2015年2月4日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
水瓶15度「垣根にとまって幸せそうに歌っている二羽のボタンインコ」
キーノート「スピリチュアルに満たされた〈魂〉の意識によって個人の達成に授けられた祝福」

単純な自己実現の結実を誇示することの自然の歓喜のシンボルであり、人間の性格における共有の豊かさあるいは優しさの自然な成就として最も効果的に劇化されている。いかなる内面的なもしくは心理的な完全性においても高度なマジックがあって、それによって結果として世界全体は恋人たちに微笑み、また平均的な個人はたいてい生の実際的な見返りよりもロマンチックな事柄のほうへといっそう関心をもつことになるのである。人は自分自身がつくり上げたリアリティのなかで仲間と抱き合うことで自分の真の運命を達成する。

キーワード:AFFIRMATION(断言、肯定、確約、賛成)
ポジ:絶対的な忠義と完全な協力とを獲得する自己一貫性
ネガ:無分別な嫉妬

[月]
獅子15度「華やかな山車を連ねたページェントが喝采する人々で賑わう通りを行進する」
キーノート「人間の根源的で本能的な本質の、無意識の大望を劇化する形をもったエネルギーの、多少なりとも煽情的な解放」

達成の結実を誇示することの人間の普遍の歓喜の、また共通の仕事や協同的な業績のなかでまさしく人間のプライドを通じて日常の世界において劇化された素朴さのシンボルである。ほとんどの人々がちょっとした端役で関わることさえまずないようなものごとすべての公然陳列において高度なマジックがあって、その外側はそれを通じて全体が隅から隅まで優れているということが明らかになるような仲間意識の感覚になり、不明瞭な理念は一つ残らずすべてどうしたものか幾分高揚する。

キーワード:DEMONSTRATION(示威行動、デモ、実演、表明、論証、立証)
ポジ:体験の全体の相を横断する自己の重要性の抗い難い高まり
ネガ:説得力のない主張および気恥ずかしくきまりのわるい人を当惑させるような自己主張

両者に共通しているのは歓喜のシンボルであるという点。達成、自己実現、どのように言ってもよいのだろうとおもうが、実りある成果を上げることについての喜びに満たされた度数である。その主体が、獅子15度では人間であるのに対して、水瓶15度では自然へと変わっていっている。より非人称的・非人格的なものへと喜びの質が変化していることが示唆されていると言える。

獅子15度で強調されているのは人間の組織的な協同である。直前の獅子14度「外への声明のために機会を模索している人間の魂」では強い自己実現への切望が示されていたが、それを経て15度ではさらに社会参画などを通じて個の尊厳が公的に満たされる様子が描かれているのだと言える。また一方水瓶15度で示されているのは、キーノートにもあるように個人への祝福であるが、その主体は個人ではなく社会や世界や、またひいては自然なのだということ。喜びを受けとる側と与える側、描かれている中心がそれぞれ異なっているように読みとれる。水瓶14度「トンネルに入る列車」は目的達成のために最適な道をとる行動が示されていたが、それを経た15度ではその目的達成に対しての祝福が描かれているわけである。

今回の満月は、太陽のほうが水瓶15度であるということから、社会や世界、自然からの個人への祝福が、公的な色合いを強く帯びた承認を意味するような質のものになっていると言えるだろう。やってきた行いについて、あるいは“ありのまま”の姿に対して「それでいいのだ」という肯定の光を、社会や世界や自然が投げかける――その光によって個人は存分に照らされ歓喜する、人とのつながりをしっかりと感じとりながら、という構図が、この満月の示すところだ。実りの満月としてじゅうぶんすぎるほどの豊かさに満たされた状態であると言うことができるが、今回の満月はそれだけに留まるほど単純ではないようだ。

今回の満月は太陽-月のオポジションに加えて、火星と冥王星とが月にヨド・太陽にセミヨドを形成しているという複合アスペクト――いわゆるブーメランをなしているところが特徴的だ。魚火星と山羊冥王星との二重インコンジャンクトに縛られた月は、単に祝福を受けると言うにはあまりにいじめられているが、その分太陽によって〈救われて〉いるのだと言える。傷つけられた〈私〉の傷を修復する、あえてより言うならば〈報復〉することに、太陽の光が公的なお墨付きを与える。こんなふうになったのは世の中がわるい社会がわるい政治がわるいと祭り上がり、ページェントで練り歩いてもよいのだと大義が与えられる。そんな満月になりがちだと言えるだろう。折しも緊迫した世相のなか、盛り上がる格好の口実ができたところではあるが、その主張に本当に説得力はあるのかどうか、見ているほうが恥ずかしくなるようなひとりよがりな自己主張ではないのかどうか、じゅうぶんに省みる冷静さをもちたいところでもある。満月の実りを享受するなか、それを次にどう活かしていくかをかんがえる半月にしていただきたい。