2015年1月5日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
山羊15度「病院のなか、小児病棟がおもちゃでいっぱいになっている」
キーノート「新しい世代の福祉と全体の健康を保証する社会の責任」

それ自体のいかなる通常の表明においても不可避の生の豊かさのシンボルであり、ここでは社会的および理念的な側面におけるじゅうぶんな報いのなかに重点が置かれている。全人類には明確な理由もなしに訪れる肉体的心理的な限界があり、またそれらはしばしば天罰の戯作のように見えるが、つねにより深い交際へのいまだ実現されていない機会でもあるのである。経験とは、その終局という意味においてよりはむしろその実りにおいて本物である。

キーワード:ABUNDANCE(豊富、富裕、多量)
ポジ:状況のあらゆる一過性の不意の出来事にもかかわらず自身および仲間の真の潜在力を開発する人間の能力
ネガ:偽善的な同情および自己過保護

[月]
蟹15度「豪華なダイニングホールで来客たちが大宴会の会食後にくつろいでいる」
キーノート「充足の概念の実体化に向けての、人間の成長の初期段階に存在する必要性」

それ自体のいかなる通常の表明においても不可避の生の豊かさのシンボルであり、ここでは自身の努力の結実として人にやってくる報いの側面に重点が置かれている。将来への保証として現在を凍結させようと試みるときに、あるいは他方において不適切さの帰結への賠償として自身の内面に一方向に過剰に耽溺しようとするときにはいつでも処罰が存在するが、満ち足りた個性というものはそれ自身の潜在性が浪費されることのない循環的で首尾一貫した確信を有している。

キーワード:SATIETY(満腹、満喫、飽満)
ポジ:人的適性の効果的でスムーズな示威
ネガ:食欲への自己崩壊的な降伏

両者の冒頭は完全一致。蟹15度のほうでは「自身の努力の結実として人にやってくる報いの側面」に、山羊15度では「社会的および理念的な側面におけるじゅうぶんな報いのなか」に重点が置かれていて、後者はより広範なものとなっている。いずれにしても(いつもながらのジョーンズ固有のまわりくどさを極端に排して言うなれば)なにがあっても豊かな生を享受できるという福々しさに満ちたシンボルである。

各々の背景にあるものを見ていく。山羊14度は「御影石に刻まれた古代の浅浮き彫りが、長いあいだ忘れられていた文化の生き証人として残り続けている」キーノートは「どんな文化とも同じようにわれわれの文化において、不変の価値をもつものを発掘し不必要なものを手放そうとする意志」こうして見出され必要であると見なされた価値あるものを享受しているのが山羊15度であるということ。小児病棟にあふれているおもちゃはこうした価値の具現化である。蟹14度は「北東の広大な暗黒の虚空を向いている高齢の男」キーノートは「超越的で不変の知恵に満足すること」こうして自分のなかに確信として得られた知識の豊かさを享受しているのが蟹15度であるということ。来客たちが平らげた料理の数々は自身の内省と思索の結実であり、卑俗な言い方をすれば“自分へのご褒美”である。

太陽のほう、山羊15度の象意は、キーノートにも示されているとおり、14度で見出された文化の所産の価値を福祉へと有効利用するという社会的責任である。勢い余って過干渉なパターナリズム的介入ともなりがちであるが、肯定的な発現が見られる場合には非常に有意義な潜在力開発にもつながり得るだろう。月のほう、蟹15度の象意は、ここでいったん充足を受けとりそれを通じて自身の今後の成長へつなげることである。物質的な充足はあくまでも一時的で過渡的なもの、そして表面的皮相的なものでもある。それをこの先、実質あるものへと変えていくということこそが、この度数の真の象意であると言える。

社会的な建前としてでも公共の福祉について意識しなければならなかったり具体的に責任を果たすことが求められることになる可能性がある一方で、個人的な満足に浸っていたいという欲望のくすぶりが疼いて仕方ない時期でもあると言えるだろう。引き裂かれながら煩悶しつつも上手に折りあいをつけていただきたい。願わくば〈お役目〉をしっかりと果たしたうえでご褒美を受けとり、今後の成長へとつなげるような発展をめざす半月にしてみていただきたい。蛇足ながら仕事はじめの折、暴飲暴食にはご注意を。