出会いのかけら | ゼッタイマカーイ

ゼッタイマカーイ

僕の日常、皆の非日常。


「白血球の数値が上がれば、来週にでも退院できるかもしれません」

担当医が興奮気味に鼻息を荒く言うのとは対称的に、

驚くほど冷静に聞いている自分がいた

それは多分、これまでの経験を踏まえて、

本当にそんな順調にいくのだろうかという疑いと、

退院だからと言って安易に期待しなくなっているのと、

そんな、どこか冷徹になってしまったような

自分の心を象徴しているかのようだった

でも、これでいいんだ

退院しても、それはまた新しい人生のスタートだし、

壁はまだまだたくさんあると思っていい


退院が迫ってきて素直に喜べないのは

やっぱり「別れ」があるからだろうね

4月から入院してて、

外泊とか一時退院の時に、家に帰って言う「ただいま」が

本当の「ただいま」じゃないと思ったのは気のせいじゃなくて

それは、これまでずっと生活の中心が病院での治療だったことに起因する

それがついに来週で終わると思うとね


入院するまでは、やっぱ恐怖しかなかったんだけど

入院してみれば意外とそんなんじゃなくて

パソコンさえあればニートみたいな生活できるし

大部屋の抗がん剤クルーは案外みんな元気だし

ナースさんは若いしかわいいし優しいし

まさかワールドカップも患者さんと一緒に見て盛り上がれるとはね

お見舞いにもたくさんの人がきてくれて

それが本当にありがたかった

とはいえ、普通の暮らしと比べてしまえばね

簡単なことで悲観的になれるし、

場合によっては人生に絶望したりして、

それで更に孤独とも戦って、

それは暗闇にも似た空間と揶揄されてもおかしくない


今朝4時頃に目が覚めて

そんなことを色々思い出しながら

部屋でプラネタリウムをやってみたんだけど

そうゆうことかと


入院して、目の前が真っ暗になって、

今まで普通に見えてたものが、どこにあるかわからなくなって

見えたと思ったらそれはすごく眩しくなって、

それが辛いからだんだん見ないようになって、

どんどん置いてかれて、不安にもなって


でも暗闇だったからこそ

輝いて見えるものがたくさんあって

暗闇の中でも、素敵な出会いがあったし、

日常じゃ見えなかったものが、暗闇で輝き出したりして

やがて暗闇にも目が慣れて、暗闇なりの暮らし方がわかってきて

楽しみ方も見出だして、こんな生活も悪くないと思ってた



でももう日が差して、朝がくる

眩しすぎる平凡な日常に戻らなくちゃいけない

目を背けたくても、今度は見なきゃいけない

それが現実だから



夢ではない

僕がこれまで暗闇で見てきたものは、決して夢なんかじゃない

これも現実だった

ここでのたくさんの出会いを胸に刻んで

確かにこの目で見た暗闇の中の輝きを

せめてそれを忘れないで生きていこうと思う

あとはやっぱり

悲観的でも楽観的でもなく、

客観的に、いかに合理的に、有意義に生きるかだと思ってる

また再発することを恐れて、いつ死んでもいいように、体を労らずに生きるでもなく

再発しないものだと思い込んで、明るい将来を思い描きながら生きるでもなく

基本的にはアフラックのCMみたいに

ぼくには~
夢がある~
希望がある~
そして~
持病がある~

って感じでね

今を生きるにせよ、将来を考えるにせよ、

この持病と常に向き合っていかなきゃと思う

それが自分の運命だから


といった感じでね、前の治療で復活した時とは

全然違う心持ちになっててね、これも成長というのかな

後悔しないように生きるってのは変えないけどね

ただ後悔しない道がない時もあって

そんな時はやっぱり自分の決断力にすべてを委ねて

むしろあとで笑うために努力することも大事だと思う





入院して良かったと思えるような出会いが

ここにもたくさんあったように

病気になって良かったと思えるような出会いや経験が

今後も待っているはずなんだ

それを大事にして生きていこう

以上

すごく長くてつまらない日記になっちゃいました

これは記録として、決意として、ね。