東大生はなぜ素直なのか | 司法試験情報局(LAW-WAVE)

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今までにも何度か書いたことですが、経験上、ずっと気になっていたことがありました。

それは、「受験生」である私が、試験について何かを発言した際の、相手方の反応です。

今までの私の友人の反応は、見事に分かりやすく2つに分かれていました。

 

ひとつは、お節介なアドバイスをしてしまった場合に反発されるならまだ分かるのですが、私が単に自分の司法試験についての見解を(あくまでも個人的見解として)述べただけで、「お前は受験生だろっ!」と怒りを露わにしてくるタイプの受験生です(怒らないまでも、苦虫を噛み潰したような顔になる人です)。

もうひとつは、そんなことでは全然怒らなかった受験生です。

そういう人は、怒らなかっただけではなく、むしろ私の話に積極的に関心を持ってくれました。

 

このように、友人の反応は明確に2つに分かれていました。

①受験生の発言でも、有益と思う発言には耳を傾けるタイプ

②受験生には発言権がないと確信しているタイプ

 

この2つです。

ブログを始めてから、ネットの向こう側にも、これら2つのタイプが、やはり明確な形で分かれて存在しているんだなぁ…ということを、改めて(そして久しぶりに)意識させられました。

ブログを始めてから何度も、「お前は受験生だろ」という趣旨の、耳の痛いご忠告をいただきました。それらの言葉は、過去に②タイプの友人たちに、面と向かって言われたことと全く同じでした。

 

 

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今日の話は、実は、この①②の受験生が、ある程度、学歴で区別することができていたという話です。

 

ほんと、下品な話で申し訳ありません。

ただ、このブログもいい加減終盤に近づいてきたことですし、何より本当のことなので言ってしまうと、

①タイプの人は、ほとんどが東大卒の受験生でした

②タイプの人は、全員が早慶以下の2流・3流大卒の受験生でした

 

もちろん中には、3流大学出身で①タイプなんていう例外的な人もいました。

しかし、概ね学歴による区分けができていたことは間違いありません。

2流・3流大卒で①タイプの人というのは、共通して、司法試験受験生には珍しい教養人であるか、端的に頭の良い人かのどちらかでした。法学以外の勉強もちゃんとやっている感じの人たちでした。

②タイプの人は、おしなべて教養もなく、頭も悪い人たちでした。

悪口で言っているのではなく、実際にそうだったのだから仕方ありません。

そこから私は、ある仮説をずっと胸にしまっていました。

その仮説とは、↓こういうものです。

 

【1】東大卒や高い知性の持ち主が①タイプになるのは、彼らが自分の能力に揺るぎない自信を持っているからに違いない。

 
⇒その揺るぎない自信が余裕となって、他人の言葉に耳を傾けられる柔軟性が生み出されるのだろう。

(また、その自信が、客観的な権威を疑うこともできる良い意味での傲慢さにも繋がっているのだろう)

 

【2】2流・3流大卒や低い知性の持ち主が②タイプになるのは、彼らが自分の能力に根本的なところで自信を持っていないからに違いない。

 
⇒その自信のなさが、他人の言葉に耳を傾けられない硬直性を生み出しているのだろう。

(また、その自信のなさが、客観的な権威を盲目的に信じる卑屈さにも繋がっているのだろう)

 

簡単にいうと、↑こんな風に考えていました。

 

普通に考えれば全くそういうことなんだろうし、この考えにそれほど付け加えることはないんだろうな。

そんな風に思っていました。

 

で、先日、今まで胸にしまっていた↑この考えを、東大出の弁護士の友人に思い切って聞いてみることにしました。

 

今になってこんなこと改めてを聞く気になったのは、やはり、このブログを始めてしまったことで、上記①②の区別問題が私の意識上に再燃したことが一番の原因だと思います。

 

この際なので、典型的な①タイプであり、はっきりとした物言いに定評のあるその友人に、私の見立ての検証を求めてみたわけです。

 

 

かお

 

「ねえ。あなたは東大出てて自分に自信があるから、私の言うこと素直に聞けたんだよね」

 

 

彼女の答えは、少し意外なものでした。

 

 

女の子

 

「う~ん・・・たしかにそういう部分もあると思うけど、もっと大きい理由があると思う。」

 

「東大生は全員、自分の過去の経験から、自分のやり方が正しかったと思ってる。自分のやり方が正しかったから、自分は東大生になれたんだと思ってる」

 

「それはつまり、東大生の自分ではなく、受験生だった自分が正しかったってこと」

 

「正しい方法は、成功する前から正しかったからこそ“成功”に至りついたんであって、当たり前だけど、成功という結果から遡及的に『正しかった』ってことになるわけじゃない」

 

「東大生が、正しいものは、合格する前から正しいと素直に受け入れられるのは、そういう自分自身の経験に照らして考えているからだと思う」

 

東大生にとっては、受験生だった自分と東大生である自分との間に断絶はないんだよね」

 

 

・・・とまあ、こんな感じのけっこう筋の通った意見をもらいました。

私には意外というか盲点というか、どう考えても思いつかない表現だったので感心しました。

 

広い意味では「東大生は自分に自信がある」という私の最初の仮説に含みこめなくもないのですが、それ以上に具体的で、何より確かに実際に東大に行った人にしか言えない感じのリアリティのある物言いだなぁ、と思ったので紹介しました。

 

 

ちなみに、ついでに聞いてみました。

 

 

かお

 

「じゃあ、②タイプのほうはどう思う?」

「あんなに執拗にケチをつけてくるってことは、やっぱり自分に自信がないんじゃないかな」

 

女の子

 

「う~ん・・・よく分かんないな。 ま、いいんじゃない。受かんないんだから」

 

ガーン 

 

「・・・・・」