上杉謙信と太田資正(三楽斎)の仲を取り持った資正の実妹「としやう」。

その存在を私が知ったのは、一年前に『論集 戦国大名と国集12 岩付太田氏』(岩田書院)を購入し、同書収録の杉山博氏の古い論文を読んだ時でした。

太田資正に「としやう」という名の妹がいたこと。
ある時期の謙信が、資正との復縁を画策し、「としやう」に、かな文字ばかりの柔らかい文面の書状を送っていたこと。それも何通も。
それを初めて知った時は少し驚き、そして、謙信がそのかな文字ばかりの書を懸命に書いている姿を想像し、微笑ましく思いました。
しかし考えてみれば、実はその時、「としやう」その人のことはあまり印象に残りませんでした。

恐らく、今日残されているのが謙信から「としやう」宛の書状(『三戸文書』に多数収録)であり、「としやう」が書いた謙信への返書が残されていないためだったのでしょう。
手紙は、書いた人本人の人柄がよく出る反面、送られた側のキャラクターは間接的にしか伝わらないもの。当然と言えば当然のことだったのだと思います。


しかし今回、「太田資正の家臣たち 14.三戸駿河守とその妻『としやう』」を書く中で改めて「としやう」のことを調べ、彼女のことがとても好きになりました。

私にとって決定的だったのは、彼女の法名「笑室守胎尼」です。

出家とは、この世を生きる苦しみと悲しみからの解脱を志しての行為。それにも関わらず、「」の字を戸惑うことなく自身の法名の冒頭に持ってくるセンス。これは、ただ者ではありません。

もちろん改めて考えてみれば、兄・資正が「三楽斎」、父・資頼が「知楽斎」と、「」の字の入った法名を名乗ってきた家系ではあります。しかし、「」には悟りの境地を楽しむ三昧の静かな心持ちが映し出されています。それに対し、「」ははるかに能動的で、人生の苦しみや悲しみや悟りという概念すら笑い飛ばしてしまうような型破りな空気があります。

この法名を臆面もなく名乗った「としやう」は、間違いなく、権威に対して物怖じせず己の意見を堂々と述べることのできる芯の強い女性だったはずです。

しかし、己の意志を突き通す芯の強さは、時に人を不快・不愉快にするものですが、「笑」の字を選んだ「としやう」にその印象は浮かんできません。

愉快そうに、とにかくよく笑う女性。
物事にあれこれ拘らず、笑って水に流してしまう、そしていつの間にか自分でも忘れてしまう。
父にも、兄にも、夫にも、言うべきことは臆せず言い、しかしよく笑うことで場の空気をすぐに和ませてしまう。
そんな「としやう」のイメージが浮かんできました。

そうなると、今度は逆に「としやう」に対して親しみ溢れる手紙を送った謙信の気持ちも、そんな風に接するのが自然だったのだろうと思えてきます。謙信の微笑ましい一面は、「としやう」によって引き出されたものなのではないか、と。

「としやう」が、豊臣・徳川の時代をも生き、天寿を全うしたことも、彼女が周囲から愛される人物であったことを間接的に示しているように思われます。


戦国時代にあって、これほど魅力的な女性は、あまりいないのではないでしょうか。
波乱万丈の生涯を送った太田資正ですが、こうした素敵な妹がいたことによって、彼の人生は更に鮮やかに彩られていると感じます。  

(深呼吸)

NHKさーん!
大河ドラマの戦国時代を生き抜いた女性主人公のネタが尽きたら、ここに「としやう」がいますよー!
謙信と三楽斎、戦国の名将二人と生き、二人の仲を取り持った「笑う姫」ですよー!

真面目な話、マイナーですが、結構良い題材だと思うんです。

あ、NHKさん、私に対するお礼は結構です。その代わり「としやう」のキャスティングは、菅野美穂でお願いします。