「風の歌を聴け」が群像新人文学賞に」 | カノミの部屋

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ブログ488「『風の歌を聴け』が群像新人文学賞に」2019・3・11

 

 第一作「風の歌を聴け」は、講談社に送り、やがて群像新人文学賞の候補になり、ある朝編集者から「最終選考に残った」と言う電話をもらった時、彼はきっと新人賞が取れるだろう、そしてそのまま小説家として、ある程度の成功を収めるだろうと直感した。あの、野球場の芝生で受けた「天啓」が、実現していく手応えを感じた。実際、1979年4月、「風の歌を聴け」は群像新人賞を受賞した。

 

 さて、今、2019年、村上春樹が小説家になって41年経つ。彼はたくさんの小説を書き、長編小説は出版される段階で新聞記事になり、発売の日は読者が書店の前に並び、桁違いの発行部数が売れ、世界中の国に翻訳され、幾つもの賞を取り、世界的に読まれている小説家である。

 朝日新聞が、平成時代が終わろうとしている今、平成時代に刊行された本の中からベスト30を選ぶべく、識者にアンケートを行ったところ、120人から回答があった。村上春樹はその1位として「1Q84」、10位に「ねじまき鳥クロニクル」が選ばれた。2位は、5歳まで日本にいてイギリスで作家になったカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」。

 

 時代を戻そう、彼は2作目の「1973年のピンボール」を「群像」1980年に掲載、単行本としても出版された。冒頭に「1969−1973」とあるので、その間の物語だ。

 「僕」は渋谷の南平台に向かう坂道に友達と一緒に「翻訳を請け負う事務所」を作り、かなり収益を上げていた。ある日仕事から帰ったら「双子」がいた。

 双子はどこからなぜ彼のところに来たのか分からないが、とにかく一緒にかなり長い間暮らすのだ。二人は家事もする。彼のベッドの両側に寝る。近くのゴルフ場に散歩に行く。そしてある日突然出ていってしまった。その頃彼は「ピンボール」に夢中になる。ジェイズバーにあった「3フリッパーのスペースシップ」型の「ピンボール」をひたすら探す。

 一方、鼠は付き合っていた女の子には別れも告げず、夕方6時、開店直後のジェイズバーで、ジェイに「町を出ることにしたよ」と告げ、町を出た。