空海を知る15 空海「沙弥」になり大日経と出会う
沙弥{無空」となる
四国から奈良に帰った真魚は、神秘体験と深層心理を仏教の教義で考えたいと思い、大安寺の勤操(ごんぞう)に相談しました。
真魚の才能を見抜いており、もっと最先端のお経を学ぶには、僧侶の資格が必要だと、出家して、正式な仏教僧になることを勧めます。
真魚は和泉の槇尾山寺で勤操に従って剃髪受戒し、大安寺所属の沙弥「無空」になりました。
真魚の才能を見抜いており、もっと最先端のお経を学ぶには、僧侶の資格が必要だと、出家して、正式な仏教僧になることを勧めます。
真魚は和泉の槇尾山寺で勤操に従って剃髪受戒し、大安寺所属の沙弥「無空」になりました。
大日経との出会い
無空の宿泊している佐伯院から徒歩一時間のところに、西大寺がありました。
ここには、空海より前に日本に入っていた雑密と呼ばれる密教の経典がたくさんありました。その中に大日経があったのです。
華厳経の理解に没頭していた無空は、華厳経をさらに発展させた秘経があると聞きます。
西大寺を訪ねた無空は、見たことのない密教仏や大日経に出会って驚きました。
さらに、大日経が、まだ日本では価値が分からず、理解できている人もいなかいことを知り、書写させてもらいます。
その内容は驚くべきもので、華厳の教えでは、永遠に菩薩行を積まなければ「法界」までいけず、具体的な成就法も書かれていませんが、大日経には、即時に大日如来と一体になる観想法が説かれていました。
空海はこの実習部分を教えてくれる師を探しましたが見つからず、独自に進めていきます。
そして、当たった壁が梵字でした。それまでも、インド言語(サンスクリット)の音のまま唱えることになっている経典の一部を経験していましたが、これが体系だった言語であるということに無空は気づいたのです。
言語の天才であった無空は、インド人が梵字を「神通力を有する文字」として、一字一字や単語自体、詩形の短文そのものに「超自然的な力を持つものとした霊的言語感覚を察知して、大日経をすさまじい速さで理解します。
唐に留学するまでに、空海は日本で一番「生きたサンスクリット語」に通じた僧になっていました。唐で猛勉強して2年でサンスクリット語を身に着けたと言われていますが、日本にいるときから、相当な努力をして学んでいたのです。
命がけで、唐にわたり、大日経を伝法してもらうこと、インド僧にサンスクリット語を学ぶこと。
無空は、遣唐使船に乗ることを切望し、叔父や師僧に相談しました。
船が出るまでに、準備が間に合うか。
無空を留学僧にするため、あわただしい準備が始まります。
ここには、空海より前に日本に入っていた雑密と呼ばれる密教の経典がたくさんありました。その中に大日経があったのです。
華厳経の理解に没頭していた無空は、華厳経をさらに発展させた秘経があると聞きます。
西大寺を訪ねた無空は、見たことのない密教仏や大日経に出会って驚きました。
さらに、大日経が、まだ日本では価値が分からず、理解できている人もいなかいことを知り、書写させてもらいます。
その内容は驚くべきもので、華厳の教えでは、永遠に菩薩行を積まなければ「法界」までいけず、具体的な成就法も書かれていませんが、大日経には、即時に大日如来と一体になる観想法が説かれていました。
空海はこの実習部分を教えてくれる師を探しましたが見つからず、独自に進めていきます。
そして、当たった壁が梵字でした。それまでも、インド言語(サンスクリット)の音のまま唱えることになっている経典の一部を経験していましたが、これが体系だった言語であるということに無空は気づいたのです。
言語の天才であった無空は、インド人が梵字を「神通力を有する文字」として、一字一字や単語自体、詩形の短文そのものに「超自然的な力を持つものとした霊的言語感覚を察知して、大日経をすさまじい速さで理解します。
唐に留学するまでに、空海は日本で一番「生きたサンスクリット語」に通じた僧になっていました。唐で猛勉強して2年でサンスクリット語を身に着けたと言われていますが、日本にいるときから、相当な努力をして学んでいたのです。
命がけで、唐にわたり、大日経を伝法してもらうこと、インド僧にサンスクリット語を学ぶこと。
無空は、遣唐使船に乗ることを切望し、叔父や師僧に相談しました。
船が出るまでに、準備が間に合うか。
無空を留学僧にするため、あわただしい準備が始まります。