村上春樹は浪人したか?・彼の両親 | カノミの部屋

カノミの部屋

①原発の勉強

②読んだ本のこと

③思い出

④その他 
 バスクのこと、野上弥生子のことも

ブログ・475「村上春樹は浪人したか?・彼の両親」2019・1・30

 

 村上春樹は進学に当たって「せめて国立大学に行ってくれ」と親に言われた。それで、毎日図書館に通って、ゾラとかバルザックとか19世紀の重厚なフランスの小説に読みふけった。もちろん国立大学には、文系の入試にも数学があるので、国立大学に入るなら、苦手な数学を勉強しなければならない。春樹にそのつもりはない。親は一人息子の将来に、「学者」を想定していたのかもしれない。それは、高校3年のことか、浪人をしたのかはっきりしないが、私は浪人をしたのではないかと思う。

 彼の両親は、二人とも国語の先生で、母親は、結婚の時か、春樹が生まれた時かに、仕事を辞めて専業主婦になった。

 彼は「父」について、2009年に「エルサレム賞」をもらった時の「挨拶」の中で次のように書いている。「私の父は昨年の夏に九十歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました。大学院在学中に徴兵され、中国大陸の戦闘に参加しました」、そして、毎朝仏壇で長い祈りを捧げていた。何のために祈っているのか聞いたところ、「戦地で死んでいった人々のためだ」、「味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のためだ」。父が祈っている姿を後ろから見ていると、そこには常に死の影が漂っているように感じられた。そこにあった「死の気配」は「私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです」。

 春樹の父は、京都の寺で生まれた。寺で生まれた男の子は、たとえ寺を継ぐ子でなくても、僧侶の資格を取ることになっている。彼は多分寺を継ぐ長男ではなく、国文学者の道を歩み、途中で軍隊に徴兵されたのだろう。

 母について、彼は2001年夏号「考える人」誌の「村上春樹ロングインタビュー」の中で、谷崎の「細雪」に関して「あの本は楽しく読みました。母親が船場の商家の娘で、それも女ばかり三人の一番上で、そういう実際の環境が身近にあったから」と答えている。「細雪」の姉妹の舞台となった阪神間で育った春樹の周りに、母の姉妹の交流があったことがわかる唯一の証言である。

 村上春樹にとって、母親とはどんな存在だったのか、作品の中でも主人公との関係に「母親」に関して言及することはない。

 やれやれと、春樹的ため息をつくほかない。ポストモダンの母・息子関係は多分・・・。村上春樹は