十年後の受験生へ | 司法試験情報局(LAW-WAVE)

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司法試験・予備試験・ロースクール入試の情報サイトです。司法試験関係の情報がメインですが、広く勉強方法(方法論)一般についても書いています。※ブログは完全に終了しました。コメントなどは受け付けておりません。ご了承ください。

ブログを始めてから1年半、途中中断した時期を除けば、実働期間は1年くらいでしたが、実質的な更新は今日で最後です。

なお、このブログ自体は、今後も(Amebaが置いてくれる間は)消さずに残しておきます。

これから先も、新しい教材が次々と出版されていくと思います。

長い目で見れば、試験傾向はもちろん、制度自体も変わっていくことになるでしょう。

ブログで書いた内容の多くは、十年も経てばそれなりに古くなっているだろうと思います。

 

そこで、十年後にこのブログを読む受験生に対して、いくつかメッセージを残しておきたいと思います。

 

 

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まず、このブログの核心部分は、十年後の受験界でも十分に通用するはずです。

 

勉強法一般について語った部分や、法について抽象的に語った部分については、十年後も完全に変わらない形で通用すると思います。

 

特に、勉強法の核心は、100年経っても完全に正しいと確信しています。

 

その他の教材情報・講師情報についても、表面的な情報は古くなると思いますが、教材や講師を評価する中で、結局は勉強法を語っていることが多いので、こういった部分も活用してもらえたら嬉しいです。


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重要なことは、けっして多くありません。

 

試験に合格しなければならない以上、そして、試験勉強をしなければならない以上、何よりもその時々の傾向に合った(←これ大事)試験問題を解くことを重視しなければなりません。

 

常に、目的に定位して考える

これさえできていれば間違えることはありません。

 

個々の教材・講座・答練etc…、時には勉強法さえも、すべてそのための手段にすぎません。

手段にすぎないものに、あまり拘りすぎないことが肝要です。

今も、そして十年後も、教材なんて、何を使ったっていいのです。

あるいは、手段なんて、何でもいいのです。

 

・予備校本メインでも大丈夫か、基本書メインでいくべきか

・予備校本はどれを使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・基本書はどれを使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・演習書はどれを使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・判例集はどれを使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・短答六法はどれを使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・サブノートは使うべきか、あるいは使わなくてもいいのか

・自分でノートを作るべきか、あるいは作るべきでないのか

・どの予備校に行くべきか、あるいは行く必要はないのか

・どの入門講座をとるべきか、あるいはとる必要はないのか

・答練はどこを受ければいいか、あるいは受ける必要はないのか

・オプション講座は受けるべきか、あるいは受ける必要はないのか

・過去問集はどれがいいか

・問題集はどれがいいか

・予備校問題中心でも大丈夫なんだろうか

・旧司の問題までやったほうがいいのだろうか

・ブログなんかやってる場合だろうか

・飲み会なんか行ってる場合だろうか

・1日10時間勉強するべきか、数時間でも足りるのか   etc…

↑こういう、一言でいえば 「 ど ~ で も い い こ と 」 に、過度に拘ってはいけません。

こんなもの、全部好きなようにしてください。その程度の問題だということを自覚してください。

どっちを選んでもいいし、どれを選んでもいいです。いかなる意味でも悩むような話ではないです。

 

もし悩んだら、「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」で適当に決めてください。

ひとつだけ確実に言えることがあるとすれば、

絶対に、過去問はやってください。 そして、あとは好きにしてください
 

私から言えることは↑これだけです。

 

本当の意味でしっかりと過去問に取り組んでいれば、あなたがやるべきことは自ずから見えてきます。

いえ、それが見えてくるくらいに、本試験(過去問)それ自体に向き合わなければなりません

 

過去問以外に、すべての受験生に共通して必要なものなど何一つありません。

山に登るときに絶対にしなければならないのは、山の頂を見ることだけです。

その上で、どのルートで登るか、どういう装備で登るかは、どこまでもあなたの自由です。

多少回り道をしようが、貧しい装備で挑もうが、頂さえきちんと見ていれば、必ず頂に到達します。

 

その一方で、頂を見ることを忘れて、自分が歩いているルートの優越性を無用に誇示し始めたり、自分の使っている装備が全ての人間に必須のものだなどと要らぬ強弁をし始めたりした場合は、その受験生は危ないと思ったほうがいいです。

 

なぜなら、そのとき、その受験生の目は、もはや頂を見ていないからです。

自分の歩いている道や、道の歩き方や、履いている靴や、無我夢中で歩いているときの充実感や、偶然行きがかりで拾ったにすぎない諸々の装備品などに過度な愛着を持ってしまうと、このようにいとも簡単に目的から目が逸れていってしまいます。

 

このとき、彼 or 彼女の視線(関心)は、自分の足元や、歩くことの気持ちよさに向けられています。

つまりは、自分しか見ていません。目的を見ずに、自分を見てしまっているのです。

これは単なる自己愛であり、執着です。

目的志向を歪ませる一番の犯人は、このような自己愛や執着です。

皆さんは、こういう些末なものに執着することのないよう、くれぐれも用心してください。

手段の選定に悩んだり、手段に拘りをもつとき、あなたは目的を見ていません。

 

あなたのやるべきことは、目的を見ることです。

そして、目的を見ながら歩くことです。

 

自分を見たり、自分の持ち物を見せびらかしたり、歩いている自分に酔っぱらうことではありません。

 

どうかその点を忘れないようにしてください。


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最後にひとつ、今まで書いたことがなかった視点を示して終わりにします。

 

このブログでは、繰り返し繰り返し、条文の重要性を強調してきました。

まるで、条文を重視することが、司法試験における目的そのものであるかのように語ってきました。

 

しかし、条文を重視することは、司法試験学習の「目的そのもの」ではありません

 

もし、法律を学ぶこと自体が目的であれば、条文(=法律)は目的そのものと言えるかもしれません。

しかし、司法試験において、条文は、あくまでも試験問題を解くための道具(手段)にすぎません。

 

条文重視は、試験合格という目的に定位した場合の結果的産物にすぎません。

さらに言えば、条文重視は、試験合格に必要な程度で必要になることにすぎません。

 

この点を履き違えて、まるで条文を知るために条文を学んでいるような受験生は多いです。

問題を解くこととは関係ない次元で、条文解説のための条文解説をしている講師もいます。

 

しかし、受験生の本来の目的は、試験問題(≒過去問)を解くことであり、解けるようになることです。

条文は、試験問題を解くという目的に必要な程度で必要になるだけの、単なる手段にすぎません。

必要以上に条文に詳しくなったところで、そんなことには何の意味もないのです。


このように、条文を過剰に重視すること(条文に執着しすぎること)もまた、目的を見失う第一歩です。

以前(※「言い換え」の連鎖 参照)、司法試験で真に重要なのは条文と過去問の2つだけ、と書いたことがありますが、実は、両者は同価値ではありません。

 

本当の意味で目的といえるのは、過去問だけなのです。

 

さらにダメ押しをしておきます。

 

司法試験が合格ラインをめぐる相対評価の試験である以上、過去問を過剰に重視することもまた、目的を見失った行為であるといわざるを得ません。

受験生の真の目的は、過去問にパーフェクトに答えることではなく、合格することです。

 

過去問は、真の目的である合格に必要な程度で必要になるだけの、単なる手段にすぎません。

そのことを忘れて、過去問に十全に答えることそれ自体を目的化するのは、過去問を神(=目的)の座に祭り上げる(固定する)一種の思考停止に他なりません。

このような思考停止の罠は、過去問学習においてさえ存在するということを忘れないでください。

条文を目的に据えるなら、基本書は条文を理解するための手段に降格します。

過去問を目的に据えるなら、条文は過去問を解くための手段に降格します。

合格を目的に据えるなら、過去問は合格するための手段に降格します。

 

このように、目的-手段の関係は常に流動的です。

 

視点を変えれば、過去問も一瞬で、手段にすぎないものに降格します。

つまりは、過去問の座も常に安泰ではないということです。

 

そのような思考を安住させることができるような場所は、実はどこにもありません

思考の動きが止まったところが、あなたの限界です。

 

どうかそのことを忘れないでください。
 

最後に究極のダメ押しをしておきます。

 

真の目的である「合格」もまた、視点を変えれば手段に降格するのは言うまでもありません。

合格のさらに上に、究極の目的があれば、あなたにとっての合格は手段にすぎないものになります。

この「目的(=合格)の手段化」ができれば、あなたは最強の受験生になることができるでしょう。

 

なぜなら、人は、手段にすぎないものには執着しないからです。

執着がなければ、誰でも、状況を冷静かつ客観的に、正しく見ることができます。

また、執着がなければ、誰でも、目的に則した最善の方法をとることができます。

そうなれば、大抵のことは呆気ないほど簡単にクリアしてしまえるものです。

 

最強の受験生とは、目的とする試験を、単なる通過点(手段)としか見ない人のことです。

言いかえると、「過去問」「合格」といった具体的なレベルで思考を止めない人のことなのです。

 

~あなたにとって、「究極の目的」とは何ですか?~

 

 

 

 

以上です。

 

このように、あくまでも厳格に、目的そのものを意識してください

手段にすぎないものにアイデンティティを預けてしまわないように。

手段にすぎないものを目的化してしまうことのないように。

そうやって、目的から目を逸らしてしまうことのないように。

自分の目的が“”なのか。いったい“”ができるようになりたいのか。

そのためには“”をしなければならないのか。

 

この「何」を、強く強く意識してください。

 

本当に大事なことは、次の2つしかありません。

 

①目的から目を逸らさないこと

②目的を欲し続けること


あなたが、正しい方法をとることができていて(①)、

本当に司法試験に合格したいと望んでいるなら(②)、

あなたの目的は必ず達成されます。

正しい方法(①)はすべてこのブログの中に書きました。

このブログを平気で読むことができるほど素直な人なら、実践はかんたんでしょう。

 

あとは、あなたが本当にそれを望んでいるのかどうか(②)、です。

 

あなたが本当に合格を望んでいるなら、司法試験なんてかんたんです。