シコツコって10回言ってみて。 | ゼッタイマカーイ

ゼッタイマカーイ

僕の日常、皆の非日常。


くぅ

24時間テレビのドラマ見てしまったんだけど

結構リアル。すぎて見てらんなかった。

んー

入院してた時も散歩とかしてると点滴カラカラ転がしてる小さい子とか見て

負けてらんねぇなぁって何度思わされたことかね

彼らは本当に最強の人類かと

今も想像を絶する闘いをしてる人はいるんだよね

負けてられぬ

それにしても24時間テレビ

テーマが「ありがとう」だか知らないけど

ありがとうを濫用すぎではないか?

アナウンサ「スタジオの徳光さーん!○○さんが只今到着しましたー!」

○○「どうもー。ありがとうございまーす。」

で、CMに入るみたいな

他にもAKBのかるーいありがとうとか

もはや何に対するありがとうなんだか


尊い言葉であってほしいな。

だからこそ人は、それを言うために照れて体がクネクネしたり

それが言えなくて、信じられないほど後悔したりしてるわけで

それを気軽に言えるのだから尊いことなのかもしれないけど

合言葉みたいに使うのはやめれ!って感じ

そりゃ難病の方とかの言葉は重みがあるし響くもんがあったけど


まぁ毎年恒例な感じで良かったと思います




昨日は柴又をはじめ葛飾区へ散歩

世に言う里帰りってやつ

なんでそんなに散歩するの?

って言われて答えに詰まったことがあったんだけど

今ならすんなり答えが出る

色々と制限はかかるわ、友達とも自由に遊べないわ、バイトもできないわ、

その状況下で、有り余る時間と向き合った時に

いかに一人で楽しく過ごすかって考えて色々試した結果、

散歩という画期的な一人アソビにたどり着いたわけで

もともと旅好きというのもあるし

行ったことのないところに行くのは刺激を受けるし

せっかく東京に住んでるからには満喫したいと思ったし

ラーメン屋とかカフェとかで美味いもん食いたいし

とか考えながら色んなとこ行ってたら

はまっちゃったよね

東京なんて目的地は無限にあるから本当に飽きない

さらに最近はデジイチという武器も加わったし!

「要は暇なんだね。」なんてまとめられたりするのがオチだけど

一回そうゆう状況になってみな?って話

引きこもるか散歩するかがインドアとアウトドアの分かれ道

あとはやっぱり

高校入学と同時にチャキチャキ都会の中野から

プリズンでお馴染みの葛飾区小菅村に左遷されたのでね

その劣等感から二子玉川やら自由が丘やらの人気タウンでも散歩してやろうじゃないかと

都会の飯田橋に引っ越した今では、

葛飾とかの下町っぽさにはキュンキュンしちゃうんだけどね


いやーでも、いざ里帰りしてみると…、

新しい官舎もできて、あの小菅村が凄まじく変わってしまっていて、

住んでた街があれだけ変わるとさすがにショックでした

だけど荒川の夕日はあの頃のままで。

「おかえり」と言われているようでした



帰ってからチチに撮った写真を見せるのがルーティーン

少し酔っ払ったチチのカメラに対する熱弁を聴いて

かなり幸せに感じる

しばらくはお見舞いに来る疲れた仕事帰りの父としか話してなかったからね

ハタチになってこの感覚に気付けて良かったなって


他にも御茶ノ水界隈とか東京タワーとか行ってみた

そこはちょっと前までは病室の窓からの景色でしかなかったわけで

自分もあの豆粒みたいな人になったんだなーって

日常っていう景色の構成員になったんだなーって

思ったのかどうかは知らないけど(多分後付け)

なんとも不思議な気分になってまうよね

というか、視点がまず15フロアダウンしてるから

面白いほどに見え方も違うからね

うーん不思議

日常という絵本の中に入ったみたい。

むしろ入院生活がおとぎ話と化してるのかも。

とか言えばポエマーになれるかもしれないけど

それはそれでトリハダもんだ



つーわけで

どどーんとひま

こりゃ参った

ひますぎるから、チャリを跨いで外に出てはみるけど

僅か10分で後悔してすぐに引き返す始末

お家では旅行の計画をこれでもかというほどに練り練り

それだけで楽しいのだから仕方ない


そんな毎日

colorful観に行きたい。

三茶のかき氷屋さんでかき氷食べたい。

誰か一緒にいってくれる人募集!ってね

募集するくらいなら俄然一人で行く派。

募集する人っていろんな意味でメンタル強いと思う

決して尊敬はしないけど。

それとは別に、この期間を利用して色んな人に会ってみたいや

フラれるの覚悟で色んな人誘ってみようかなっ

とりあえずヒマヒマ嘆く前にすべきことをやれって話だ

うし!

ほんじゃ