30年の時を超えたタイムスリップ ~金沢から名古屋へ北陸道昼特急名古屋号の旅~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

前夜に新宿を発った「WILLER EXPRESS」で金沢まで来て、所用を済ませた僕は、午後4時過ぎに金沢駅に戻ってきた(http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11821806084.html)。


どんよりとした曇り空だったが、時折驟雨に見舞われたり、かと思うといきなり強い日光が差し込んできたり、金沢の街は湿気が強く、路面から水蒸気が立ち昇っていた。

 

 

これから、名古屋経由で東京へ帰ろうと思う。

金沢から名古屋へ向かう方法は幾つかある。
最もオーソドックスなのは、米原経由で北陸本線と東海道本線を走る特急列車「しらさぎ」であろう。
または、米原で東海道新幹線に乗り換えるという手もある。
富山に出て、高山本線を走破する特急「ひだ」に乗るのものんびりしているが楽しそうである。

しかし、僕は高速バスを選んだ。
16時40分に金沢駅東口を発車する「北陸道昼特急名古屋」号、金沢から北陸自動車道を西進し、米原JCTで名神高速に乗り換えて名古屋へ向かう路線である。

JR東海バスと西日本JRバスの共同運行で、運行本数は夕方の1往復だけである。
金沢と名古屋を結ぶ高速バスは、昭和62年から同じ経路で1日10往復運行されている老舗の「北陸道特急バス」(名鉄・北陸鉄道・JR東海・西日本JR)が知られているが、「北陸道昼特急名古屋」号は全くの別扱いで、前者が片道4060円、後者が片道4410円と運賃も異なれば、共通の乗車券や往復割引の適応もない。
割高なのは、「北陸道特急バス」が横4列シートであるのに対して、「北陸道昼特急名古屋」号が横3列独立シートだからであろう。

この違いは、「北陸道昼特急名古屋」号が、僕が年末に利用した夜行高速バス「北陸ドリーム名古屋」号の折り返し運用だからである。
「北陸ドリーム名古屋」号は、名古屋を発って東海北陸自動車道を走破し、富山・高岡・砺波を経て金沢に至る夜行バスだ。
その車両と運転手さんが午後まで休養をとり、夕方に金沢から名古屋まで戻ってくる。

 

 

そもそも「昼特急」という愛称は、東京と関西を結ぶ夜行バス「ドリーム」号の間合い運用として平成13年に登場した「東海道昼特急大阪」号が嚆矢である。
新幹線が2時間半で結ぶ区間を7~8時間かけて走る昼行高速バスに誰が乗るのかと思われたらしいが、大変な人気路線となり、「日経優秀商品賞」にも選ばれたという。
以後、「中央道昼特急大阪」号(新宿ー大阪)や、「山陽道昼特急広島」号(大阪ー広島)、「山陽道昼特急博多」号(大阪ー博多)、「北陸道昼特急大阪」号(大阪ー金沢・富山)などの後発路線が次々と登場し、「北陸道昼特急名古屋」号も平成22年に運行を開始したのである。
いずれも、かつては考えられなかったほどの長距離・長時間を日中に走るバス路線だった。


幹線鉄道、特に新幹線と平行する区間では、所要時間や定時性に劣る高速バスは、渋滞が少なく、眠っていてさほど所要時間の長さを感じさせない夜行でしか勝負できないとされていたものだが、これも時代の変化なのであろうか。
時間を気にせず、のんびりとバスに揺られていくという需要の増加は、価値観の変化なのか、安さに惹かれるデフレ時代の象徴なのか。

「北陸道昼特急名古屋」号は夜行便と経路が全く異なり、北陸側の乗降は金沢市内のみで、富山も高岡も通らない。
夜行便が日中に折り返す運用は「昼特急」をはじめ他にも見られるが、ここまで経路を変えている路線は珍しい。
高速道路区間の距離だけで言えば、金沢西ICから名古屋西方の一宮ICまで、米原経由で222km、東海北陸道経由で220kmと、ほとんど変わらない。
後者の方が、片側暫定1車線の対面通行区間が多く、日本の高速道路最高地点を通るだけあって勾配もきつく、速度や燃費の点から走りにくいことは容易に察せられる。

 

 

 

「北陸道昼特急名古屋」号は、金沢駅前に咲く桜並木を背景に、颯爽と乗り場に現れた。
金沢駅から乗車したのは数人ほどで、城下町らしく曲がりくねった通りを、自動車の波に揉まれるように走りながら、武蔵が辻、香林坊、片町と繁華街の停留所に寄って、20人ほどの乗客とともに名古屋を目指すことになる。
同じ区間を走る「北陸道特急バス」は人気路線と聞いていたので、日曜日の午後の上り便としては客が少ない印象であるが、やはり割高であることが原因だろうか。

その代わり、こちらは横3列独立シートで、隣りを気にせずゆったりとくつろぐことができる。
しかも、僕はこのバスに正規運賃より大幅に安い2980円で乗っているのだ。
JRバスの予約サイトの早割のおかげである(https://www.kousokubus.net/k/PKCN010_01.aspx?__redir=1)。

後ろに座ったおじさんがくつろぎ過ぎて、足を僕の席のせもたれに押しつけるように組んでいるので、リクライニングするのが憚られたのがちょっぴり残念だったけれど。
 

 


この日の客は全員が1人旅らしく、言葉を発する人は誰もおらず、音楽を聴いたり、本を読んだり、居眠りしたり、それぞれ自分だけの時間を過ごしている。
エンジンの音だけが低く耳を打つ、気だるく時の歩みが止まったかのような、黄昏を走る高速バスだった。

金沢西ICから高架のハイウェイに駆け上がると、左手後方に金沢の街並みが過ぎ去っていく。
背景の白山山系の山々は、まだ、うっすらとまばらな雪を残している。
強い西日が射し込んでくるから、右側の席の客はみんなカーテンを閉め切っていて、松任から小松にかけての海岸線を走る区間で日本海を眺めることができないのが、ちょっぴり残念だった。

 

 

小松空港への着陸態勢に入った飛行機が、雲の下をゆっくりと高度を下げていく。
このような天候では、機内はガタガタ揺られているだろうな、と思う。

こちらは至ってのんびり旅である。
僕が座る左側中程の6A席から眺める、未だ冬の気配を色濃く残す山並みと、陽の光に黄金色に輝く田園地帯は、単調だがゆったりと優しく心を癒してくれる。
思えば、この区間を走る高速バスの車窓では、いつも海にばかり気を取られていて、内陸側をじっくりと眺めたことはなかったかもしれない。

 

 

金沢から北陸自動車道で米原に出て、名神高速で名古屋へ向かうというコースは、僕にとって大変懐かしい。
昭和の終わりが近づいた頃、現在ほど高速バスが発達していなかった時代に、東京から4列シートの旧型車だった「ドリーム」号で名古屋に出て、名鉄バスセンターから開業したばかりの金沢行き「北陸道特急バス」に乗り継いだことがある。
僕にとって、高速バスの魅力に取り憑かれ始めた黎明期で、初体験のハイウェイを走るだけでワクワクした記憶が鮮明である。
あれから30年近い時が流れたのかと思う。
日本や、東京や名古屋、金沢の街、そして僕自身の上を流れ過ぎて行った歳月のことを思うと、粛然とする。

行く手の空が真っ黒な雲に覆われ始め、県境を越えると、福井の野山は無数の水滴で窓がかすむ激しい雨降りの中にあった。
川沿いに並ぶ桜の木立ちが、枝を垂れて雨に打たれている。
金沢の桜前線は、東京と大きくずれている感じはなく、この雨で北陸の今年の桜も終わりかな、と思う。
 

 

雨脚が少し弱くなった南条SAで10分ほどの休憩をとり、再び走り出して間もなく、それまで滞りがなかった車の流れが滞り始めた。
真ん中の席で、前方や右側がよく見えないから状況がつかみにくいが、フロントガラスの向こうでブレーキランプが幾つもきらめき、バスもぐいぐいと減速していく。

間もなくバスは完全に止まってしまった。

「この先、工事のため渋滞が出ております。御了承下さい」

と、素っ気なく運転手さんがアナウンスする。

さあ、いきなり僕は焦り出した。
名古屋に到着したら、東京行き夜行高速バスの出発までの短時間だけれども、高校時代の2人の友人と30年ぶりに会う約束をしているからである。
前もっての打ち合わせで、

「金沢から名古屋へバスの予定なんだけど、日曜日の夜は渋滞で遅れないかな?」

と聞いてみた時には、名古屋在住も長く、仕事柄北陸との行き来も多いという友人からは、

「ないない。バス降り場で待ってる」

との返事が返ってきたので、すっかり安心していたのだ。
あとで聞いてみれば、その友人は、北陸へ高速バスを利用したことはなく、特急列車の往復ばかりだったという。
友人も、NEXCO中日本の都合までは読み切れないであろう。
僕は高速バスに乗る時には前もってNEXCOのHPで渋滞予想を見ておくことにしているのだが、今回の工事渋滞の予想がないのはどうしたことか。
自然災害などによる、想定外の工事だったのだろうか。

 

 

スマホでリアルタイムの道路情報を見ると、今引っかかっているのは、およそ3kmの渋滞のようだった。
速度は、歩くよりは速いかなと思う程度である。
これは渋滞に巻き込まれたときの僕の基準で、3kmなら歩いても40分くらいかと思えば、精神衛生上それなりの慰めにはなる。
最悪でも、このバスは30分以上遅れないだろう、などと、動かないバスの中で努めて楽観的に過ごすのである。

しかも、道路情報を眺めているうちに、とんでもない情報まで見つけてしまった。
この先、名神高速と東海北陸道が合流する一宮JCTを先頭に、8kmの渋滞が生じているらしい。
所要時間が記載されていないので、名古屋到着がどれほど遅れるのか、友人と過ごす時間がどれくらい削られてしまうのか、ますます不安になってしまった。
やっぱり鉄道にすればよかった、と後悔した。

 

 

南条SAで見かけた金沢発大阪梅田行きの高速バスが、右車線をゆるゆるとした速度ながら追い越していけば、こちらも右車線に行けばいいのにと歯噛みしたり、こちらの車線が動き出せば肩の力を抜いたり、長い長い20分が過ぎ、ようやくバスの走りが常態に復した時にはすっかり気疲れしてしまった。
伸び上がったりキョロキョロしたりしているのは僕だけで、他の乗客は身じろぎもしない。

バスに乗っているのだから遅れるのは想定内、後戻りさえしなければいい、と達観しているのだろうか。

渋滞の間にとっぷりと日が暮れた。
そのために速度感覚が鈍ったのかもしれないが、そこからの「北陸道昼特急名古屋」号の走りは、それまでと打って変わって追い越し車線に移る頻度が高くなり、なかなか果敢に感じられた。
もとより望むところで、頑張れ、頼むぞ、と応援したくなる。

 

 

越前から若狭への国境を越える木ノ芽峠は、昔も今も豪雪に見舞われる難所で、北陸道はどんどん高度を上げながら、幾つものトンネルで山岳地帯を貫いていく。
北陸トンネルが昭和37年にできるまでは、鉄道も北陸道と似たルートで山越えに挑んでいた。
昼間ならば、右手に連なる険しい山々の向こうに敦賀湾を見下ろすことができる、風光明媚な区間である。
けれども、窓外は漆黒の闇に覆われて何も見えず、僕はインターやサービスエリアの標識に目をこらしながら、待ち合わせをしている友人に途中経過を報告するメールを打ったり、スマホの電波状態に一喜一憂したりという、忙しい時間を過ごしていた。

『遅れてすまん。19時30分に米原JCTを通過。このあたりの地理はよくわからないけど、米原から名古屋まで45分で着くと思う?』
『20時に岐阜羽島ICを通過した。新幹線では隣駅だけど、高速道路で十数分では着かないよね』

嬉しかったのは、道路情報を見るたびに一宮IC付近の渋滞がどんどん短くなっていくことだった。
ついていることに、全くスピードが鈍ることなく、一宮ICの看板が見えてきた。

『お待たせ。20時10分、一宮ICを出たよ。これから名古屋高速で20分くらいかな?』

と、少しばかりホッとしながらメールした直後に、

「ただいま一宮インターを出まして、これから一般道を走ります。現在、渋滞の影響で定刻より20分ほど遅れておりますが、このままで行ければ、終点名古屋駅到着は20時35分頃になる予定です」

と、久しぶりに流れた運転手さんの案内を聞いて、慌てて訂正メールを送ったりした。

 

 

 

開業直後の「北陸道特急バス」をはじめ、名古屋から西へ向かう高速バスは、名古屋市街地と一宮ICの間を国道22号線・名岐バイパスを走っていた時期があった。
それが旅の程良い序曲でもあったのだけれど、しかし、12月末に乗った高岡から名古屋行きの高速バスは、一宮ICから名古屋高速16号線を経由したので、てっきり「北陸道昼特急名古屋」号も同じ経路かと思い込んでいた。
友人を待たせている身としては、高速を使って少しでも時間短縮を図って欲しいところだけれども、それは僕だけの都合というものである。

過ぎ去っていく街並みを見ても、どこを走っているのか皆目見当がつかない。
やきもきしている僕を乗せて、運転手さんの案内の通り20時半を少し回った頃に、バスは新幹線ホームのきらびやかな照明が目眩い名古屋駅太閤通口に滑り込んだ。

 

 

 

2人の友人は、バスを降りたところで待っていてくれた。

それからの2時間の楽しかったこと。
遅い時間だから開いている店は限られていたけれども、「幻の手羽先」と銘打たれたビールに良く合う辛口の手羽先をはじめ、ソース味の「黒手羽先」、味噌串カツ、「エビふりゃ~」(ソースキャベツの乗ったエビフライ)、どて煮、豚ポン(ポン酢でさっぱり食べる生姜焼)、名古屋コーチンのひつまぶし……
ベタなメニューばかりだが、よく食べて、よく語り合った。
 

 

名古屋と金沢を結ぶ高速バスに乗ったのも、高校卒業以来の友人に会ったのも、考えてみれば不思議な符合だったと今にして思う。
ともに30年の歳月を越えた、タイムスリップのような日曜日の午後だった。
 

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