前々回の榛名神社に続き、同じく上毛三山の一つ妙義山に鎮座する妙義神社のレポートです。参拝は2013年8月9日。
<妙義神社>
上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。(wikiより)
御祭神
日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿
まずはすぐ近くにある「道の駅みょうぎ」の駐車場に車を停め、一の鳥居を目指す。
妙義山は、富岡市・安中市・下仁田町の境界に聳え、奇岩・奇峯の連続する上毛三山の一つ。大きくは白雲山・金洞山・金鶏山の三山の総称。
妙義神社はその白雲山を神体とする神社なので、鳥居の時点で山に向かう上り坂なのだが、そこから延々と石段を登り続ける。
まずは総門がある。
真っ赤な仁王像がお出迎え。
この辺りは明治期以前に石塔寺がおかれていた旧寺域なので、もとは白雲山石塔寺の仁王門である。
参道は左に向かうが、この区域にもいくつか見るものがある。
まずは天然記念物の妙義神社の大杉。
そして巨大な青銅製燈籠。
そして和歌三社と稲荷社がある。
参道に戻って銅鳥居をくぐる。
その先の右手に「波己曽社社殿」がある。
妙義神社は古くは波己曾明神と称し、『三代実録』の貞観元年(859)三月二十六日に、「授上野國正六位上波己曾神從五位下」とあり、『上野国神階帳』に「従二位 波己曾大明神」とある古社である。
つまり、こちらが旧本社である。「波己曾明神」とは聞き慣れない神名であるが、現在の祭神とされている記紀神話で有名な神々より、こちらが本来の妙義山の神であったのかもしれない。
波己曽社脇には池があり、おそらく弁財天を祀っている社殿がある。
そして手水舎で手と口を浄めた後は、
いよいよ本社へ向けての更なる石段である。
手前で分岐があり、右へ曲がれば比較的ゆるやかな登り道になっているが、男なら正面突破しかない。しかし、165段の急な登り石段は本当に息が切れる。
ちなみに、NHK大河ドラマ「義経」で、牛若丸が預けられる鞍馬山の撮影が行われた場所としても有名になった。
やっとの思いで登り切ると、「随神門」がある。
こちらは寺域ではなく神域の入口なので、仁王ではなく武者がいる。
さらに、謎ポーズをとった赤鬼・青鬼がいる。「竹内文書」にある、かつて地上に存在した五色人の内の赤人・青人ともされる存在だが、秋田のなまはげ、あるいはドイツのクランプスのように食人の風習があったともされる。一説にナチスドイツはこの赤鬼・青鬼の巫女を捕獲し、当時の常識を遥かに上回るテクノロジーを手にしたとか、その巫女は現在米ペンタゴンの地下にいるだとかいう都市伝説もある。
そして、その先の石段の上に「唐門」がある。
門の時点で数々の意匠がすごい。
唐門の先はいよいよ本殿、幣殿、拝殿である。
本殿は、拝殿と共に黒漆塗銅茸入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、その前に唐破風の向拝屋根を張り出している。宝暦六年(1756)の建造である。
唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門で、これらの建物の周囲は彫刻でもって埋められ、そのすばらしさは著名である。宝暦六年(1756)の建造である。
とにかく、彫刻の数々が素晴らしい。日光東照宮の彫刻師がここに来て彫りあげたと伝えられる。
これまた、著者がYoutubeにアップした動画をどうぞ。
そして、神社本殿裏側マニアとしては、やはり裏に回り込まないわけにはいかない。
案の定、瑞垣内に意味あり気な岩を発見。
社殿裏にも「天狗社」とされる拝所があった。
ちなみに、妙義神社の特徴としてこれら石垣の技巧の巧みさも挙げられる。
そして、ここ妙義神社は妙義登山道の入口でもある。さらなる奥地に踏み込むには完全に登山となってしまう。参拝ついでに寄れるところではなく、ちゃんとした装備が必要だろう。
なので、引き返して石段を下り、下部の旧寺域に戻る。
このような聖徳太子の碑もあった。
こちらは、「社務所と旧宮様御殿」。俗に宮様御殿といわれ、嘉永五年(1852)に再建されたものである。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」楫取素彦の避暑地ということである。
こちらは、公式サイトに紹介されている内部の動画。
ちなみに、妙義神社は白雲山を神体とすることは先述したが、その白雲山の中腹には「大」の字がある。
この「大」の字は妙義大権現の「大」。中山道を歩く人々の遥拝の目標とされたらしい。
この大の字へも登山道で行けるようなので、いずれ行ってみたいと思う。
御朱印はこの日には頂かなかったので、後日頂いたものの写真をアップ。
以上で妙義神社のレポートを終了するが、山を御神体とする神社である以上、いくら豪華な社殿を見ても山中に分け入らなければ当ブログが目指す「異界」には辿り着けないだろう。
しかし、妙義山の神社はここだけではなかった。もう一つ、「妙義中之嶽神社」が存在する。
なので、その二に続きます。