埼玉県さいたま市岩槻区に住むようになり、地域の歴史を調べる中で、戦国武将「太田資正」の存在を知りました。

太田資正(おおたすけまさ、受領名「美濃守」、法名「三楽斎」、道号「道誉」)は、武州岩付(現さいたま市岩槻区)の岩付城(岩槻城)を居城とした戦国武将。江戸城を築いたことで有名な太田道灌の曾孫にあたり、名門太田氏の矜持を胸に、小身ながら、小田原の後北条氏の関東制覇に生涯をかけて対抗した人物です。

資正は、智勇に優れた武将でした。

資正の智を称えるエピソードとしては、我が国で初めて伝書鳩ならぬ伝書犬を用いて、支城との情報連携を行った逸話が知られます。限られた兵力で、量に優る大大名・北条氏と渡り合うための戦術面での工夫。その独創性は、江戸期には甲陽軍鑑等で大いに称えられました。

戦略面も非凡です。
資正は、強大な敵である北条氏に対抗するため、上杉謙信や武田勝頼、織田信長、最後には豊臣秀吉などの関東外の戦国大名らと連携するスケールの大きな遠交近攻策を打ちました。

勇においては弓矢の名人。その弓先で多くの敵を討ち、また鑓や組み打ちも得意としたと伝えられています(太田資武状)。


同時代のスター達との“絡み”にも事欠きません。
小田原城を包囲した豊臣秀吉を訪ねて、その智で秀吉を驚嘆させてみたり、怒らせてみたり。
上杉謙信とは、厚い信頼関係で結ばれ、その片腕として奮戦するも、時流の変化の中で決別。互いに愛憎半ばするやり取りがあったことが、残された書状から偲ばれます。
また直江兼続は、資正に心酔し、主君を選ぶならば「太田三楽と我君謙信公に若くはなし」と語ったとか。


しかし、何より魅力的なのはその生きざまです。
強大な北条氏を向こうに回し、一時的とは言え互角に戦った勇壮な岩付領主時代。
息子に裏切られ、国と家臣団を失って各地を転々とした失意の牢人時代。
そして、常陸国片野に新たな領地を構え、北関東の反北条勢力の中核武将として、合戦・外交に手腕を発揮した片野時代。
運命に翻弄されながらも、己の志を貫いたその生き方は壮烈です。戦国関東において他に例を見ないものです。


このように、調べれば調べるほど面白い太田資正ですが、その存在は“マイナー”です。私自身、さいたま市に住むまで、その存在を知りませんでした。

歴史小説の主人公になることはなく、資正に焦点を当てて生涯を追った書物もほとんど存在しないため、仕方ないことではあるのですが。

しかし、これほどの人物がこの扱いは残念です。そこで、ささやかながら私が調べた範囲での太田資正の生涯を、“通史”として書き出してみることにしました。

書くことは、理解すること。
太田資正の生涯を書きながら追うことは、自分の中の断片的な知識を繋げ、一個の人間としての資正を再現する作業になります。この作業を通じて、太田資正という人物に迫る面白さに、いまは没頭しています。

さて、最後まで書き上げられるか(笑)。

 

※ 上の文章は、下に掲載する『太田資正のこと』シリーズの序文でした。シリーズそのものは風呂敷を広げすぎて一旦執筆停止。しかし、この序文そのものは、太田資正という人を紹介する文章としては残しておきたいと思い、このエントリに私の太田資正関係の各種投稿を紐づけることにした次第です。


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0.テーマ:太田資正(三楽斎)
本ブログの資正関係のエントリは、全てテーマ『太田資正(三楽斎)』に分類されています(本頁未反映の投稿も、テーマには紐づけていますので、ご参照ください)。
テーマ『太田資正(三楽斎)』


1.『太田資正のこと』シリーズ
時に随筆風に、時に論考風に、時に物語風に、太田資正の生涯を追ったシリーズです。第31回まで書き進め一旦執筆を中止止。論考色の強い『太田資正の失敗』シリーズ等の作成に移行しました。

1.河越合戦
2.上野国蟄居
3.松山城奪還
4.岩付城に入る
5.内通者
6.籠城(一)
7.籠城(二)
8.籠城(三)
9.資正、策謀す
10.慈恩寺の調停(一)
11.慈恩寺の調停(二)
12.講和へ
13.北条への服属
番外編・反省メモ
14.北条服属時代①
15.北条服属時代②
16.北条服属時代③
17.資正、表舞台へ①
18.資正、表舞台へ②
19.海老島合戦①
20.海老島合戦②
番外編・河越合戦の登場人物たち
21.海老島合戦がもたらしたもの
22.二人の息子
23.葛西城にて(一)
24.葛西城にて(二)
25.葛西城にて(三)
26.元服式(一)
27.元服式(二)
28.元服式(三)
29.関東の領主たち(一)
30.関東の領主たち(二)
31.関東の領主たち(三)

 

本シリーズは第31回で一旦執筆停止。

資正の生涯を「調べる」、「描く」を同時並行で進めてきましたが、「調べる」と「描く」に進捗の面で大きな差が出てしまいました。当時、「描く」は、未だ北条氏服属時代ですが、「調べる」は謙信の第一次越山以降の“武州大乱”が中心に。本人としては、自分の「描く」のスピードの遅さと風呂敷を広げすぎた苦しさもあり、一旦ここで筆を止め、謙信の第一次越山以降の“武州大乱”期を描く「太田資正の失敗」シリーズの作成に移りました。宜しければ、ご笑覧ください。

 

太田資正の生涯を追う本シリーズは、いつかパワーアップさせて復活させたいと思っています。

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな。この果てしなく遠い、資正坂をよ・・・。」ということで。

 

 

2.『太田資正の失敗』シリーズ
覇権抗争が新たな段階に入った米中両大国に挟まれた日本。この三者を上杉謙信、北条氏、太田資正に置き換えて、日本の進む道を考えた考察です。「太田資正のこと」の形を変えた続編です。

(実はこれも形式的には完結していない(笑)のですが、最後の総括が未完成なだけで、内容は書き切っています。)

 

南シナ海判決後の日中関係と戦国武将・太田資正の教訓
「太田資正の失敗」のダイジェスト。私の資正関係の投稿の中で、一つだけ読むならこれが一番まとまっています。本編では未完成の「総括」も書きました。

 

米中抗争新時代の日本の道は戦国武将「太田三楽斎」の生き方にあり

太田資正の失敗① 岩付領の地政学

太田資正の失敗② 永禄四年の松山城合戦

太田資正の失敗③ 北条氏の波状攻撃

太田資正の失敗④ 永禄五年の松山城合戦

太田資正の失敗⑤ 松山城陥落

太田資正の失敗⑥ 資正窮する

太田資正の失敗⑦ 国府台合戦と岩付追放

太田資正の失敗⑧ 資正はなぜ敗れたか
太田資正の失敗⑨ (仕掛かり中)

(番外編)
岩槻城主・太田資正は、ぜ品川を攻めたのか

 

 

3.太田資正 犬と鉄砲
太田資正と言えば、軍用犬の活用。
また、あまり知られていませんが、鉄砲を活用した籠城法をいち早く採用し、大きな成果を得ました。
(新しい順)

太田資正と鉄砲2 「鉄砲二百挺」の真相

太田資正と鉄砲 ~宇田川武久『鉄砲と戦国合戦』から
鉄砲で武装した武州松山城は、城兵二百で武田・北条五万を止めた
太田資正が鉄砲の活用方法を確立した
史料研究:太田資正の犬の入れ替え

 


4.太田資正の人生を想う
太田資正のことを考えながら、ふと想ったことを書き留めたエントリです。

(新しい順)

大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸の最期と太田三楽斎

服属しつつ独立する生き方〜片野時代の三楽斎に学ぶ

禍は福に転じる 太田資正と岩付追放

太田資正(三楽斎)の最期を想う

資正が「三楽斎」になったのは何時か
太田資正の不思議

 

 

5.豊臣秀吉と太田資正(三楽斎)
小田原城包囲の際の豊臣秀吉との絡みは、三楽斎の生涯の最後の見せ場でした。
太田資正の最期を想う
付論:三楽斎と秀吉の対面はいつのことか
太田三楽斎、天下人秀吉を怒らせる
天下人秀吉、岩槻(岩付)に遊ぶ

 

 

6.上杉謙信と太田資正(三楽斎)

戦の天才・上杉謙信と、関東におけるその片腕・太田資正。

英雄、英雄を知る厚い信頼関係で結ばれた二人でしたが、時流の変化の中で決別していきます。

太田資正の最期を想う

『関八州古戦録』の謙信は人質を斬っていない
太田資正の悲哀・上杉謙信の冷酷

謙信、松山城合戦前後の動き

上杉謙信「越山」年表整理 ③
上杉謙信「越山」年表整理 ②
上杉謙信「越山」年表整理 ①

謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (3)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (2)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (1)
謙信の越山前夜 弘治3年(1557年)の世界 (0)

ハンニバルと上杉謙信

 


7.直江兼続と三楽斎
主君を選ぶならば「太田三楽と我君謙信公に若くはなし」と語ったと伝えられる直江兼続。その直江兼続と太田資正の絡みについて。
直江兼続は小田原陣にいたのか?
『小田原陣の太田三楽斎』
天正六年・小川台合戦~三楽斎は直江兼続と連係したか~【追記】

 

 

8.太田資正と松山城合戦
資正の生涯最大の激戦、武州松山城合戦についてのエントリです。
(ほぼ新しい順)
太田資正の息子が語る松山城合戦
軍記物が描く松山城合戦
謙信、松山城合戦前後の動き
太田資正の失敗⑤ 松山城の陥落
太田資正の失敗④ 松山城攻防戦
太田資正の失敗③ 永禄五年の松山城合戦に至る経緯
太田資正の失敗② 永禄四年の松山城合戦
武州大乱 永禄年間の松山城攻防戦とその証言
史料比較:永禄年間の太田資正の松山城奪還
【妄想】太田資正は松山城攻防戦において北条氏康とどう戦ったのか
武州松山城を歩く
太田資正と武州松山城の攻防

 

 

9.物語『火砲の城』
永禄5年~6年の武州松山城合戦を舞台にして、“物語”が描けないか?

ふと思い浮かんだ着想をメモに残しました。

物語『火砲の城』構想メモ

物語『火砲の城』構想メモ2

物語『火砲の城』構想メモ3 「火砲」という用語

物語『火砲の城』構想メモ4 「七沢七郎」という男

物語『火砲の城』構想メモ5 「太田下野守」の人物設計

 

 

10.太田資正と岩付城(岩槻城)
太田資正の居城であった岩付城(岩槻城)に関するエントリ。


(新しい順)

・『天正十六年の太田資正の岩槻城「打入り」を考える』シリーズ

 
 ※ すみません。このシリーズも未完です(笑)。

『太田資武状』が語る岩付城(岩槻城)の攻防
城郭規模比較(岩槻城、河越城、武州松山城、小田原城、江戸城)
岩付城(岩槻城)の北の堀切
幻の合戦・加倉畷の戦い
「岩槻城は誰が築いたか」を読む(後)
「岩槻城は誰が築いたか」を読む(中)
「岩槻城は誰が築いたか」を読む(前)
「岩槻城は誰が築いたか」を地形から考える
地図で見る太田資正の世界 (7)岩付城(岩槻城)とその地形

地図妄想:「敵は騎西城にあり」ならば・・・

 

 

11.片野の三楽斎の時代
岩槻を追われた資正は、佐竹義重の客将として片野で再起。以降は「三楽斎」を名乗ります。世に言う「片野の三楽斎」時代の資正を追います。
戦国大名・佐竹義重年表整理②元亀年間
戦国大名・佐竹義重年表整理①永禄年間
服属しつつ独立する生き方~片野時代の太田三楽斎に学ぶ~
近衛龍春『佐竹義重』~或は偉大なる“残念作”
片野の三楽斎は、まだ見えない
天正六年の『外交革命』~三楽斎の果たした役割
天正六年 小川台合戦 ~三楽斎は直江兼続と連携したか

 


12.『太田資正の家臣たち』シリーズ
太田資正の家臣として、軍記物や書状類に登場する人物らについて、一次史料を整理し、イメージを膨らませました。
(新しい順)
24.高崎刑部左衛門利春
23.会田出羽守資清
22.黒川権右衛門と川崎又次郎
21.佐枝信宗
その後の恒岡越後守家
「太田資正の家臣たち」の終わり ~或いは恒岡越後守の生きざま~
20.恒岡越後守
19.大島大炊助と大島大膳亮
18.比企左馬助

太田氏家臣 春日氏の戦国サバイバル
17.春日摂津守
16.牛村助十郎
15.浜野修理亮
資正の妹「としやう」のこと、もう少し
14.三戸駿河守と妻「としやう」
13.小池長門守
12.高麗豊後守
『太田家譜』の太田譜代之士
11.内田兵部丞・孫四郎
10.平柳蔵人
9.広沢尾張守忠信・信秀
8.河目越前守資為・資好と四郎左衛門
資正父子は岩付追放後も領内への影響力を保ったのか?
太田下野守 五代前の先祖
三田五郎左衛門とは誰なのか
7.三田五郎左衛門
舎人孫四郎をもっと知るには
6.小宮山弾正左衛門
5.上原出羽守
4.大石石見守
3.道祖土図書助
2.舎人孫四郎と野本与次郎
1.太田下野守
太田資正の家臣たち〈インデックス〉
岩付太田氏 歴代家臣団

 


13.軍記物の太田資正シリーズ
太田資正は、江戸時代に書かれた戦国関東の軍記物の主要登場人物。時に史実以上の北条氏の強敵として描かれる、軍記物の資正を調べました。
(新しい順)
『謙信家記』の太田資正
『北条記』の太田資正
群書類従で『北条記』を読む
『関八州古戦録』の謙信は人質を斬っていない
太田資正の悲哀・上杉謙信の冷酷
軍記物が描く松山城合戦
『関八州古戦録』入手
太田三楽斎、天下人秀吉を怒らせる~「奥羽永慶軍記」から~
「小田原北条記」の太田資正 ~幻の平井城合戦~
史料比較:永禄年間の太田資正の松山城奪還
「小田原北条記」現代語訳と「松山城合戦」
太田資正の戦場訓 ~名将言行録から~
太田資正 片野の歌合戦 ~異本小田原記から~
菊地寛、太田資正を評す
「名将言行録」の太田資正(三楽斎) ④
「名将言行録」の太田資正(三楽斎) ③
「名将言行録」の太田資正(三楽斎) ②
「名将言行録」の太田資正(三楽斎) ①
「名将言行録」で太田資正を読む
異本小田原記を読む
「岩槻巷談」を読む
国立国会図書館デジタルコレクション「岩槻巷談」

 

 

14.太田資正と河越合戦(川越夜戦)
許さん、『ビジュアルワイド図解日本の合戦』
北条氏康自身が語る河越合戦
【妄想(再)】太田資正は河越合戦をどう戦ったのか(2)
【妄想(再)】太田資正は河越合戦をどう戦ったのか(1)
【妄想】太田資正は河越合戦をどう戦ったのか ※要見直し

 

 

15.太田資正 年表整理
太田資正に関する年表整理をたびたび行いました。
(新しい順)
太田資正(三楽斎)一年一行年表
北条服属時代の太田資正年表
「片野の三楽」の合戦年表
岩付追放後の太田資正年表
太田資正・三楽斎の生涯 覚え書き

 

 

16.『太田資正の“帝国”』シリーズ
岩槻城主時代の太田資正の領地は、今日の岩槻(埼玉県さいたま市岩槻区)にとどまるものではありませんでした。書状・安堵状・制札等から、太田資正の“帝国”の版図を探りました。


(新しい順 ※認識が徐々に更新されていますので、ご留意ください)
太田資正の所沢への制札と安堵状が意味するもの
判物と書状から探る太田資正の領国と行動範囲
続・太田資正の“帝国”
太田資正の“帝国”
太田資正の勢力範囲
地図で見る太田資正の世界 (9)もう一度、資正の勢力範囲
地図で見る太田資正の世界 (1)資正の領国・勢力範囲

 

 

17.「地図で見る太田資正の世界」シリーズ
太田資正のことを調べ始めた当初、勢力範囲や行動範の地理感が掴めませんでした。そこで地図を書きながらなんとかして“地理感”を掴もうとしました。
初期の不正確な地理認識も、そのままにしていますので、読む際には注意が必要です。
(1)資正の領国・勢力範囲
(2)資正の活動範囲
(3)松山城合戦から国府台合戦へ
(4)岩付城追放後の資正
(5)佐野と鹿沼
(6)片野城と筑波山
(7)岩付城(岩槻城)とその地形
(8)武州松山城と河越城
(9)もう一度、資正の勢力範囲

 

 

18.小田原北条氏(後北条氏)について
太田資正の生涯宿命の敵北条氏について
「難攻不落の小田原城」が北条氏を滅亡させた
長林院:岩槻城の「心剛なる女人」の生涯
岩槻城の「心剛なる女人」~長林院の再発見~
江戸基点の関東統治は、北条氏政が創った
黒田基樹他『北条氏康の子供たち』

圏央道は北条氏反撃の道

論考:江戸城が後北条氏の関東覇権を決めた
太田道灌の三城(河越、江戸、岩付)の戦略とその後継者

 

 

19.太田資正をジャーにするには?!

我らが太田資正をメジャーにするにはどうしたらよいか?

そんなことを考えながら書いた呟き集です。

クレヨンしんちゃんと太田資正

【朗報】岩槻民、つい太田資正気づく!
「信長秀吉なんて読んでも無駄。キミが生き残るヒントを歴史に求めるなら、学ぶ相手は太田資正!」

新書『太田資正』を考える その2

新書『太田資正』を考える

岩槻は太田道灌への未練を断て

岩槻を太田資正・三楽斎の街に

 


20.太田資正関連の書籍・専門書
丸島和洋『戦国大名の外交』
戦国大名の“外交交渉”に焦点。陸奥・白川氏と太田資正のやり取りや、越相一和を巡る国衆らの動きの中で太田資正が登場。

千野原靖方『国府台合戦を点検する』
岩付時代の資正が、北条氏と戦った最後の大戦であった第二次国府台合戦。
従来、永禄七年正月に二日連続で行われたとされてきたこの合戦が、永禄六年正月と同七年二月の二回に分けて行われたものであることを検証した論考。

黒田基樹編『武蔵三田氏』
上杉謙信の第一次越山の後、北条氏の反転攻勢の最初の餌食となった勝沼三田氏に関する論考集。

梅沢太久夫『松山城合戦』
太田資正と北条氏の最大の激戦地となった要害・武州松山城。この城を巡って繰り広げられた幾多の合戦を体系的に整理した大労作。

加増啓二『戦国期東武蔵の戦乱と信仰』
国府台合戦で窮地に陥った太田資正を救った若き家臣・舎人孫四郎に関する論考を収録。

井上恵一『後北条氏の武蔵支配と地域領主』その2
旧与野市史編纂に関わった研究者による論考集。太田資正の岩付領統治や北条氏との抗争を詳述。岩付太田氏家臣の春日氏、恒岡氏にも焦点。

道野昭壽『戦国武将 太田資正』
在野の郷土史家が執筆した太田資正伝記。一次史料引用が豊富。

黒田基樹『戦国関東の覇権戦争』
日本中世史・戦国史研究の第一人者、黒田基樹氏による関東管領上杉氏と後北条氏の55年間の抗争の通史。太田資正の動向について、通史の流れの中で整理されている。

斎藤慎一『戦国時代の終焉』
天正十四年に下野国沼尻で行われた北条氏と佐竹氏の合戦(沼尻合戦)が秀吉対家康の小牧長久手の合戦と連動していたことを検証。佐竹氏の客将であった太田資正(三楽斎)の活躍も随所で言及。

湯山学『関東上杉氏の研究』
日本中世史の泰斗・湯山学の論考集。
「岩付太田氏家臣団覚書」が収録されている。

新井浩文『関東の戦国期領主と流通 ー岩付・幸手・関宿ー』
日本中世史研究家・新井浩文の論考集。
岩付時代の太田資正の書状の包括的・体系的な整理・分析が行われている。
越相一和(上杉謙信と北条氏の同盟)の交渉を通じて、資正が北関東の反北条領主らの核となったことも指摘。

黒田基樹編『論集 戦国大名と国衆12 岩付太田氏』
日本中世史・戦国史研究の第一人者となった黒田基樹が編集した岩付太田氏に関する論考集。
冒頭の「岩付太田氏の系譜と動向」は、最新研究を踏まえた岩付太田氏の“通史”となっており必読。

池亨『東国の戦国争乱と織豊権力』
河越合戦から小田原城開城までの流れが、分かりやすく記述されている。
太田資正に関するコラムも掲載。


■以下未整理
前世は太田資正の家臣?
太田資正と氏資 父と子の世代間ギャップ
北条氏康と太田資正の講和を取り持った男
妄想:関東地方はヒトデ型
三州の安危は公の一城に系る
父と太田資正談義
天文17年の江戸太田氏当主
大永年間の岩付城の攻防 ~或いは太田資頼という梟雄
太平記拾遺に描かれた太田資正三楽斎
太田資正の判物
太田資正 三楽斎のこと

■ 岩付城(岩槻城)周辺散策から
→「太田資正(三楽斎)ゆかりの地を歩く」に場所を移しました。(2016.10.25)



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