きょうの太陽から 2014年1月4日 | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
山羊座13度「火の崇拝者が存在の究極のリアリティについて瞑想する」

このシンボルのキーノート(基調)は
「生死のプロセスの相互作用を超えた根本原理の主観的探求」

きょうはどんな日?
自身の内面に極度に集中することを通じて、特権性や貴族性を排した、解剖的でも分析的でもない具体的な知性の活用をかんがえておきたいときです。

知識の探究に並ならぬ意欲が発揮され、特権的ではありながらも獲得した知識の利用に有効な自身の方向づけが見込めるときというのがきのうでした。限られた人間が対象で高度に専門的だというように一定の制限つきではあるけれど該博な知識の獲得と知的好奇心の満足に向かう。エリートの富や文化に随行し誇示することとは対比的に実践的な知識の探究に向かっていくという具合でしたが、自分の関心事は追求できたでしょうか。きょうはよりいっそう具体性を帯びた知性を志向することになります。

英才教育的に伸ばされたエリート然とした個性と、特権的ではあるが高度に専門的な知性。きょうはこの両者が統合されることになります。想像するに非常に鼻持ちならない選民意識に貫かれた知性が成熟へと向かうことになりますが、その傾向は少なからずあり否定できません。しかし文化的な喜びや楽しみを覚えることと、それを通じてしばしば使いものにならない感覚のデータの蓄積を追い求めようとする情熱とを超えてこそ、知識というものは意志の力あふれる決然たるものへと、言わば〈意識の冒険〉へと連なり得るのです。シンボルに描かれているのはかなり秘教的な光景ですが、火の神秘は古来より人間の想像力をとらえて離さないものです。なぜならそれは「死の謎に包まれたあらゆる変容の神秘(ルディア)」だからです。神学上あるいは思想史上の火地風水の四大元素を現代の自然科学における意味でとらえ直すと、それは今日的には〈元素〉ではなく物質の〈状態〉なのであると説明することができます。すなわち地は固体、風は気体、水は液体に対応します。火はこの三態とは異なって物質がなんらかの化学反応を起こしている〈その最中の状態〉なのです。燃焼とは物質が急激に酸素と結びつき光と熱とを生み出す現象のことですが、四大元素の火とは物質の酸化のプロセス、つまり極端な変容のプロセスを象徴しているものなのだと理解してください。一方で物質の燃焼後に残る灰とは完全燃焼によって気化することなくとどまった無機質であり、死および再生のイメージとして宗教上や芸術上の題材として馴染み深いものです。火を崇拝するということは変容を志向し希求するということです。「伝統とは炎を次に伝えるということであり灰を崇拝することではない」とグスタフ・マーラーは述べたとされていますが、変容の絶えざる連続こそが伝統なのです。変容を志向する精神が地に足の着いた思考を求めるとき、それは連綿と続き得る知の水脈となって私たちの風土にあまねく行き渡ることになります。特権性や貴族性からの脱却が求められることは言うまでもないでしょう。瞑想という行為が象徴しているのは個人の内面の自由と尊厳の担保ですが、そうして得られたものに開放性が認められてこそ知は有効に使われるのです。そしてそうすることこそが理念や理想の、「あり得べき姿」の具体化へとつながるのです。個人の能力を首尾一貫して過大評価する傾向が見られるときでもあります。見極める目は正しくもちましょう。