自己犠牲は美しいけれど、あなたがつぶれてしまっては意味がない。 | ファシリハ ー 1人で悩まない!!! 成長する、成長させるセラピストになるためにー

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facilitation × rehabilitation をテーマに、
リハビリに関わるセラピストや医療福祉職の方に向けたブログ。

自己研鑽、後輩教育、コミュニケーション、
マネジメント、連携、プレゼンテーションなどをキーワードに、
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私が我慢してみんなが幸せになるなら、
それでいい。



美しいです。素晴らしいです。

チームのみんなが、お互いにそう思えるようであれば、この考えは良いチームを作るためには必要な要素かもしれません。



でもチームの中で、あなたしかそう思っていなければ、ただあなたの仕事と心の負担を増やしているだけになっているかもしれません。

そして、そんなチームであるなら、
あなたが我慢したところで、みんな幸せになりません。



あなたは文句を言わない便利屋になってしまっているかもしれません。

多くのことをあなた1人で抱えることになります。

あなたが「大丈夫」と言ってしまえば、あなたの負担を心配することすらないかもしれません。


あなたの見えない負担は増えます。

あなたがいないとチームは回らない状態になっています。

それをあなたも周りも気づかずに月日は流れます。



そしてあなたがもし、つぶれてしまったら…

チームそのものも破綻します。


それなりに仕事が回ってしまっている時にはそれは誰も気づきません。

病気になってから、はじめて健康の大切さが分かるように。



あなたの自己犠牲はチームのためになっているのでしょうか?


お互いに思いやりを持つ。

そんな当たり前のことが意外に難しいですね。



僕は、できるだけ声をかけるようにします。

LINEなどで少しでもやりとりをします。


人それぞれ大丈夫」という言葉の意味は違います。

もう限界ギリギリだけど、「大丈夫」という人

本当にまだまだ余力があって、「大丈夫」という人

心配をかけたくなから「大丈夫」という人。



周囲の人の「大丈夫」を

あなたの基準の「大丈夫」で解釈すると、

そこにズレが生まれるかもしれません。