけど、だいたいこんな意味)

すごいよねー。

ただのドラマなのに、世の中の生き様をズバリと言い当てている。

そうなのです。

腕の立つ人間や能力の高い人間、実力者、誠実な人、正直者、そういった人だけが上に立ってくれれば、世の中もっと慈愛に溢れ平和になっていたはず。

でもそうではなかった。

実際は、まったく逆で、常にこういう人たちが強欲な人間によって隅に追いやられ、無力化させられている。だから、世の中から「誠実さ」が消え去り、「正直者がバカを見る」世間となり、世渡り上手な人間だけが得をし、「金と権力を持つ人間が常に正しい」と思い違いさせられているのです。

そこには理念も理想もない。

あるのは「欲」だけ。

人間の汚い欲望だけ。

 

私の大嫌いな日本の首相は、またしても年頭から「日本は経済が何より大事」とぬかしていました。ああ、この人は、お金のことしか頭にないから、だから私はこの人が嫌いだし、軽蔑しているんだ、と再認識させられました。

 

私や、私を「おもしろい」と言った男性のような種類の人は、現代の世の中には非常に少ない絶滅危惧種だと思います。

でも、そういう人がいなければ、世の中は必ず崩壊する。絶対だと思う。

だからこそ、年賀状だけでも今でも続いている人とは、やっぱり会ってお互いを見つめなおしてみたいし、価値観がズレていればそこで終了させたっていいんだし、価値観があっていればめっけもんだし。

 

「思いやり」と「誠実さ」、そして「義理や道理」、そこに「おもしろさ」がプラスされた人間というのが、きっと今後もずっと私の判断基準であり続けることでしょう。

私の基準には「金」も「権力」も「地位」もない。

私が大切にしているのは、「心」だけです。

大人として甘いかもしれないが、でも、それが私という人間なのだから、仕方ないのです。

イヤなら離れてもらってけっこう。

 

 

精神修養

夜中に大掃除をしていたら、ついに30日になってしまった。

今年もあと1日。早いなー。

大掃除、まだ台所が残っている。ここがいちばん大変なところ。

私が大掃除したところ。自分の部屋、リビング、ダイニング、玄関、廊下、トイレ、ベランダ、そして残っている台所。同居人が大掃除するところ(まだしていない!)。本人の部屋、風呂、洗面所。

どう見ても、私の負担が多い。しかも、私は大掃除しながら、普通の洗濯物から、マット類、ソファーカバー、布団カバーの洗濯、そして布団干しまで同時にこなし、さらに朝食用のパンを作って、食事の準備までする。その間、同居人はというと、ボケーっとテレビを見ているか、ネットで相変わらずヤフコメや2ちゃんを見ている。テレビの番組は、私が大嫌いなバラエティかスポーツかお笑い。時には競馬やマージャンなんてものまで見ている。バカか?そんなもの見ている暇があるなら、さっさと掃除すればいいのに。それだけじゃない。掃除した尻からチリや毛を落として汚してくれる。てめー、絞め殺すぞ!もうムカつく以外の何ものでもありません。

私ひとりなら、もっと心穏やかに掃除のひとつもできるというのに。

結婚なんて、精神不安定にさせられるわ、怒って血圧は上がるわ、実際の家事労働からくる肉体的疲労以上にいろいろな苦痛が女性に発生するものなのです。

あーあ、今年もムカつく1年であった。

 

1年の締めくくりに最後に楽しいことでも書いて終わりにしようと思いましたが、楽しいことが思いつかない。

どうしたものか。

 

そういえば、フェイスブックのもはや「知り合い」でしかない友人が、どうやら結婚したようで、たくさん写真をアップしてきました。

それがまた、すごいんだな。

中華系の人とか韓国人もそうだけど、結婚式をはじめ、記念写真を、まるで自分が映画俳優や女優かのごとくに悦に入って撮影しますよね。見ているこちらが恥ずかしくなるような。そこまでなりきれるって、相当の自信家なんですね。

いや、まったくたまげた。

今日アップされてきた写真もまさに映画撮影ですか?ってぐらいにすごいのばかり。

衣装も純白のウエディングドレスだけで2パターン、お色直しドレスで2パターン、私服が1パターン、そしてかなり際どい彼シャツ1枚(もちろん下着はつけていない)パターン。それが各々3~5枚ずつ。

よくやるなー。

恥ずかしい。

しかも、幸せなのってせいぜい最初の3年だけなのに。

まあ、他人のことなので、別にどうでもいいのですけど。

勝手にやっててくれ。

ただし、公共に公開しないでくれたまえ。

そういう「私、幸せいっぱい!」なレポートって、自分のことしか見えていないようで、ちょっとみっともないし、「幸せ」って言ったって、その彼は大金持ちのボンボンだからこそそれだけ派手な演出ができるのであって、「見て見て、私はお金持ちと結婚できて幸せよ!」と自慢しているようにしか見えないので、かなりイヤミですね。

こういうリア充な人って、やっぱり友達ではありませんね。

私は、派手でもいいけど、ユーモアがない人は受け付けませんので。

「自慢しい」はムカつくだけです。

 

あー、「一般人が女優ぶってて笑える」楽しい話をしたつもりが、やっぱり最後は「ムカついた」で終わっちゃった。

ダメだな、心が荒みきっている。

 

先週あたりから、気のせいか、町が静かに思えます。道もきれいだし。

そういえば、(目障りな)非先進国出身の在日外国人たちをあまり見かけない。

みんな正月のために国に帰ったか?

良いことだ。

そのまま日本へ戻ってこなくていいですよー。

家庭内的には長期休暇が続くのは気が滅入るけど、外部環境的にはずっと正月休みが続けばうるさい外国人が戻ってこなくて静寂を保てて非常に平和。

 

平和で静かな環境が大好きです。

 

来年は、ひとつでもムカつくことが減るよう、祈っていよう。

 

それでは皆さん、良い正月を。