陰の中に陽があり陽の中に陰あり(東醫寶鑑~体・宇宙・生のビジョン6) | 東洋哲学・真髄探求ブログ

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自分が実体験してみて本当だったと確認出来た数々の出来事の記録と、物事の本当の真髄は何なのか?探求しています。
(2008年から書いてますが2019年にほとんど消して残すものだけ再掲載しましたので、年代があわないものが多いです、ご了承ください)

『・・・男性は陽の気、故に運行させる性質、女性は陰の気、故に留まる性質。だから男性は使いすぎて病が生じ、女性は溜まりすぎて病になる。故に“全ての病に男性は必ず性生活に気をつけ、女性はまず月経と妊娠に関して聞かねばならない”これが“東醫寶鑑”が見る男性と女性の体的差別性だ。これ自体にどんな優劣もあり得ない。互いが互いを規定する関係だからだ。


従って陰の中に陽があり、陽の中に陰がある。すなわち女性の中に男性があり、男性の中に女性がある。ただ陰だけの女性もなく、ただ陽だけの男性もない。故に陰が極に至れば陽になり、陽が極に至れば陰になる。人も年をとればとるほど男性は女性化し女性は男性化する。


陰陽の論理が“差別像”になったのは、国家や権力、資本などと結合した時だった。いわゆる陰陽の原理を引用し男は天で、女は地と規定したあと、天は高く偉大であり、地は低く卑しい、だから男性は女性を支配し所有することができるというような論理を導き出したことが、全ての性差別論の共通点だ。そのまま見ても命題と命題の間が非常に隙間だらけで雑だ。さらに決定的なのは“相互転化”という原理が欠落している。』


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“男は天で、女は地”という表現は韓国ではいまでも使われ、男尊女卑の意味で理解している方も多いと思う。女性が“男性は天だから・・・”とか言ってるのはまあ、教育的に聞いて聞けないこともないが、男性が女性に対して、“男は天だ!”と自己主張している姿はなんとも絵にならない。同じ言葉でも誰が誰に向かって言ってるかで、ずいぶん意味も変わるものだと思う。


ところでこの陰陽の気・・・


『陽の気は冬至から上がり始めて、夏至に天に到達する。陽が極に至り盛んになれば陰に変わるもの、天に到達した陽の気はまた、陰の気に転化され地に向かって段々降りて行く、その極の点がすなわち冬至だ。陽の気が地の中から天へ上がっていく過程がすなわち春と夏だ。春分で春と夏が交代する。天まで昇って来た陽の気が陰に転換され地の中へと降りていく過程が秋と冬だ。秋分に秋と冬が交代する。』


というふうに気は陽になったり陰にひっくり返ったりしながら天と地を一年で行ったり来たりする。分けるに分けられず、あなたがわたしでわたしがあなたっていう間柄。陽の気も陰の気も天も地も混ざり合っているというイメージだ。


男性の女性化と女性の男性化で思い出したが


(前にも書いた内容だが)日本の本で韓国語翻訳版に、『男性は繁殖能力を喪失するとあまり長く生きられない、女性は繁殖能力が落ちてもその後も比較的長く生きる。』という内容があったと昔のセンター長が話してくれた。


簡単に言えば男性は種をまくだけの役割、女性はそれを育てる役割があり、だから女性は生殖能力がなくなってもその後長生きするのではと。(所長が言いたかったのは女性はそれが使命且つ生きがいなんだ、加えて誰かお世話しなきゃいけない相手のいる女性は、お世話する対象が誰もいない女性より統計的に健康で長生きだ、だから一生懸命仕事をしろということ)


老後の男一人所帯はなかなか生きるのが困難だが、女一人はとっても強く生きて行ける。


女性は(全部とは言わないが)あまり過去にとらわれないというか・・・前向きに一人でも勇敢に生きてくばあちゃんたちは日本でも多いのでは?と思う。


この間の男性美容師さんも昔はドラマとか見なかったと言う。そんなものは作りものだと関心なかったが、最近はドラマ見て泣くんだと半ば自慢していた。そこで私が“泣くとストレスも解消していいらしい”と言うと、奥さんにも『一杯泣いたらいいんだよ』と奨励されていると。男性もそうやって女性化するというと、“そうらしいんだよな”と嬉しそうに認めていた。


考え方によっては、まあ、性別も生きてるうちに両方楽しめるっていう、人生の意外な特典なのかもしれないと思った。