3年目の3.11に思う~東北ツーリングの思い出~ | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

未だに我が国と僕らの心に暗い影を投げ続けている東日本大震災。
 

多大な被害を受けた被災地のことを思う時、いつも僕の瞼に浮かぶのは、十数年前、バイクで走った陸前浜街道の情景です。
おそらく、震災と原発事故の後遺症から被災地は未だに抜け出せず、復興の見通しも立たない現状が、それを思い出させるのだろうと思うのです。
平和だった街並みと、穏やかな海。
1日も早く、在りし日の姿を取り戻して欲しい、その願いの表れだと思うのです。

昨年、福島原発の北に位置する南相馬市の原ノ町と、南にある広野を訪れた時にも、立ち入ることができなくなった地域を偲ぶとともに、この地域を自由に行き来できた日のことが、頻りに脳裏に浮かんだものでした。

http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11708926052.html
http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11712285298.html

以下の文は、一昨年の4月に書いたブログです。
 

──◇──◇──◇──◇──◇──


以前に勤めていた職場では、バイク好きの仲間が集まるツーリングが、年に2~3回、開かれていた。
日帰りだったり、1泊したり、日程も行き先も様々である。
病院の薬剤師さんが呼びかけて、とにかくのんびりと走るだけの気楽な集まりだった。
他の病院の職員も参加した。
僕も誘われて、何度か一緒に出かけた。


南房総、九十九里浜、伊豆半島……。

免許をとったばかりの、女性の看護師さんも数人加わり、みんなで気遣い、かばい合いながら、楽しく走ったものだった。
メンバーに食通がいて、下調べして来てくれるから、途中で寄る食事処の美味しかったこと!

10年近く前、平成15年の真夏の土曜日の早朝6時前、東名高速東京IC入口のマクドナルド駐車場が、何処へ行く時も、僕らの集合場所と決まっていた。

三々五々と集まったバイク仲間。
ズラリと揃ったバイクと、その諸元を紹介すると──。

『YAMAHA FJR 1300』水冷4ストロークDOHC4バルブ4気筒:105.5kw(143.5ps)/8,000rpm

    †ごんたのつれづれ旅日記†-Yamaha-FJR1300-21.jpg

『HONDA XL1000V VARADERO』水冷4ストロークDOHC8バルブV型2気筒:69kw/7,500rpm

    †ごんたのつれづれ旅日記†-xl1000v-varadero-101_main.jpg

『YAMAHA XJR 1300』空冷4ストロークDOHC4バルブ並列4気筒:74kw(100ps)/8,000rpm

    †ごんたのつれづれ旅日記†-xjrldgfd800.jpg

『HONDA CB1300 SUPER FOUR』水冷4ストロークDOHC4バルブ4気筒:74kw(100ps)/7000rpm

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SKYWAVE250を乗り換えていた僕の愛車は、
『HONDA SILVER WING400』水冷4ストロークDOHC4バルブ2気筒:28kw(38ps)/7500rpm

    †ごんたのつれづれ旅日記†-image0004.jpg

途中で『SUZUKI GSX1400』油冷4サイクル4気筒DOHC4バルブ:74kw(100ps)/6,500rpm
に乗った仲間が合流してくることになっていた。

    †ごんたのつれづれ旅日記†-220px-Suzuki_GSX1400.jpg

揃いも揃ってリッターオーバーではないか。
 
400ccって僕だけ?──

「ああ、今日は看護師さんや○○君(250ccバイクに乗ってる仲間)は来ないみたいだよ。ついてこれる?」

泣きそうになったけれど、口は悪くても、優しく気の良いバイク仲間ばかりだったから、それほど心配していなかった。

「そろそろ行こうや」

とヘルメットをかぶり、愛車にまたがって、エンジン始動。
あんまりキテレツな改造をする人はいないから、それほど凄まじい音はしない。
それでも、周りから響いてくるリッターオーバーのエンジン音は、お腹の底にビリビリ伝わってくる。

僕のSILVER WING 400も、ビッグスクーターの中では大柄な方である。
もともと600cc用に開発された車体で、カウルが大きいから、1000ccクラスのツアラーと並べても、見てくれにそれほど遜色はない。
2気筒だから、単気筒の他のビッグスクーターのような、ポンポンとせわしく軽い音もしない。
スルスルと滑るように走り出して、スピードのノリも小気味いいくらいである。
購入して1年足らずだったけど、僕は、こいつがすっかり気に入っていた。

今日は、他のバイクが凄すぎるだけなのである。

隊列を組んで、国道246号線から首都高速へ駆け上がる。
僕は2番目を走った。
先頭のFJR 1300と、最後尾のCB1300は、メット内に無線を装備して、連絡を取り合っている。

ちなみに、CB1300の彼が、主催者の薬剤師さん。
以前、ブログに書いた、職場の箱根駅伝を全コース走破した、強者のアスリーターでもある。

僕のすぐ後ろのXL1000V は、オフロードとオンロードを組み合わせた、デュアルパーパスである。
外見には、オフ車のごっつい面影を残している。
またがっているのは、バイク仲間で1番の親友だった。
同期で入職した医療事務職員で、ずっと一緒に働いてきた。
心優しく気配りができる奴だから、バックミラーに彼が映ると、安心できた。

誰もが、きちんと、一定の速度と順番を守って走る。
ふざけて追い越し合ったり、車間を詰めすぎたり、横に並んだりというおふざけは、絶対にしない。
YouTubeなどで、そういう走り方をして事故ってる動画の、如何に多いことか。
僕らは、紳士的なツーリングを楽しむのである。

朝早くて車の少ない首都高速は、程よいアップダウンとカーブの連続で、とっても走りやすい。
いつもこうだといいのに、と思う。

料金所では、少しばかり面倒くさい作業になる。
バイク用のETCなどなかった時代だった。
1番左の料金所に寄って、1台ずつ支払っていく。
先に済ませたら、脇に止まって後続を待つ。

常磐自動車道に入ってから、速度が上がった。
僕もバイクでの高速走行は慣れていたから、リッターオーバーの仲間の走りを、それほど妨げていない、はずだと自負していた。
SILVER WINGはホイールベースが長いから、安定感がある。
ただし、カウルを被ってるから、横風には若干弱い。

いつしか街中を抜け、関東平野の広大な田園地帯が広がった。
爽やかな真夏の朝の空気が、顔に当たって心地良い。
高曇りの空模様だったけれど、むし暑くなりそうな予感がした。

守谷SAで休憩した。
ここで、GSX1400の仲間が合流する。

「じゃあ、ここから中郷サービスエリアまで、フリー走行ってことで」

と、みんなが急にはしゃぎ出す。

バラけて、思い思いに走ろうってことだ。

それも楽しそうだな、と思いつつ、守谷SAを出る。
本線に合流した瞬間、周りのエンジン音が急激に高まったかと思うと、他のバイクが一斉に猛ダッシュした。
呆気にとられた僕を残して、みんな、たちまち視界から消えてしまった。
心優しいはずのXL1000Vの彼までも。

僕もスロットルを更に吹かしかけたけど、追いつく訳がないから、やめた。
馬力が違い過ぎる。

先ほどの、紳士的なツーリング、というくだりは、訂正である。

諦めて、マイペースを取り戻す。
まずは、心を落ち着けて、煙草を一服つけた。
僕のフルフェイス・ヘルメットは、顎の部分から、フェイス・カバーが上にはね上げられる構造だった。
SILVER WINGは、フロントに風よけのバイザーがついてるから、ターボライターならば、走りながらでも火がつけられる。
ハンドルのわきに、灰皿も装着してある。
バイクを走らせながらの一服は、マナーとしては感心しないことかもしれないけど、こたえられない。
ツルんで走っている時にはできない芸当である。

誰か付き合って残ってくれたって、いいじゃん──

とは、思わなかった。
フルスロットルで走る気持ち良さは、僕でもよく理解できる。

僕は僕のペースで、中郷までの、SILVER WINGとの旅を楽しめばいい。

つくば、水戸、那珂湊、東海……太平洋岸に連なる街の郊外を縫うように伸びているハイウェイ。

いつの間にか、山並みが左手から迫ってきた。
常磐道は、少しずつ高度を上げる。
鮮やかさを増した緑が、陽の光に輝いて、まぶしいほどだった。

やがて、大小のトンネルがせわしなく連続する山越えに差しかかると、関東平野とはお別れだった。
顔を右に向ければ、トンネルとトンネルの合間から、日立の街並みと、キラキラと波光がきらめく太平洋が垣間見える。
常磐道で、僕が1番好きな区間である。

みちのく、福島県へと道は続く。

遠くに来たな、と思う。
バイクの旅は、車や鉄道に比べて、自分の力で来た、という達成感がひとしお強い。

しかし、バイクで初めて来たみちのくは、夏だというのに、山々や木々の色が褪せて、白っぽい風景に見えた。
路面が、アスファルトから、コンクリートの灰白色に変わったからであろうか。
SILVER WINGのタイヤが奏でる走行音も、心なしか重々しい響きになった。
雲も分厚くなり、今にも泣き出しそうな空模様になってきた。

移りゆく景色を楽しみながらも、かなり一生懸命に走ったつもりである。
SILVER WINGも頑張った。

中郷SAで待っていた他の仲間は、すっかりくつろいでいた。
どれほど前に着いていたのだろうか。

「あれ、思ったより早かったっすねえ」
「もっと遅くなるかと思ってた」
「……………」

そこからは、再び、隊列を組んでのツアーに戻った。

いわきの手前で、ハイウェイは山の中に分け入っていく。
ハワイアンセンターで有名ないわき湯本を過ぎ、緩やかなカーブを描きながら、いわき市を縦断する。
いわきは、日本で最も広い市ではなかったか。
行き交う車の数がめっきりと減り、程なく対面通行になる。

富岡ICで、二百数十キロに及ぶ常磐道の旅は終わりを告げた。

一般道に降りると、景色も速度も一変して、のどかな道のりになった。
太平洋に沿う国道6号線、通称、陸前浜街道を北上する。
潮の匂いが鼻をくすぐる。
ちょっぴり湿っぽかったけど、気持ちのいいそよ風を、全身で受けとめながら走った。

浜街道といいながらも、海はあまり見えなかった気がする。
それでも、右手の遥か彼方、曇り空と重なる丘や林の向こうには海原が広がっていることが察せられる風景だった。
山あいを縫うような起伏のある地形は、優しく鮮やかな緑で染め上げられ、僕はヘルメットのバイザーを開けっ放しにして、顔に清々しい風をいっぱいに浴びた。
よく手入れされた田んぼには、整然と稲が並んで風に吹かれていた。

きついカーブはなく、緩やかに右に左にうねりながら、過ぎ去っていくのどかな景色には、心が洗われるようだった。
高速道路のスピード感や山道のワインディングもいいけれど、バイク・ツーリングでこのような地方の国道をのんびり走っている時間も捨てがたい思う。

大熊町を過ぎ、双葉町に入って、町並みや木々の向こうに、福島第一原発の高い煙突がチラチラ見える頃、怪しかった天候が、ついに崩れた。
ヘルメットのシールドに、ぽつり、と水滴が弾ける。
見る間に路面にしぶきが上がる。

道路沿いのコンビニの駐車場に飛び込み、僕らは慌てて雨合羽を羽織った。
バイクの背に積んでいた荷物や、背負ったリュックに、シートをかぶせたり、大忙しである。

SILVER WINGは、座席下のトランクが大きいから、着替えが入ったリュックを余裕で放りこめる。

「いいなあ、こんな時、ビッグスクーターは」

と羨望の眼差しを初めていただいた。

南相馬、相馬、浪江と、雨に煙る鄙びた町々を、僕らは走りこんでいく。
水墨画のような、素朴な味わいの風景が、視界をかすめ去る。

時折、ツーリング中のバイク集団とすれ違う。
ピースサインを交わすこともあった。
バイク乗り同士のピースサインは、全国共通の挨拶だった。
ちょっぴり恥ずかしいけど、サインを交わし合うと、仲間意識で、胸が熱くなる。

宮城県に入り、山元ICから高速道路に乗る頃には、雨が上がった。
阿武隈川を渡って、岩沼から仙台東道路へ入ると、右手に仙台空港が見えた。

やがて、雲間から、陽の光が射し始めた。

ぎっしりと建てこんだ、仙台東部の市街地を見下ろしながら、黄昏の高架道路を走る。
家々の屋根が、西日に反射して、まぶしい。
その向こうに広がる太平洋も、黄金色に染まっていた。

多賀城を過ぎ、利府JCTで仙台松島道路に入る頃、とっぷりと日が暮れた。
塩釜や松島も闇の中だった。

夜のバイク走行は、どうしても、孤独感に苛まれる。
見知らぬ土地を走っていれば、なおさらだった。
バイクのヘッドライトが照らし出す範囲が、4輪車より遥かに狭いからであろうか。

こみ上げてくる心細さを救ってくれたのは、前を悠然と走るFJR 1300の赤く小さなテールライトと、バックミラーにうつるXL1000V のヘッドライトだった。

松島海岸ICを降りると、夜のとばりにすっかり包まれて、怖いほど暗く狭い山道が始まる。
右に左に大きくバイクを傾けながら、急カーブを幾つも曲がり、ようやく宿にたどり着いた。

夕食のお膳は大変な御馳走だった。
特に、海の幸が美味だった。

翌日は、松島の絶景を眺めてから、仙山峠を越えて山形へ抜けた。
農業を営んでいる、XJR1300の実家へ寄らせていただいた。

彼は、僕と働く透析の臨床工学技士さんである。
大型バイクだけでなく、大型4輪免許も保有し、患者会の旅行でもマイクロバスを運転してくれる。
技士になる前は、トラック乗りだったという、珍しい経歴の持ち主だった。

午後、国道13号で峠を越えて福島へ向かい、夜の東北自動車道を一気呵成に南下した。
東京に戻ると、深夜になっていた。

    †ごんたのつれづれ旅日記†-Front-Angle-2011-Honda-Silver-Wing-A.jpg
 
──◇──◇──◇──◇──◇──
 
このツーリングが、僕にとって最後となりました。
なぜなら、その1週間後に事故りまして、SILVER WINGは全損、廃車になってしまったのです。
ケガをした僕も、二度とバイクにまたがることはなかったのです。

今でも、鮮明に瞼に浮かぶのは、ヘルメットのシールごしに眺めた景色の数々です。

奇しくも、ツーリング1日目に走ったのは、平成23年3月の東日本大震災の被災地でした。
特に印象深いのは、雨に濡れた陸前浜街道沿いの町並みです。
そして、何げなく遠望した、福島第一原発。

震災から数年後に、常磐線代替バスで、原発事故の帰還困難区域を通りました。
バスは内気循環に切り替えて、廃墟と放射性汚染土が積み上げられた無人の町から目を背けるように、無停車で走るだけでした。
途中で、見覚えのあるコンビニの廃屋を見つけた時には、思わず涙が出そうになりました。
そこは、確かに、雨に降られた僕らが慌てて雨合羽を着た店だったのです。
その時に優しく朗らかに対応してくれた店員さんたちのことは、今でもはっきりと覚えています。

もう、あの町を、清々しい空気を胸一杯に吸い込みながらバイクで走ることは、二度と出来ないのでしょうか?

旅先で僕らが出会った人々の無事と、懐かしい町々の復興を、心から祈ります。
 
 
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