【冒頭サンプル】Wednesday | つうしんたいきちゅう

つうしんたいきちゅう

ポケモンの小説やゲーム状況や何かの感想など

「モンスターボールから、人間から、ポケモンを解放しましょう!」

「ポケモンは自由になるべきです! プラズマ団は、ポケモンの自由を尊重しています!」

 眠気と面倒臭さによる重い足取りで中学に向かう俺は、通学路にいる変な集団に足を止める。なんとも言いがたいデザインのコスチュームに身を包み、明るい色の髪を水色のフードで隠した五、六人。そいつらは通行人たちに絶えず呼びかけていた。

持っているプラカードや旗、立て看板にはどれも『人間による束縛からポケモンを解放』のようなことが書かれている。しばし考えて、彼らの名前を思い出した。

プラズマ団。最近テレビや雑誌やネット、そしてこのように街頭でも見かけるようになったポケモン愛護団体だ。NGOだかNPOだか、はたまた宗教法人なのか。その辺りはよくわからないけれど、とりあえず「ポケモンを自由にすること」を目的としている団体だと俺や家族、友達など大多数の人間はそう捉えている。

「ポケモンは解放されるべきなのです! みなさんも私たちプラズマ団と共に、ポケモンが幸せになれる世界を作りましょう!」

「お願いしまーす、お願いしまーす!」

 彼らの言っていることは間違ってはいないから、少なからず賛同する者もいる。今もサラリーマン風のおじさんが「応援してるよ」と声をかけた。ありがとうございます、とプラズマ団が元気良く頭を下げた。

 しかし、俺は彼らの活動にも思想にもさしたる興味は無い。だからさっさと通り過ぎようと足を早めたのだが、運の悪いことに「そこの君、」とメンバーの一人に声をかけられてしまった。

「君もポケモントレーナーだよね。となると、当然ボールは使っていると思うけど。どうだい、それを無くして……」

「今急いでるんで。結構です」

 母親に教わった、不審者勧誘キャッチまとめて撃退の台詞を放ってさらにスピードを上げる。だがこの団員はなかなかしつこいようだ、俺の数歩後ろについてきては「人間と一緒にいてはポケモンは」「世の中には人間に苦しめられているポケモンが沢山」「そもそも古来ポケモンは人間と」などと、ペラップもうんざりするだろう早口でぺらぺら喋りまくった。

 あまりにしつこく、いい加減イライラしてきたので振り返って口を開く。「うるさいなあ、通報しますよ」と言いかけた俺の言葉はしかし、ペラップ団員の台詞に遮られた。

「ほら、君のタブンネも。今は外に出していても、学校についたらボールに入れるんだよね? かわいそうだとは思わない?」

 彼が、俺の隣を歩いていたピンク色を指さす。ひょこひょこ付いてきていたそいつ、タブンネはいきなり注目されて驚いたのか、きょとんとした顔で首を傾げた。何も考えていなそうなにこにこ笑顔をいつでも湛えているこのポケモンは、彼の言う通り俺のポケモンである。

 タブンネは、いつも通りの呑気な微笑みを口許に浮かべてふわふわしたオーラを放っていた。学校に行かないのかとでも言うように、俺のシャツの袖口を引っ張っていたりする。

 その様子をぼんやり眺めていたせいで、団員に言葉を返すのが遅れてしまった。俺の返事が無いのをいいことに、プラズマ団の彼がさらに問いかけてくる。

「どうかな? このタブンネのために、ボールから解放してあげた方がいいと思うけど?」

「ブンは――」

 促すように言う彼の言葉を遮りかけて、やめた。こういう人とは関わってはいけないと、家でも学校でも散々言われているのだ。深く話す必要などどこにもない。

 何を話せば良いのかも、一瞬のうちによくわからなくなってしまったのだし。

「いいです。……そういうのどうでもいいんで」

「あっ、君……」

 追いかけようとした団員の声を背中で聞き、俺はほぼ走るようにして彼を振り払う。行くぞ、とタブンネの左手を掴んで強引にその場を立ち去った。曲がり角を越えると流石に諦めたらしく、振り返った先に彼の姿は無い。

 そうだ、そんなことどうでもいいのだ。ポケモンの解放よりも、今日のテストの方が問題なのだから。一夜漬けで詰め込もうとしたのにも関わらず、少しだけの仮眠のはずが気づいたら朝になっていた。ただでさえ危ういというのに、今日の教科は自分の苦手な文系科目のオンパレードである。

 今になってなやみのタネが効果を発揮しだしても遅い、俺は大きく溜息をつく。そんな俺をにこにこ顔で見てくるタブンネを視界の端に捉えつつ、前方に見つけたクラスメイトに駆け寄った。おはよう、と言った俺に彼が振り返って、口を開き、

『ピピピピピ……ピピピピピ……』

「チャン!! チャムチャム、チャー!!」

「……あーもう!! こら、うるさい! 静かにしろ!!」

 そこで一気に夢から引きずり出された俺はアラームを止めつつ、自分の腹の上でぴょんぴょんはねまくって騒いでいる小さな白黒を押さえつける。近所迷惑だからやめてくれと毎朝毎朝、腐るほど言っているのにこの白黒――ヤンチャムはやめてくれる兆しすらない。

 GTSで交換したこいつが俺のところに来て、大人しくしてくれていたのはせいぜい三日くらいだ。手足を振り回すヤンチャムをどうにかこうにか宥めすかす。起きたばっかりだというのに、早くも疲れてしまった。

 腹にかけていたタオルを蹴飛ばし、ヤンチャムを抱えてベッドから降りる。学生用アパートの四畳半、なるべくスペースを節約するために選んだ折り畳みタイプの机が中央にセットされていた。まだ若干寝ぼけていた頭で、はて、昨日片づけ忘れたのだろうかなどと考えていると、ピンク色がぷよぷよとした足取りで簡易キッチンからこちらにやって来る。

「あ、ブン……おはよう」

 ブン、俺のタブンネの名前だ。先程夢にも登場してきた奴で、もう十年来のつき合いになるだろう。俺の方を見て、いつでも笑っている顔を小さく揺らしたブンは、こんがりといい匂いを漂わせるトーストやらグリーンサラダやらと一緒にポケモンフーズときのみが盛られた皿を机の上に並べ出す。ぼんやり突っ立っている俺に、ブンは空いた片手で洗面所の方を指さした。

 彼女に指示されるまま、俺とヤンチャムは面所に向かい顔を洗う。びしょびしょのまま駆けていこうとするヤンチャムの首根っこを掴んで、やや強引になりつつもタオルで拭いてやった。そのままタオルで遊んでいるそいつは放っておいて、俺は髪を適当に整えて髭を剃る。寝間着から着替えて部屋に戻ると、満足気なブンの横に綺麗な朝食が並んでいた。

「毎朝悪いな……いや、俺がやるから寝てていいんだぞ? そりゃ、ありがたいことこの上ないけどさ……」

「タブンネ~」

「会話になってねえよ」

 柔らかい身体を揺らすブンに苦笑して、机の側に腰を下ろす。勿論ブンのそれは「多分ね」という言葉ではなく鳴き声なのだから、会話も何も無いけれど。ブンとヤンチャムも隣に座り、いただきます、とみんなで手を合わせた。

 ブンは昔から手先が器用で、俺がやっていることを見よう見まねで試してみるのが好きである。大学に上がって俺が自炊を始めたため、ここ最近は料理がブームらしい。俺が作る程度のもの、つまりそこまで高度な技を必要としない料理ならこうしてブンが作ってくれるようになった。

 世間で言われるような「よく出来た彼女」とはこんな感じなのだろうか、とブンが煎れてくれたコーヒーをすすりながら考える。きのみか何かのブレンドを作ってくれた彼女の手はぷくぷくのクリーム色で、今は行儀良くスプーンを操っている。俺の視線に気がついた彼女が口をもぐもぐさせながら見上げてきたので、「なんでもないよ」と言ってトーストを手に取る。こっそりそれを狙っていたヤンチャムの肉球が空を切った。

『……それでは、本日のイッシュの天気予報です』

 お前はこっちだ、とクラボを渡しながらテレビをつける。今日は一日晴れるらしい、今俺たちが暮らしているホドモエシティにも大きな太陽マークがついていた。ウルガモスのイラストが画面の右下に現れ、お洗濯日和ですねとかなんとか喋りだす。

 そのまま流れるニュースをなんとなく観つつ、俺たちはもくもくと朝食を口に入れる。さっさと食って洗濯をして、冷蔵庫の中身を確認して、あとは何かすることあっただろうか。口と頭を同時に動かす俺の横で、ブンがごくごくとモーモーミルクを勢い良く飲んでいる。腹壊すぞ、とやんわり俺が止めた時にはブンの口の周りに白い輪っかが出来ていた。

「あー、そういや今日提出の課題があったんだっけ……やべえな、今からやって終わると思う?」

「タブンネ~」

「よっしゃありがとう、そんな気がしてきたぜ」

 そんなやり取りを交わす俺たちを、こちらは口を赤く汚したヤンチャムが呆れた表情で見てくる。「多分ね」があたかも返答であるように話を振るのも慣れたもので、ブンの方も完璧なタイミングで返してくれるようになった。

『それではこのコーナーいってみましょう、「今日のドラマ」!』

 なんてくだらないことを話している場合では無い。コーナーの開始によって現在時刻を認識させられた俺は、食べるスピードをアップした。

『水曜日と言えばまず、これですね! 「夜迷い草紙」、本日放送の第三話では主人公イブの兄が初登場で……』

 恐怖作家のシキミさんが脚本を担当していると話題のドラマの宣伝が始まる。自分とブンとヤンチャムの咀嚼音に混じって説明が聞こえるこのドラマは、ホラーとラブがいい感じに調和しているとなかなかの人気だ。友人やバイト仲間でも見ている者は多い。

 しかし、ドラマに別段興味の無い俺の耳は違う単語を強く捕らえていた。ストーリー内容でも登場人物名でも注目の俳優でも無い、もっと別の言葉を。

 

 水曜日。

 それは俺が、この世で一番と言って良いほど忌み嫌っている存在だ。

 休みが明けて二日間頑張ったというのに、まだ半分以上も残っているというこの曜日は、一週間のうちで最も辛い一日である。もう疲れた、それなのに折り返し地点ですら無い、そんな朝。小学生の頃から俺は水曜日が憂鬱でたまらず、毎週起きあがるのを渋ったものだ。今はヤンチャムがいるからそうもいかないけれど、それでも今日が水曜日なのだと認識するだけでがっくりきてしまう。

それだけでは無い。偶然かそれとも何かの巡り合わせか、俺にとっての嫌な出来事は、全て水曜日に起きていた。

忘れ去りたい、無かったことにしたい、目を逸らしたくなるような過去。水曜日が来ると、示し合わせたようにそれらが俺の頭に浮かぶのだ。

「……ああ、なんだ? 水か、ちょっと待ってろ」

 忌まわしき水曜日を呪う俺の袖口をヤンチャムが引っ張る。はっと我に返った俺はヤンチャム用のコップを持って立ち上がり、冷蔵庫に常備してあるおいしいみずを取りにキッチンへ向かった。二リットルボトルの残りは五本、そろそろ買い足して置かなくては、と頭の中にメモをする。

 さて、今日は授業が三つ、その後にバイトである。超特急で課題を仕上げて、洗濯と洗い物と、あとゴミ出しもしなくては。それから買い出しも。

 なんとも疲れる水曜日になりそうだ、やはり水曜日はロクな日じゃない。心中のぶつくさを溜息に変えながら、俺は並々と水を注いだコップを片手に二匹の元へ向かう。机に戻った俺が見たのは、半分残してあったトーストをこの一瞬で腹に収めたらしいヤンチャムの満腹顔と、それを止めようとしたけれども間に合いませんでした、とでも言いたげなブンの微妙な笑顔だった。

 がっくり感に拍車がかかったのは、言うまでも無いだろう。

 十歳の誕生日を向かえた俺は、生まれ育ったシッポウシティから旅に出た。今では子供の自由の尊重だかで、旅に出る風習が薄れている地域も少なくないが、シッポウではまだほとんどの子供が旅をする。博物館がある影響か、強いトレーナーというよりは図鑑の完成を目指す者や研究志向の子供が多いけれども。

 しかし俺はその「風習」に流されるまま旅立った子供であり、何の目的も目標もビジョンも、なりたい自分というものも見あたらなかった。ただ、みんながやっているから俺にも出来るだろう、という薄弱な動機で故郷を去ったのである。

 そんな風に志の低い奴がまともに旅を出来るはずも無く、俺はシッポウ出身の旅人が最初に通るヤグルマの森で早速壁にぶち当たった。

 誕生日の三週間くらい前に出会ったブンと一緒に旅立ったのだけど、それがどういう事に繋がるのか、旅に出る前の俺は全く知らなかったのである。ブン……タブンネというポケモンは「倒されると相手に多くの力を与える」という特質があり、強くなりたいトレーナーが戦いたい相手としてこれ以上の敵は無い。しかも、そのタブンネの主が戦い方のたの字も知らないような奴だったら尚良し、まさしくカモネギが鍋持ってやってきたというものだ。

 果たして初心者トレーナーの俺は、ヤグルマの森にうようよいるブン狙いの奴らとひっきりなしに戦わされ、繰り出される技に戸惑っている間にブンは何度も倒された。思えばブンと最初に出会った時にも彼女は経験値目当てのトレーナーに襲われていたのだ、タブンネという種族は不憫である。

 さんきゅー、またよろしくな、などと言って去っていくトレーナーたちにグーパンの一つでも食らわせたいところだが、ブンをポケモンセンターに運ぶ俺にそんな暇は無い。負けハーデリアの遠吠えよろしく相手トレーナーの背中に舌打ちした俺は、倒れたブンの入ったボールを片手に、森を出るべく全速力で走るだけで精一杯だった。

 森の中間部とセンターの往復が続いて三日目の朝。俺は、ブンに「帰ろうぜ」と切り出した。野宿も携帯食料も所持金の心配も、俺の嫌いなどくポケモンな上にいかにもな見た目のフシデが大量にいるのも、一日中薄暗くてどこまで続くかわからないこの森もイヤだった。いつまでたってもバトルのコツ一つ掴めない俺のせいで、ブンが傷つけられるのをただ眺めているのもこれ以上見たくなかった。

 こんな生活をいつまでも続けたところで、どうせ大した結果は得られないだろうと、十歳の俺は悟ったのである。

「早いとこ戻って、学校行って。そこそこ勉強頑張った方が将来困らないだろ。家に帰った方がためになるよな。旅なんかしなくても、俺は大丈夫だよな、ブン?」

「タブンネ~」

「だよな、お前もそう思うよな」

 かくして俺は大して増えていない荷物をまとめ、深い森に別れを告げた。来た時と変わったことと言えば、回復アイテムがすっからかんになったことと、手持ちの金が減ったこと、そして一度至近距離で対峙してしまって逃げられず、無我夢中で捕まえてしまったフシデがボールの中にいるだけである。

 三日で旅から戻ってきた奴は、シッポウシティで四十年ぶりらしい。根性無いわね、という母親の溜息と、お兄ちゃんどうしたの? 忘れ物? と邪気の欠片も無い瞳で言う三人の妹の言葉は未だに胸に突き刺さっている。

 十年前の水曜日、情けない俺は旅人を諦めた。

 フシデに罪は全く無いが、手元に置いておきたくなかったのでGTSの交換へ出した。