「あ、この場面何か見たことがある」
誰しも経験したことがある“既視感”
肉体は空間に束縛されるが、意識は比較的自由。意識は夢や幽体離脱によって時空を移動できる。
時空は過去・現在・未来が一箇所にある。現代人でも過去も未来も意識で意図的に見ることができる。
デジャブとは、夢や何らかの形で意識が見た未来の映像と記憶が、肉体が体感する・・・現実と一致する瞬間のこと。
記憶が体験に追いつくという体験、それがデジャブ。
デジャブ経験が多い人は、時空を旅する能力に恵まれている、またはそうでなくても訓練次第で時空を自在に移動することができる。
・・・こう今日見てた動画で説明していた。
私が初めて予知夢を見たのは中学2年くらいのとき、体感感触付きのそのはっきりとした夢は登場人物こそ違うものの約7ケ月あとに現実となった。だがいつどこでそういうことに巻き込まれるかがわからないので、結果なんの役にも立たなかった。
その後、度々デジャブは続いている、今だに。
そのため、嫁いだこと、ここで勤務すること、このお客さんに会うこと・・・全部が最初から決まっていたということになる。
何か目に見えない力に押されてここまで生きてきたが、私の場合、節目節目で“任期満了”という単語が毎回はっきり頭に浮かんで来る、だから大きな決断もあまり悩まない。
次の幕に移行することがはっきりしているから。
ということは、まあまあ全てはやはり決まっているということ。だから自分の過去を思い起こして悔やむ必要も全くない、だって全てが必然なんだから。
その決まったレールを避けて行くこともできるそうで、動画の作者がやってみたら、全然上手く行かず、結局は決まった方向へ行くしかなかったそうだ。どうやらそのほかの人たちも一人がそれをやると噛み合わなくなってしまうらしい。
捨てる神と拾う神は交互に現れると以前書いたことがある。人は揺れながら前に進んでいく。その過程で自分にとって都合のよい事も悪い事も必ず起こってくる。不幸を退け幸福だけを得ようとしても、そんなうまい話はない。これがわかったら生きることに少し余裕が出て来る。
昔、デジャブを常に見る人が、デジャブを見なくなったら終わりが近いと言っててやや怯えた記憶もあるが、もう全てが決まってるんだったら、なんら困ることもなくその現実をひっくり返そうと歯を食いしばって闘う必要もないではないか。
肉体があろうとなかろうと、多分何にも変わらない、最近は心底そう思うようになった。