村神春樹の小、中生時代 | カノミの部屋

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ブログ・470「村上春樹の小、中生時代」2018・12・16

 

 村上春樹は一人っ子である。親の関心は常に一人っきりの自分に注がれる。

「考える人」2010年夏号のロングインタビューで、「僕は幼年時代や少年時代に、自分が傷つけられた記憶はありません。夙川と芦屋という穏やかな住宅地域で育ち、いわゆる中産階級の子供で、一人っ子だから葛藤もなく、家庭にも問題はなく・・・平穏無事な少年時代」を過ごしてきたと思っていたが、小説を書くようになり、書いているうちに、「幼年時代、少年時代に自分が傷ついていないわけではなかった」ことに気づいた。これは「両親を非難しているのではない」と、何回も繰り返しながら、「人というものは、誰であろうと、どんな環境であろうと、成長の過程においてそれぞれ自我を傷つけられ、損なわれていくものなのです」と。

 

 村上春樹は1955年、浜脇小学校に入学、2年後の1957年、新設の香櫨園小学校に転入学した。(「文学界」2011・8の、鈴村和成「地震の後、村上春樹の神戸をゆく」)。この記事を見つけて、私の家が熊本から香櫨園に転居して、妹が転校して行った小学校が「浜脇小学校」ではなかったかと思い出した。西宮市屋敷町90番地(屋敷町という町名でも付近一帯「お屋敷」はあまりなかった)の私の家のそう遠くない場所に、彼の家があったのだろうと思う。

 2年住んだ私の家は、1995年1月17日の地震で崩れ、壊滅したと聞いた。隣のおばさまは瓦礫に挟まれて亡くなったと、息子さんから知らせを受けた。春樹さんのご両親の家は、その時は芦屋のお邸町にあったのだろうけど、土台が崩れ、住めなくなったという。

 香櫨園の浜の喪失につては、彼の第三作「羊をめぐる冒険」の終末に、埋め立てられた突端に残された50メートルほどの砂浜に腰を下ろし、「二時間泣いた」とある。

 小学校について言及はないが、中学校はやたらに殴る先生が多く、理不尽な教師の暴力に、春樹少年は「学校教育」への批判を持つようになった。彼の中学生の時といえば、教師への勤務評定、生徒への全国一斉テストを強行する文部省と、それに反対する日教組の争いの真っ最中である。イライラ教師の暴力の時代でもあったのだ。