わたしという人。 | 日々つれづれ

日々つれづれ

はづきのアタマの中。




わたしという人。

というのを、ぼんやり考えていた。


選択肢が多い方が好き

これしか選ぶ余地がない、というのがしんどい。
名古屋駅から徒歩圏内で育ち、
結婚後も神奈川と名古屋で生活していた私。
いわゆる「都会」にしか住んだことがなかった。
学校も仕事も買い物も娯楽も文化も公共交通も、
選択肢がたくさんある中で、
好きなものを選択して生活してきた。
また、自然ではなく街が好きな私にとっては居心地がよかった。
というか、それが当たり前で生きてきた。



ゼロからイチを作るのが苦手

企画系が昔から苦手だ。
逆に、すでにあるものを理解してその通りに遂行するのはとても得意。
多少の改善やアレンジはできるが。

たとえば、料理でも新たなレシピを考えるのはできないが、すでにあるレシピをその通りに作ることはできる。
手芸でも、レシピ通りに作ることは出来るが、
新たなデザインは思いつかないので、
作家には向いてない。



なんで、ここ数年、
自分が自分じゃないような感覚に陥り続けてるか、
考えていて、気づいた。

選択肢が少ない生活、街。
選択肢を広げようと思うと、時間もお金も労力もかかる。
都会に比べて、無いものが多い。
無いなら作ればいい、とよく言われるが、
ゼロからイチを作るのが苦手なので、そこまでのバイタリティが湧かない。
逆に「なんで無いの?」という疑問が湧いてしまう。


私は、創造型ではなく消費型

なんだと思った。

すでにあるものを使ったり利用したり、
そしてそれを周りに紹介したり。
そっちの方が得意だし、心地よい。

だから、消費するものが少ない今の生活がしんといのだ。

東京が好きなのもそういうことだ。
選択肢が有り余るほどある街。
消費してもしても、また新しいものが生まれるから、追いつかない。そういう街。



3年前に受けたコンサルで言われた、
「この街に無理に染まる必要は無い」
という言葉が、
ある意味支えになっている。
どこにいても私は私。
自分を変にねじ曲げるのはやめよう。