さいたま市岩槻(岩付)の戦国領主・太田資正(三楽斎)家臣たちに関する備忘録
その8.河目越前守資為・資好と四郎左衛門
~太田氏内訌の中で分裂した譜代家臣一族~

<河目越前守資為・資好>
・河目越前守家は、代々、岩付太田氏の重臣。
-『太田家譜』の「太田譜代之士」の章にも「河目越前守」の名前が見える。
-『異本小田原記』も「相伝の家老」としている。ただし、同書は一貫して「河目」一族を「河名邊」と表記。「カワノメ」→「カワナベ」か?

・永禄七年には越前守資為が、資正を代行して、大島大膳亮に証状を発行している。
永禄七年三月四日の越前守資為の証状から確認できる)

・永禄四年の長尾景虎(上杉謙信)の第1回越山の際には、資正とともに厩橋に参陣。長尾景虎のもとに参じた関東の武将の目録である『関東幕注文』に「河内越前守家風」として記録される。
(湯山学は「河内越前守」を「河目越前守の誤り」としている。『関東上杉氏の研究』収録の「岩付太田氏家臣団覚書」より)

・『関東幕注文』に「家風」とあることから、厩橋に参陣した他の資正家臣ら(大石石見守小宮山弾正左衛門等)とは異なり、太田氏直属の家来という位置付けであったことが伺われる。

・太田資正が、家督を次男・政景に継がせようとした時には、越前守(資為か?)がこれに反対。
(『異本小田原記』)

異本小田原記』の記述は以下。
道譽は、弓矢の道は達者なれども、女性なぢの嘆く事を、いなやといはざる人にて、當腹の寵愛に迷ひ、此事合点し、越後輝虎へ申し、源太成人の後隠居して、家督を譲るべきと内談已に極まる。兄の源五是を聞きて、相伝の家老柏原太郎左衛門・河名邊越前に此事を相談す。両人大に忿り、岩付家は、道灌以来二男に継ぐべき例なし。」

・資正が岩付を追放された後も、「河目越前守資好」が当主代行として、大島大炊助に証状を発給。河目越前守家が、資正を追放して当主となった太田氏資のもとでも重臣としての地位を保ったことが伺われる。
永禄八年四月の河目越前守資好の証状より確認)

・永禄十年の三船山合戦では、当主・氏資ともに討死した家臣の中に「河目」の名字も存在。資好か?
(『太田家譜』の「所詮敵二向テ討死セント供セシ広沢尾張守信秀 忠信嫡子・恒岡越前守・河目等ヲ先トシテ五十三騎三舟二至リ大ニ勇ヲ振テ戦ヒ(中略)五十三騎ノ勇士皆枕ヲナラベテ討死ス 」から)

【関連:三船山の位置】

三船山合戦



<河目四郎左衛(與助)>
・父・資正を岩付から追放し当主となった氏資は、弟・梶原政景を岩付城内に幽閉。これを河目越前守の二男・四郎左衛門が救出。
(『太田家譜』の「二男源太政景三楽愛子二依テ氏資別而一間ナル処二押籠置タリシニ、家臣河目越前守二男四郎左衛門夜中二政景ヲ盗出シ三楽ノ陣エ落行タリ」より)

・『異本小田原記』も同様の顛末を記録。
其後河名邊與助といふ者、岩付へ忍入りて、源太を籠より盗出し、忍へ同心して来りければ、道譽大に喜び、河名邊越前といふは、代々の家老なれば、即是をも越前守と号し、源太が家老に定めける

・河目四郎左門は、以降、資正・政景親子に従って常陸国片野に入ったらしく、『異本小田原記』では小田氏治との合戦において「河名邊」の名が登場する。
『異本小田原記』の記述は以下。
然れども敵多勢なればとて、戦はずして落つる法やある。唯一筋に思切りて突いて懸り、晴なる討死すべしと思ふ。如何に皆々は思ふぞといえば、河名邊以下の侍、岩付より是まで附添ひ参る人々、一人も命を公に奉らずといふ事やあるべき。」


<河目越前守資為・資好と四郎左衛門のイメージ>

主家である岩付太田家内訌の中で分裂の道を辿った譜代家臣の一族。

越前守資為とその嫡男(であろう)越前守資好は、資正を追放して当主となった太田氏資に仕える道を選ぶ。彼らは、資正個人ではなく、岩付太田家に仕える家臣であった。

対して、越前守資為の二男・四郎左衛門は、追放された資正・政景親子に付いていく道を選ぶ。
岩付帰還が徐々に絶望的となる中、資正のもとを去った忠臣たちも少なくなかった(永禄九年に小宮山弾正左衛門、永禄十二年以降には太田下野守が、資正のもとを離れる)が、河目四郎左衛門は最後まで、資正・政景親子に仕えた。

四郎左衛門がそうしたのは、家督を継げない二男であった故、かもしれない。
家を捨て、己の力量のみを頼って栄達を掴もうとした気迫みなぎる若者の姿が、思い浮かぶ。
(実際、『太田家譜』が描く、政景との岩付城脱出の逸話は、ハリウッド映画ばりの活劇である。)

保守的な生き方を選んだはずの兄・越前守資好が三船山合戦で討死し、リスクを取った弟・四郎左衛門が生き永らえたのは、戦国の世の皮肉か。
いや、討死必至の状況で主君・氏資とともに戦った越前守資好も、太田家のために命を捧げた武士。保守的な生き方を選んだ、と揶揄するのは誤りかもしれない。

家を捨てて己の力量に掛けた四郎左衛門の熱い生き方と、家を守るべく主君に殉じた越前守資好の生き方。それらは、互いに対照的ながら、共に戦国の世を象徴する武士としての代表的な生き方だったのではないか。

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