WILLER EXPRESSの「リラックスワイド」で金沢へ! | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

平成26年4月最初の土曜日の夜のことである。


都営大江戸線都庁前駅のホームから、薄暗くて人通りのまばらな地下通路をしばらく歩き、僕はいったん外へ出て夜空を仰いだ。
街の灯を反射してところどころ白くまだらに光っているから、どんよりと曇っているのだろう。
雨が降るのだろうか。

 

 

寒々とした空に向かって真っ直ぐにそびえ立つ新宿住友ビル、通称「三角ビル」を見上げながら、エントランスの脇の壁に手を触れてみた。
ひんやりとした感触に、長谷川和彦監督の昭和54年の映画「太陽を盗んだ男」で、主演の沢田研二がヒロインの池上季実子と初めて話を交わす場面を思い出す。
彼はいきなり高層ビル1階の外壁に向き合い、両手を突っ張っているのだ。

「支えて!」
「えっ?」
「こうして支えていないと、倒れちゃうんだ、このビル……手を離すときも、ゆっくり……」

 

 

細かいセリフの言い回しまでは覚えていないし、ストーリー展開に何の影響もない場面であるが、なぜか忘れがたい。
高層ビルを根元から見上げた時に、自分に向かって傾いてくるような空恐ろしい錯覚に陥ったことが僕にもあったから、同じような感覚の人間がいたんだ、と思ったものである。
舞台が、この住友三角ビルだったのかどうかは定かではない。
別のビルだったかもしれない。
続くシーンでは、呆気にとられながら一緒に壁を押していた池上季実子に向かって、沢田研二が、

「ヒマだね、おたくも」

と笑いかける。

 
 

この日の僕の旅は、このビルの地下1階にあるWILLER 高速バスターミナル、通称WBTから始まる。

平成6年に大阪の旅行会社として発足し、平成15年から「STAR EXPRESS」のブランド名でツアーバスの運行を開始していた「WILLER EXPRESS」が、数年前に開設した東京の拠点バスターミナルである。
空港のように小綺麗な待合室は、旅の装いに身を包んだ人々でぎっしりと埋め尽くされ、出発便の案内が流れるたびに数十人単位で人の波が動く。

「お待たせ致しました。23時30分発、富山・高岡・金沢方面、K5333便を御利用のお客様は、改札を開始致しますので、バス駐車場の方へ移動をお願い申し上げます」

というアナウンスが流れるまでに、それほど長くは待たされなかった。

待合室からビルの外へ出て、ビルを囲むようにくり抜かれた中庭を歩き、通りに面した階段を登れば、様々な行き先のバスがずらりと鼻先を揃えていた。
冷たい滴が、ぽつりと頬に当たった。
ついに泣き出したか、と、ほとんど明かりが灯っていない墓石のような高層ビル群に囲まれた夜空を見上げた。
 


 

金沢行きの「WILLER EXPRESS」は1番奥に停まっていた。
手前には、「STAR EXPRESS」のロゴを掲げた「丸一観光」バスが並んでいる。

丸一観光バスは石川県に本社を置くバス事業者で、東京鍛冶屋橋や西新宿から富山・金沢を経て能登半島の七尾へ向かう高速乗合バス「グリーンライナー」を運行しており、僕も1月末に利用したから、鮮やかな緑の塗装が懐かしかった。
今回は「WILLER EXPRESS」K5333便の続行便としてのお勤めである。
「WILLER」発足当初のツアーバスのブランド名「STAR EXPRESS」は、現在、他社に委託した続行便に使われているらしい。

降り出した雨から逃れるようにそそくさと改札を受けて、僕は、ピンク色の「WILLER EXPRESS」本便のステップを駆け上がった。

つい最近まで、「WILLER EXPRESS」の北陸方面路線には、「リラックス」と名付けられた横4列シートの車両が主として使われていた。
同社のHPを見ると、「『こんなシートが欲しい』というお客様の声をもとに開発された自慢のシート」と謳われて、フード付きのピンク色のリクライニングシートの写真が掲載されている。
スペックは、シート幅(座面)46cm、前後のシート間隔52cm、140度のリクライニング角度で、レッグレスト・フットレスト付きというのは、横4列席を設けたバスの中では快適な方なのであろう。
同社の路線で最も多く投入されている座席タイプではないかと思われるが、どうしても横4列という構造がためらわれて、値段的には大変魅力だったけれども(東京-金沢3800円~、日時により変動)、これまで利用したことはなかった。

しかし、今年の3月初めに金沢へ行くバスを探していた際に、ふと「WILLER EXPRESS」のHPを覗いてみると、「リラックス」を横3列独立タイプにした「リラックスワイド」なる座席が新たに加わり、新宿-金沢線に投入されているではないか。
シート幅は49cmと4列の「リラックス」より広く、前後の間隔やリクライニング角度は変わりがない。
何よりも、隣席を気にせずにくつろげる横3列シートのデビューが嬉しかった。

http://travel.willer.co.jp/seat/relax/

残念ながら3月には利用できなかったが、今回は真っ先に「WILLER」のHPを開き、残り1席だったから慌てて予約し、カードで支払いも済ませた。
値段に変動があるから一概には言えないけれども、4列「リラックス」席が4700円程度で販売されている時に、3列「リラックスワイド」は6300円だった。
JRや北陸鉄道などの横3列シートを標準装備した定期夜行バスの正規運賃が7700円だから、それでも安いと言っていいのではないか。
 


 

カーテンが閉め切られて薄暗い照明に照らされている車内の前方に、横3列の「リラックスワイド」が縦に3列だけ配置され、その後方に横4列の「リラックス」がずらりと並んでいる。
最後の1席とはどこなのかと楽しみ半分、不安半分だったが、乗り込む際に指定されたのは2B、真ん中の前から2つ目だった。

窓際ではないのがちょっぴり残念だったけれども、次第に、この席は当たり席ではないかと思うようになった。
なぜならば、客室へ入るステップのスペースを確保するため、中央の列は窓際席より少し後方に下がっていて縦に2席しかない。
2B席の後ろは横3列席から横4列席への移行スペースとなっていて座席がなく、後ろに気兼ねなくリクライニングを倒すことができたのである。
しかも、前の1B席は交替運転手さんの仮眠席で、運転手さんによるのだろうけれども、リクライニングをいっぱいに倒されることはついになかった。
交替運転手さんには充分休養をとってほしいから、遠慮しないでほしいと思うくらいだった。
 


 

発車直前に客室とコックピットを仕切る遮光カーテンが閉められ、「WILLER EXPRESS」金沢行きK5333便は静かに動き出した。

真ん中の席では窓のカーテンをめくることもできず、早々に座席を倒して眠るしか仕様がない。
発車していきなり眠れるほど僕は旅慣れているわけではないけれど、隣りでは若い女性がフードを顎の下までかぶって寝息を立てている。
この便はTDRが始発で、川崎を経由してきているから、その女性も新宿を出発するかなり前から眠っていたのかもしれない。

「WILLER EXPRESS」が自慢するだけあって、「リラックスワイド」の座り心地は申し分なかった。
背もたれから座面、そして下腿を支えるレッグレストまで継ぎ目がなく一体化した構造が、まるでベッドに横になっているように程よく身体にフィットする。
前席の下部をくり抜いた足置き(フットレスト)も、充分な奥行きと幅があって、足をすぼめたり曲げたりしなくてすむ。
他社の座席には、背もたれと座面、もしくは座面とレッグレストの具合が身体の曲線に合わず、例えば、リクライニングして足を伸ばすと跳ね上げたレッグレストの先端だけがふくらはぎに当たる、といった経験が少なくなかったから、この一体感のある造りはかなりの高得点と思う。
肘掛けに電源プラグがあるのも大変ありがたく、翌日に備えてスマホを充電することができた。

フードを下ろせばすっぽりと顔が包まれて照明が気にならなくなるけれども、僕にとっては何となく息苦しい感じがして、すぐに跳ね上げてしまった。
これは構造のせいではなく、僕の顔が大きくて、鼻とフードの距離が近いからだろう、と思う。
 


ゆったりと身を任せている座席の揺れ具合から、今、高層ビル街の中を走っているんだろうな、とか、この真っ直ぐな走りっぷりは山手通りに入ったのかな、ああ、この直角に曲がる感触は新目白通りに左折したんだろうな、などと暗い天井を見上げながら空想を巡らせるうちに、僕はいつしか眠りに吸い込まれた。

乗り心地が大きく変わったような気がして、ふと目を覚ますと、バスはとっくに関越自動車道に乗って、最初の休憩地である高坂SAに滑り込むところだった。
運転手さんが小声で、25分ほど停車する旨をアナウンスした。
このバスにはトイレがついていないので、きちんと済ませなければいけない。

既に日付が変わって、日曜日の午前0時40分だった。
エリア内の舗装は濡れていたけれども、雨は降っていなかった。
身体に容赦なく吹きつけてくる、4月とは思えないほど冷たい風に、僕は思わず身を震わせて夜空を見上げた。
週末の天気予報は北陸・信越地方が荒れ模様で、雪が降る可能性もあると言われていた。

  


 

一般の車の数は少なかったが、「WILLER EXPRESS」の横に次々と夜行高速バスが滑りこんでくる。
スキーバスの「オリオン・ツアー」は2台運行だったが、そろそろシーズンも終わりなのか、乗客の数は少なかった。
続いて駐車場に入ってきた「JAMJAMライナー」と「キラキラ」号は、いずれも富山・金沢方面へ向かう元ツアー系の高速乗合バスである。
おそらく似たようなダイヤで走っているのだろうから、これから北陸までつるんで行くことになるのだろう。

 

 

発車してからはあっという間に眠りに落ちた。
今回の金沢行きは、経費節約のために帰路も夜行バスのつもりだったから、1夜目で寝不足になるわけにはいかない。

しかし、休憩場所への流入路でギアが落とされてスピードが鈍れば、どうしても目が覚めてしまう。
眠気は充分で、照明が灯されてもびくともせずに眠ることはできるくらいだったけれども、


「お疲れ様です。松代パーキングエリアに到着しました。ここで3時10分まで休憩します」
 

と言うささやき声の案内に、僕は飛び起きた。
僕の故郷じゃないか、と思ったのである。
 


 

長野ICから2kmほど手前の松代PAは、僕にとって最も馴染み深いパーキングエリアである。
長野市内の実家へ車で帰る時には必ず立ち寄って、もうじき着くからと母に電話したり、妻が身繕いをしたりするのが常だった。

首都圏と北陸を結ぶ高速バスには数多く乗ったけれども、松代PAで下車休憩をした記憶はなかった。
運転手さんの交替で停車する路線は少なくないらしい。

身を刺すように冷え切った故郷の空気を胸一杯に吸い込んでいるうちに、高坂SAでも一緒だった続行便「STAR EXPRESS」をはじめ、「JAMJAMライナー」、「キラキラ」号が、ヘッドライトを目映く輝かせながらパーキングに入ってきて、「WILLER EXPRESS」の隣りにひっそりと並んだ。
 


 

次に目を覚ましたのは3回目の休憩地、有磯海SAだった。

走っているバスの乗り心地は滑らかで、「リラックスワイド」の快適性も手伝って充分に熟睡しているから、金沢への500km余りを走り抜く夜行高速バスの記憶は、休憩地から休憩地への飛び石伝いのように断片的である。
一昨年に東京から大阪まで乗車した「WILLER EXPRESS」の「コクーン」も全く同じ感覚で、翌朝に寝不足に悩まされることはなかったことを思い出し、安心して降りてみることにした。

地図を見れば日本海の海岸線まで3kmほど離れているのだが、かすかに潮の匂いがするようなこのサービスエリアの雰囲気が、何となく好きになっていた。
有磯海という地名は富山県内には存在しない。
越中の国守であった大伴家持が、弟の死去の報を聞き、

かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを

と詠んだ歌が由来の歌枕で、芭蕉をはじめ多くの歌人・俳人が富山湾を有磯海と呼び、和歌や俳句に取り上げている。
実際には存在しない地名を利用したサービスエリア名は、ここが初めてなのだという。

 

 

時刻は、ちょうど午前5時である。
夜は白々と明け始めていた。

初めてここに降りたのは、昨年の10月に金沢から渋谷へ向かう夜行高速バスに乗った時だった。

それまでに東京と金沢を結ぶ路線に乗車した時は、関越道から北陸道へ長岡JCT経由であったから、上里SA、越後川口SA、越中境PAで休憩していたが、上信越道を使って短絡するようになってからは、上里SA、松代PA、そして有磯海SAで休憩するようになったのである。
僕が利用した秋葉原から埼玉・群馬を経由して金沢へ向かう日本中央バスも、新宿から金沢を経て七尾へ向かう丸一観光バスも、早朝の有磯海SAで、一晩の身体の疲れをほぐしたものだった。
いずれの時にも、夜を徹したクルージングを続けてきた他社の夜行バスと出会い、今回も例外ではなく、夜の旅を愛する者としてこたえられない光景が、「WILLER EXPRESS」を降りた僕の前に広がっていた。

 


 

高坂や松代で見かけた「STAR EXPRESS」や「JAMJAMライナー」、「キラキラ」号だけでなく、金沢・小松・加賀温泉経由福井行き「WILLER EXPRESS」P5342便、富山・高岡経由金沢行き「OTBライナー」や「KBライナー」、金沢経由七尾行き「グリーンライナー」といった元ツアーバス系統、新宿発「金沢エクスプレス」号、東京発「ドリーム金沢」号といった老舗の定期高速路線バスが一堂に会している眺めは、誠に壮観だった。
 

ともに同じ目的地へ向けて、夢を紡ぎながら走りこんで来たという仲間意識で、胸が熱くなる。
僕もそんな旅人の一員であることが、無性に嬉しかった。

鉄道では、寝台特急「北陸」も夜行急行「能登」も廃止されてしまったけれども、首都圏と北陸を結ぶ夜の旅は、連綿と高速バスに受け継がれているのだと思う。
鉄道では直通する手段がない区間であるが、来年度には北陸新幹線が開業して、鉄道の利便性と競争力は桁違いに増すことになる。

すっかりと夜の帳が払われた有磯海SAを後にして、次々と最終目的地に向けて力強くラストスパートに入っていく夜行バスの勇姿を見送りながら、それでも、廉価かつ手軽なことで絶大な支持を受けている高速バスは、きっと生き残ることと僕は確信した。
 


 

有磯海SAを発車した後、6時10分に到着した富山駅北口と7時着の高岡駅南口は、ほとんど夢うつつの中だった。
衣ずれの音を立てながら降りていく人々を、寝ぼけまなこで見やりながら、富山や高岡で案外たくさん降りるんだなあ、などと思ったのをかすかに憶えているだけである。

終点の金沢まで乗っていたのは、10人にも満たなかった。
午前8時05分という到着時間は、金沢に着く夜行バスの中で最も遅い部類に入るからであろうか。
逆に、他の路線の富山・高岡の到着時間が早すぎるのかもしれない。

金沢駅西口の降車場に停車するまで全てのカーテンが閉めっぱなしのままだったから、朝の古都のたたずまいを見ることは出来なかった。

バスを降りれば、行き交う人々でごった返すコンコースでは、多くのテナントや露店が開店の暖簾を掲げ始めていて、なんだか随分と寝坊したような気分になった。
 

  

 

 

 

 

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