制服について | カノミの部屋

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ブログ・477「制服について」2019・2・10

 

 村上春樹は高校で、生徒会新聞を出す活動をしていたらしい。高校生は制服を強制されていて、彼はそれが嫌でたまらなかった。彼は生徒会新聞に、制服がいいか、服装の自由化を望むかアンケートを実施した。このアンケートは彼の発案だったと思う。その結果、生徒の約7割が「制服のままでいい」と回答した。「これには僕もいささか唖然とした。そうか、日本人というのは基本的にとことん制服が好きなんだと思った」(村上朝日堂ハイホー!p47)そして、それ以来僕は日本という国を、心の底であまり信用しなくなった。この国の人間は心からは自由を求めていないのだ。

 そういえば、戦時中には国民服令が交付された。昭和15(1940)年のことで、国民総制服体制が実施された。例えば女学校には各学校の制服があったが、この時全国の女学生の国民服が制定された。命令、服従を徹底させるのが制服の役目なのだ。これは、敗戦ですべて消滅した。

 もちろん職業、立場によって制服が必要な場合がある。警官とか、駅員とか、看護師さんとか、職場の作業着とかある種のスポーツ選手とか。

 学校制服支持者は、自由より自分の属する難関校を誇示したいのかもしれない。「いい学校に入った誇り」。

 しかし、子供の制服には随分無理がある。子供は成長するものだ。成長に合わせて何回も買い直す必要がある。貧しい親には大きな負担になる。学生服は頻繁に家で洗濯をするのは無理で、クリーニングに出すのは夏休みとか長期休暇の時で、実に不潔になりがちだ。小さくなって首のホックがかけられず、不潔な悪臭ただよう学生がたくさんいるでしょう?

 さて、今日の夕刊に、「中学女子の制服 スラックスOK」という記事があった。今まで女子の制服はスカートだったが、スラックスでもいいことになったそうだ。東京では公立の中学でも「制服」だったのだ。いつから? 中学は義務教育だから、貧富の差なく、どういううちの子も行かなければならない。教科書は無料になった。入学にあたって、親の支出は貧しい家計で、制服は大きな負担になるだろう。何より子供には画一教育、個性を無視、上意下達をあくまで第一に考える教育のあり方を表しているかのようだ。新聞には中野区の女子中学生の制服の写真が載っている。上着はセーラー服とブレザーをミックスしたような珍妙なデザイン。学校の制服はやめたほうがいい。