首都圏の豪雪の日に北陸へ!-2- 米原回りで金沢へ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

首都圏豪雪の日、平成26年2月15日の夕方に乗車した「ひかり」523号は、「のぞみ」と同じ最新鋭のN700系だから、定刻17時33分、東京駅からの滑り出しは「のぞみ」と何ら変わらなかった。
 

ネオンが眩しい有楽町・新橋のビル街を高架で走り抜け、品川に停車し、多摩川を渡って速度を上げて18分で新横浜に停車する旅の序曲も、「のぞみ」と全く同じである。
ただ、闇が迫る線路端に白く雪が残っているのが、いつもと違う車窓で、これから金沢までの行路が平穏であるよう祈らずにはいられない。
 


 新横浜から先の走りで「のぞみ」と「ひかり」の違いが際立ち始める。
「ひかり」533号は、続いて小田原に停車する。
首都圏の駅は残らず停まるぞ、という意気込みなのだが、小田原の次の停車駅は、静岡県を全てすっ飛ばして名古屋なのである。

数年前に、「のぞみ」が静岡県内を通過することに腹を立てた同県の知事が、「のぞみ」から通行税を取る、と息巻いたことがある。
JR東海は反発しながらも、「ひかり」の静岡県内の停車駅を調整することで対応したと伝え聞いているが、さしずめ僕が乗る「ひかり」533号も、静岡県から通行税を取る対象にされるところであろう。
「ひかり」なら、静岡県内のどこかの駅に停まるのだろう、という先入観があった僕も、「ひかり」533号の停車駅の設定には驚いた。
乗客の1人として、関係のない駅を通過することに文句はないのだけれど。

座席で過ごすことに飽きれば、喫煙室に一服つけに行けばいい。
これは、上越・東北・長野新幹線にはないサービスで、いい気分転換になる。
細かい振動と迫力ある走行音で、自分が凄まじい勢いで運ばれていることはわかるのだが、夜の車窓はいたってのんびりしており、闇の中を、瞬く星々のような遠い家々の灯がゆっくりと窓外を過ぎ去っていく。

 

 

名古屋に到着したのは19時19分、時刻表通りである。
遅れが出るとすれば東京から三島までの区間だと聞いていたから、ホッと安心した。

「ひかり」533号の後を、東京駅を7分遅れで発車した博多行き「のぞみ」193号が追いかけてくるのだが、「のぞみ」193号の名古屋着は19時22分である。
差を4分も縮めてきた「のぞみ」が速いと言うべきか、「ひかり」533号が健闘していると言うべきか。
しかし、「ひかり」533号は、次の岐阜羽島で停車中に「のぞみ」193号にあっさり抜かれてしまう。
ぐわん、とこちらの車両を風圧で揺さぶって隣りの線路を疾走していく「のぞみ」は、大陸でも東海道新幹線でも後輩のくせに少し思い上がっているぞ、と思いたくなるくらいだった。



米原には19時45分に到着した。


「ひかり」533号から降りる乗客の数は意外に多く、西回りの北陸への乗り継ぎも意外と利用されているのだな、と思った。
富山、金沢は上越新幹線・北越急行回りの方が安く、圧倒的に速くなってしまったが、福井県内などは米原経由の方がまだ速い。
高速バスも同様で、富山・金沢と東京を結ぶ路線は関越・上信越道を経由するが、東京と福井、横浜と金沢・福井を結ぶ路線は、東名高速から米原JCTで北陸道に乗るのである。

今でこそ、東京から金沢へは北回りがメイン・ストリームであるが、米原経由で東海道本線と北陸本線を乗り継ぐ西回りは、戦前から直通夜行準急列車(昭和34年夜行急行「能登」に昇格)が走っていた、伝統的な経路だった。
高崎線・信越本線・北陸本線を経由して上野から長野、金沢を回って米原までを結ぶ北回りの直通列車が走り始めたのは、戦後のことである。

米原駅は街の規模に比して駅の規模が大きく、如何にも交通の要衝といった風格を醸し出している。
薄暗い在来線ホームも、古びてはいるがどっしりとした暖かみのある造りで、長い歴史が感じられて、煌々と明かりが灯る新幹線ホームよりも趣がある。
古びた木造の立ち食い蕎麦屋のたたずまいも、得も言われぬ風情があった。
閉まっていたのはがっかりだったけれど。

  


東海道という大幹線の途中にありながら、米原に来ると、天候や車窓風景が、暗く北陸の雰囲気を醸し出す。

米原駅に降り立ったのは数十年ぶりだった。
東海道新幹線から、米原と金沢・富山を結ぶ特急「加越」に乗り換えたのは、僕が大学生時代ではなかったか。
その後、特急「加越」は名古屋と金沢・富山を結ぶ特急「しらさぎ」に吸収される形で消えてしまった。

この日の米原駅は慌ただしかった。
新幹線ホームから階段を登り、改札に出ると、駅員さんが何人も立って、

「ここで改札機に切符を通す必要はありませーん!そのままお通り下さーい」

と口々に大声で案内している。
つい先日、ダイヤが乱れに乱れた北陸本線・北越急行と上越新幹線を乗り継いだ時の越後湯沢駅と、全く同じ光景である。

なぜだろう?──北陸本線のダイヤが今日も乱れているのか?

といぶかしく思いながら、開け放しの自動改札機を通り抜け、在来線ホームに降りると、19時59分に発車予定の「しらさぎ」61号は、まだホームに入っていなかった。
60番台の「しらさぎ」は米原始発で、昔の「加越」に相当する系統である。
始発駅で、発車10分前を切っている列車が入線していないとは、やっぱり北陸本線は遅れているんだ、と思った。
東京を出てくる時に、北陸本線のダイヤは乱れていないことを確認したつもりだったのだが、調べ方がまずかったのかもしれない。

 

 

不意に、1本向こうのホームに停まっていた特急列車が、大阪方面にゆっくりと動き出したので驚いた。
この時間帯、米原を発着する大阪方面の特急はないはずである。
もともと米原から西へ向かう在来線特急は関西空港行き「はるか」が早朝に2本、長野発大阪行き「しなの」と高山発大阪行き「ひだ」が18時台に1本ずつあるだけである。
発車していく列車の側面の表示板に「サンダーバード」と書かれている。

なるほど、と思った。
また湖西線が不通なんだな、と──

丹波の山々から、比良山地の斜面を駆け下る北西の強風、いわゆる「比良おろし」によって、湖西線はしばしば通行禁止になる。
風速60m近い風で、比良駅に停車中の貨物列車が横転したこともあるらしい。
3週間ほど前に経験した北陸本線の乱れも、強風のため湖西線が通れずに「サンダーバード」が米原経由を余儀なくされて、大幅に遅れたことが始まりだった。
今日も同じ状況なのであろう。

 


 米原駅を後にして闇の中へ消えていく「サンダーバード」を、少しばかり憐憫が混じった思いで見送っているうちに、「しらさぎ」61号が入線してきた。
ホームでは乗り換え客が多いように感じていたけれども、乗ってしまえば、車内はそれほど混雑していなかった。
全員が乗り込んで席に落ち着くのを見計らったように、慌ただしく、19時59分定刻の発車であった。

屋根に
雪を置いて
米原の夜の中に
長い貨物列車がとまっている
ブリッジシグナルの下で
D52型の2台の機関車が
白い湯気をあげている
あご紐をしめた機関士は
ブザーに手をかけて
後尾の方を見ている
ガチン! と北陸へ
ポイントは切りかえられ
前方で
鋭い尖端軌条のきっさきが
月明の大地を率いて動いた

昭和30~40年代の米原駅を描いた、小野十三郎の詩「出発」である。
昔、米原駅を利用した頃は、この詩を知らなかった。
この日、動き出した「しらさぎ」で、僕は自然と、この躍動感溢れる詩を思い出した。
機関車が牽く貨物列車に比べれば、リズミカルにポイントを鳴らして加速する電車特急の走りは、遥かに軽やかだった。
それでも、「北陸へ」と向かう旅の意気込みに、変わりはない。

 

 

外はひたすら漆黒の闇が覆っているばかりで、窓に映る自分の姿を見つめていると、人恋しさに胸がつまる。
時折、通過駅の侘びしげな灯が窓を染め上げる他は、列車の窓から漏れる僅かばかりの光が、線路端を照らし出すだけである。
時折、窓を風圧で鳴らせてトンネルをくぐる。
風の音の変化がなければ、トンネルの中なのか外なのか、区別がつかなかっただろうと思うほど、沿線の闇は深かった。
そのうち、なかなかトンネルから出なくなったから、往年の北陸路の難所をくぐる杉津越えに差しかかったことがわかる。

 

 

 

トンネルを出て間もなく、20時27分に敦賀に滑り込んだ。
北陸まできたな、と思わせる駅名である。
敦賀を出れば、今度は1万3870メートルの北陸トンネルに入り、もの悲しいほどに甲高い風切り音が、か細く車内に響く。

20時48分、武生。
20時52分、鯖江。
21時02分、福井。

停車駅の駅名標だけが、北陸に来たことを教えてくれる。
どの街にも、雪はひとかけらも見えなかった。
道が濡れているのは、雨でも降ったのだろうか。
雪かきに追われていた首都圏と、まるで風土が入れ替わったかのようだった。 

 

芦原温泉・加賀温泉・小松に停車するだけで、広大な加賀平野をぐんぐん速度を上げて走りきった「しらさぎ」61号は、そのまま遅れなく、21時54分に金沢に到着した。
呆気ないほど意外な定時運転だった。
ホームに降り立つと、霧雨混じりの冷たい風が、僕の頬を叩いた。

 

 駆け込んだ駅前のホテルでの、無料の夜鳴き蕎麦、実はラーメンだったが、無性に美味かった。

 


翌日の東京への帰路は、さすがに飛行機にした。
新幹線の車内で、前日早割1万6000円台の航空券をネットで購入したのだ。
上越新幹線は、相変わらずいつ動くか判明していない。
米原回りは運賃・特急券合わせて1万4810円で、それほど大差があるわけではなく、家の財務大臣である妻もあっさりとOKしてくれた。

いつも高速バスか鉄道での移動だったから、小松と羽田の間で飛行機に乗ったのも久しぶりだった。
冬の季節風にかなり揺さぶられて、ベルトも外せなかったけれど、所要時間が短いというのは本当に楽だと、実感した。

  

 

 

 

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