自分で自分を育てる | カノミの部屋

カノミの部屋

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 バスクのこと、野上弥生子のことも

ブログ・476「自分で自分を育てる」2019・2・5

 

 村上春樹の母親のことだけれど、もう一箇所「母親について」の記載があるのを見つけた。春樹がアメリカに滞在中のことを書いた『やがて哀しき外国語』の中に、「子供の頃母親に『今しっかりと勉強しておかないと、大人になってから、あの時もっと勉強しておけばよかったと後悔するよ』と言われたそうだが、大人になってそのことで苦労したことはない。彼は20台で自分の店を出し、夫婦で過酷な労働をしたことで、学んだことが多かったと、書いている。

 母親は、夫が学者の道を戦争のために断たれ、ただの学校教師になった無念を念頭に、息子の学業のあまり振るわないことを心配したのかもしれない。

 にもかかわらず、村上春樹の読書環境は、仰天するほど恵まれていた。小学校高学年くらいから、彼は本屋に行って好きな本を、「ツケ」で買うことが許されている。自由に好きな本が買えるのは「とても嬉しかったし、おかげでいっぱしの読書少年になってしまった」と「日刊アルバイトニュース」に連載した短い文集に書いている。全く羨ましい環境である。読書を厳禁された私の子供時代の悔しさへの「恨み」が改めて蘇ってくる。(私の場合は、その「悔しさ」を「バネ」にしてきたから、かえってよかったのかもしれないが」

 かくして春樹少年は、音楽と、読書からたっぷりした栄養を摂取し、神戸の公立高校、それも進学校で有名な高校に入学した。真面目に授業は受け、熱中したのは音楽と読書である、音楽はジャズだけではなく、クラシックをよく聞くようになった。小遣いはあらかたクラシックを含む音楽のLPを買って消えた。

 このころ、神戸の三ノ宮駅前で老夫婦のやっていた「マスダ名曲堂」によく行ってレコードを買ったと書いている(ムラカに春樹「雑文集」p,109)、多分昭和24年頃と思う、私は2年間の阪神間在住の最初の正月、神戸に行ってこの店でベートーベン第6交響曲を聴いた。そのあとブラームスのピアノ5重奏曲を買った。LPのまだない時代、多分4枚か5枚組のレコードを、うちにあった手回しの蓄音機で、何百回聞いたことか、自分として忘れがたい時期だった。

 さて春樹少年は、この頃神戸の古本屋でアメリカの船員が売って行ったペーパーバックの娯楽小説が、極安で売っていったのを買って英語で読むようになった。どんどん読んだのでだんだん辞書なしで楽に読めるようになった。ジャズで英語は耳に親しかったことも良かったのではないか。音楽を浴びるほど聴き、英語でアメリカの小説を読む高校時代、彼は自分で自分を育てたのだ。