新しい中世城館らしきものが発掘調査にて見つかったようなので、行ってみた
岩本古墳群…中世城館の可能性が考えられる土塁状遺構(1ヶ所)、平坦部(17ヶ所程度)を検出。鳥取城から鹿野城へ至る街道を真下に見下ろす丘陵上に立地し、南東側に平野部を挟んで丸山城を見る事ができる。
近年、湖山池南岸の丘陵上に中世の土塁状遺構が検出されつつあるが、これらもその可能性があり、この地域の中世城館の在り方を考える上で重要である。
登ってすぐに土塁
南尾根から見た北尾根全貌(右下に土塁が見える)
埋葬施設
丸山城を望む岩本古墳群は、その北東に防己尾城が所在しており、さらに鳥取城から
鹿野城への街道を見下ろす丘陵上との事を考えると、鳥取城包囲網の外周部なのかも知れない
上記の新聞記事には、土塁が発掘されたのは岩本古墳群だけのようだが、現地説明会の資料によれば、もっと見事な土塁が発掘されているようなので、そちらへも行ってみた
高住宮ノ谷古墳群…時期不明ながら土塁状遺構を確認した。長さ28m、幅8m、高さ1.8mを測る。盛土は非常に均一で一気に造られたと考えられる。湖山池南岸の丘陵上に分布する一連の土塁状遺構とみられ、その構造を探る上でも良好な調査事例となった。
登って行くと、すぐに長さ28m、幅8m、高さ1.8mの土塁が
木棺が埋葬されていた場所…
道路工事が着々と迫って来ている…
不要かも知れんが、軌跡ログ
「出会いの森」には、鳥取城を包囲していた秀吉が、毛利方の援軍に備えた陣城の長大な土塁が発見されている…
この2ヶ所も、その類かと思ったが、高住宮ノ谷古墳群の土塁は、北西に向けて構えられており、その北西には尾根続きの丘陵があり、援軍に備えた縄張りではないようだ
湖山池南岸で検出されつつあるという、土塁状遺構の今後の発掘調査に期待する