2014年11月7日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
蠍15度「五つの砂山のまわりで遊ぶ子どもたち」
キーノート「人間の進化の高次のレベルに同調させる精神の探求の開発の初期段階」

社会意識の単純な極みにおける完全なる自己の無欠性の、あるいはあらゆる起こり得る偶発性に対応するその初期的な力量における人間の精神のシンボルである。他人と接触するうえでの手段としての心理的な能力の、また人が自分を見い出し得るいかなる状況における体験にも対し得る無限の能力の、劇化がここにはある。個人は自分の存在をとり巻く環境のなかで生じるいかなるものにもとり組むことができ、また価値があるとわかったいかなるものにも自分を捧げるよう決意できるのである。

キーワード:NAÏVETÉ(素朴、純朴、未熟、純真、無邪気)
ポジ:自分自身の新たな有効な様相を絶え間なく発見する天賦の才
ネガ:まったくの無目的な愚かさ

[月]
牡牛15度「頭に粋なシルクハットをかぶり、防寒のためマフラーを巻いて、男が嵐に勇敢に立ち向かう」
キーノート「社会的な野心によって促進させられた危機に直面する際に必要とされる勇気」

自意識の単純な極みにおける完全なる自己の無欠性の、あるいはあらゆる起こり得る制約もしくは困惑困難全体にわたっての生来的な優位性における人間の精神のシンボルである。自己のたしかな劇化が、あるいは人生において担うべき役割についての絶え間なく有効な自覚が、ここにはある。個人は体験のなかで生じるいかなるものも喜んで活用するが、そのどんなにわずかな部分からの口述も受容を拒絶するのである。

キーワード:SOPHISTICATION(洗練、精巧、詭弁)
ポジ:自身に潜在するより大きな力の不断の再発見から生じる最高の落ち着き
ネガ:あらゆるより深い衝動への顕著な無感覚および皮相的な利己心への完全な降伏

完全なる自己の無欠性――それが社会的な相において見られるか、自意識において見られるかの違いが、二つのシンボルの冒頭で対比的に記されている。自分が完全であるということ、すなわち誠実で高潔な品位を保有しているということが、社会的な認知を受けているという状態。それと自身の内的な確信として得られているという状態。この二つの対比が示されているわけだ。

太陽のほう、蠍15度で描かれているのは、そうした無欠性を自己資本として、それを認めてくれている社会のなかで存分にコミュニケーション能力を発揮している様子である。それはさながら砂山をほしいままにして遊ぶ子どもたちのようだ、というのがこの詩文の適切な解釈と言える。〈五〉という数字は完全性を表すものであり、つまり五つの砂山は自己の無欠性の象徴である。またルディアは〈五〉は最も創造的で洞察力に富んだ人間の精神を象徴するものと説明しており、遊戯的なコミュニケーションが示唆多い創造的な自己発見につながる可能性を示しているのだと読むことができるだろう。

かたや月のほう、牡牛15度で描かれているのは、幾分自己完結的で悲壮感さえ感じられなくもない男の姿だ。男は自分の信念にもとづいて直面しなければならない危機に臨んでいる。自分の内面にあるものが確固不抜であればあるだけ、その分風当たりは強くなるのかもしれない。しかしそのような状況であってもけっして自身の美しさを損ねるような振る舞いはしないという矜持が、その佇まいから漂っている。蠍15度の無邪気さとは相反した、誇り高く洗練された美学が、内的な確信からもたらされている。

先月の満月では自分の心の安定の追求がテーマだったが、今回はそうして得られた自分の心のありようを、どれだけ美しく力として示すことができるかということがテーマになってくると言えるだろう。表向きはそつなくソフトに見え、実際そのように行動できるであろうが、内なる信念が問われる局面に立たされる可能性があるということを念頭に置くとよい。慌てない。うろたえない。大切なことは胸のうちにしまって口にしないくらいがちょうどよい。かっこよく決めることをめざす半月にしてみていただきたい。