京都の三条河原で処刑・晒し首にされた著名な人物 | 軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

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2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。



京都の三条河原です。
この日は豪雨により鴨川が濁流となって荒れました。


橋が架けられた時期は明らかではないですが、
天正18年(1590年)、
豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として
石柱の橋に改修されました。


近隣の川岸はかつて「三条河原」と呼ばれ、
処刑や処刑後の晒し首が行われた。


「ここで処刑・晒し首にされた著名な人物」

石川五右衛門 -
安土桃山時代の著名な盗賊。
1594年(文禄3年)8月25日、釜茹での刑に処せられた。



豊臣秀次と、その妻子側室侍女 -
1595年(文禄4年)7月、豊臣秀吉より謀反の疑いをかけられ
高野山で切腹した後、三条河原へ豊臣秀次の首が運ばれた。

首が据えられた前で妻子侍女など39名が処刑され、
秀次の首と共に1か所に埋められ見せしめの塚が作られた。

この塚は角倉了以の高瀬川開削時に塚と石柱が見つかり、
現在も瑞泉寺の境内にある。


石田三成 -
安土桃山時代の武将。
1600年の関ヶ原の戦いに敗れ、
捕らえられ六条河原で斬首刑となり、
三条河原で晒し首にされた。



近藤勇 -
新撰組局長。1868年(慶応4年)4月25日、
板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられたあと、
首が運ばれ三条河原で晒し首となった。


と、さらし首の名所でもあったようです(>_<)
(普段はとても穏やかな川ですよ)