まいど、北田です。
相手と深い関係を築こうとするなら、
「割り勘」は絶対にしたらあかん。
今でこそ、
割り勘することは無くなったけど、
昔の僕は、よく割り勘しててん。
それは、お金がないからじゃなくて、
奢り奢られる意味が分からんかったから。
奢り奢られるということは、
【貸し借り】作って礼を言い合うこと。
「今回は甘えさせて貰います。」
「次は、私にご馳走させて下さい。」
みたいに、お礼を言い合うという、
精神的なキャッチボールで、
相手とより仲良くなれんねん。
あなたも、誰かにご馳走して、
次の日の朝イチにお礼のメールが来たら、
「かわいいヤツやな。またご馳走したろか。」
って、思ったことない?
それやのに、
割り勘にするってことは、
貸し借りのない対等な関係になってまう。
ちなみに、
ヨーロッパでは割り勘のことを、
「ダッチ・アカウント」(オランダ人の勘定)
と言う。(オランダ人はケチ)
世界でも、
「割り勘」はあんまええイメージがない。
ただし、
割り勘にした方がええ場合もある。
それは、
1.【グループに自分より年上がいて、
その人に奢る意思がない場合】
→出しゃばると年長者から嫌われる
2.【誰かが「割り勘にしよう」と言った時】
→「奢りたくないし、奢られたくもない」
と言うメッセージ。出しゃばると、嫌われる。
3.【状況的に、自分が目立たん方がええ時】
→主役が別でいて、自分が脇役の時。
僕がなんで、
割り勘を気にするかと言うと
割り勘は金額だけとは限らず、
支払いの時にその人の人間性が表れるから。
それを感じたエピソードで、
昔、誰かの誕生日会があった時、
遅れて参加した女性が会計の時に一言。
「私ワイン1杯しか飲んでないんで、
支払いはその分だけでいいですか?」
この時ばかりは、
参加者全員が沈黙した。
「飲み物や食べ物に、
お金を払ってるつもりのその女性」
と
「皆でお祝いする、
その空間にお金を払っている参加者」
誰がたくさん飲んで、
誰がたくさん食べたか。
そんなんは、どーでもいい。
ただ感じたのは、
圧倒的な価値観の違い。
でも、
その場の価値に気付かずに、
勘違いを犯す。
払ったものの元を取ろうとする、
結婚式の祝儀もそう。
まぁ、その人と僕が、
会うことがなくなったのは
言うまでもないけどね。
最後に、
「金持ちになる人は奢り好き」
「貧乏になる人は奢られ好き」
と言うことを知っておくと、
あなたが奢るべき人を見分けられるかもね。
まとめ
「人間関係は、奢り奢られるから深くなる。」