フェイスブックを辞めて4ヶ月。ツイッターやツイキャスを辞めて1ヶ月ちょい。
諸々の通知が来ないので夜が静かでいいです。
「夜の帳」ってこれかぁ、なんて感じたり。
本来の夜の形にほとんど戻ってるので、以前がいかに情報過多の状態だったのかを実感してます。
知らんでいい事は特に知らなくても、差し支えがまったくないのですよ。
そんなわけで僕は夜なべしてゲームしてるんですけどね。
「スーパーロボット大戦F」っていうんですけどね。
レトロゲーやロボット好きには垂涎もののゲームです。
ま、あと2年ちょいで40歳を迎える我が身ではあるのですが…
それは敢えて言わんといてください(笑)
閑話休題。
皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。
何を今更って話。
僕はここ二週の間というもの、いろーんなことが起こってなかなかに波瀾万丈な日々を過ごしましたよ。
まず、去年11月頃に一度断念した、奈良県にある大神神社に参拝してきました。
何で断念したかっていうと、そこは山自体が御神体で頂上にお社があるんです。
参拝するには山を、御神体を登らなきゃいけない。登拝っつーんですね。
で、去年それをしようと思ったら夏の台風で山道が崩れてしまってて危険だから登らんといてーって言われまして。
しょうがないから麓と近隣の神社にお参りしただけに留めたんですよ。
いつかリベンジしようと心に誓ってたんですが、そのチャンスが今年のゴールデンウィークに巡ってきて。
お世話になりっぱなしなので失礼に当たるかもですが敢えて言わせてもらうとツレがですね、「行くねん」って言うから「ボクもー!」と飛びついたわけです。
頂上のお社までの道のりは険しくも荘厳で、伊勢神宮に行った時にもあった「痛くないプレッシャー」を総身に感じ、その後四日間は身体に不調が残るほどのダメージを受けながらも怪我なく無事に参拝する事が出来ました。
本当に良い経験をさせていただきました。
あれだけしんどかったのに、また行きたい、また登りたいと思ってます。
その翌日。
僕の父親からメールが届いた。
「先月26日に、お母さんが膝のお皿を割った」
実は去年の今頃にも母親は背骨を折っていて、その時も骨折後しばらく経ってから知らせを聞いたのでその時も感じたんだけど、正直「もっと早よ言えや!」って思いますよね(笑)
知らされたところで僕は医者でも何でもないので治せるはずはないんだけど心情としてはいち早く知りたかった。
これは後で分かった事なんだけど、膝のお皿が縦に綺麗に割れていたので治りも早いとの事でした。
これが横に割れていたのなら入院していたらしいのですが、今は自宅療養してるそうです。
そしてその知らせから2日後。
今度は母親から電話が来た。
僕はとっさに思った。
「あかん、怒られる」
いくつになっても母親はコワイもんですな(笑)
膝を割った事を知りながらも僕からは連絡してなかったんです。
ええ、ええ。あかん息子ですよ。
電話に出ると母親は開口一番、
「あんたに言うとかなあかん事があるねん」
来た!
怒られるぞ!
「母親である私は膝を割るという大怪我をしたというのに、息子の、しかも長男のあんたが何故に電話の1つも寄越さんのだ」、「メールすらないじゃないか」。
しかしそこは40前の男のタクティクスですよ。
伊達に長い間息子をやってませんよ。
先手を打ってやろうと思った。
「そういや膝割ったらしいな。大丈夫なん?」
すると母親は僕の言葉を「ふふん」と鼻で笑い、言った。
「あんた…それもそうやけどな。もう1つあるねん」
「な……なに?」
「お父さんが入院したで」
「え?」
「心筋梗塞やて」
「えーーー!」
僕の頭に、ドラマなどでよくある「胸を押さえて苦しむ姿」が浮かんだ。
「それ大丈夫なん?」
「今日緊急手術した」
話に聞けば、心臓にある大事な3本の血管全てが詰まってたそうで、その日の手術でとりあえず1本、開通させたと。
経過を見て一週間後に再手術だそうだ。
この短いスパンで母親が膝を割り、父親が心筋梗塞。
僕は数日前の大神神社への参拝がきっかけではないかと思った。
他にも参拝者がたくさんいたから何か要らんもん背負い込んで来てしまったのか。それとも、知らず知らずのうちに神様に対して不敬を働いてしまって、バチが当たったのか。
それにしても何で俺本人に来ない。何故、周りに、身内に来る。
イライラする。何よ、このやり場のない怒りは。
俺が悪いのか?悪いなら俺に来いや!
なーんてブツブツ言うてても埒が開かないので、とりあえず父親の入院先を聞いて、お見舞いに行く事にしました。
いやほんまに親もトシですから、気が気じゃないですよね。
僕にとって両親とは鉄人で、そんなはずはないんだけど「病気や怪我から無縁の人たち」、「死なない人たち」だという認識が無意識下にでもあったんでしょう。
でも生物である限りは産まれたらいつかは死ぬのが当たり前で、自分が年を取れば両親だって老いていくんです。
今回の父親の件で、僕は初めてと言っていいほど「死」を突きつけられた気がします。
そして今。
僕は病院の待ち合いロビーにいます。
父親の2回目の手術の、お見舞いがてら立ち会いというか、なんかそんなの。
で、さっきまで病室で父親と話してたんですけどね。
僕は、神様の存在を、改めて確認しましたよ。
他の参拝者から要らんもん背負い込んでない。不敬も働いてない(あ、これはあくまで「つもり」だけど)。
神様はちゃんと僕を見てくれてた。
簡単に言えば、膝を割った母親の付き添いで行った病院でついでに診てもらったら心筋梗塞が発覚して即入院。そして今に至るというわけです。
父親本人は特に不調もなくいわゆる「元気な」状態です。
1回目の手術も今やってるのも、てっきり開胸手術かと思いきやカテーテルで、細い管を通しただけのもの。
身体に負担が掛からない方法みたいです。
なのでさっきも病室で元気に話してましたし、時折ベッドで「釈迦の涅槃図」の格好で寛いでました。
点滴の類も付いてないので行動に制限がない。
手術室に行く時も「ほな行ってくるわ」って言うからつい「うん。行ってらっしゃい」と普通に見送ってしもた(笑)
何か見送る時のイメージはもっと悲痛な感じだったりしたんだけどね。
頭おかしいと思って聞いてくださいね。
僕は、父親の病気が早期に発覚して元気なうちに治す事が出来て、しかも母親の膝の怪我だって軽く済んでるのは、僕が神様から戴いた恩恵、ご利益なのかもしれない。
割と本気でそう思うのです。
父親は、タバコ吸いたいとか甘いもん食べたいとかカテーテル中は動かないてくださいと言われたのに動いたりとかして、看護師さんに怒られる毎日だそうです。
でも、
「やっぱ白衣の天使って感じがするわ。なんかええわぁ」
みたいなこと言うから
「仕事やからやってるだけ、かもやで」
と諭しておきました。
僕も入院した事あるからそう感じる気持ちは分からんでもないけどね(笑)
これでまた、登拝する理由が出来ました。
「行きたいから行く」んではない。今度は「お礼を言いに」行こう。
神様からすれば「え?何の話?」って事かも知らんけどねぇ。
とにかく僕はそう思ってるんだから、いつになるか分からんけどいつかは必ずお礼参りに行くのでその時はまた迎えてくれたら嬉しいです。
長文失礼しましたよ。
今度からは「more端的、more簡潔」を目指してブログ書きたいと思いますよ。
〜今日の一言〜
しかし……この病院、女性ナースの皆さん素敵な人が多いのよな。