2015年3月6日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
魚15度「実包の破裂弾の集中砲火が繰り広げられる軍事演習の前に、部下に指示する士官」
キーノート「力が使用され喚起される、複雑で本質的に危険な社会的儀式の前の、リハーサルの徹底の必要」

そのなかにあって自身を見失い得るような忠義というヒエラルキーへの人間の自己欺瞞的な欲望のシンボルであり、日常の皮相的な生およびその帰結についての全責任の放棄という側面に明白に認められる。シンボリズムにおける含意はそこから即時的な当面の解放がないような状況を最大限に活用する挑戦であるが、それはより永続的な重要性をもつなんらかの現実に参画する決意をもってしてやるしかないことである。生活とは個々人がそれを刺激的なものにしようと動機づける決定をする限りにおいて生き生きとするのである。

キーワード:PRECISENESS(正確さ、厳密さ、几帳面さ)
ポジ:共通の目的に真正の能率と本物の冒険をもたらす天賦の才
ネガ:退屈でなにものをも鼓舞せず刺激を与えることのない苦役

[月]
乙女15度「勇敢な祖先からの家宝の立派なレースのハンカチ」
キーノート「よく成し遂げられた行為の見本」

自身より高度もしくは高純度ですぐれたリアリティに対する忠義への人間の自己活発的な欲望のシンボルであり、美学的な本能の側面に明白に認められる。騎士というものは理論的には少なくとも騎士道精神の護符として自分が仕える貴婦人の一枚のレースがなければ騎士道の名簿に登録され得なかったのであり、またあらゆる健常な人間は自分のよりよい衝動を継続的に喚起してくれるなにかがなければ幾分の喪失感を覚えるものである。目的とはそれゆえに意味を保全し完璧な行動を助くるものとして価値あるものなのである。

キーノート:GRACEFULNESS(優雅さ、上品)
ポジ:個人的なマナーの効果的な洗練および例外的な魅力を通じての高度な達成
ネガ:意味ありげでご機嫌とりの当てつけがましい自己虚偽および些末なことへの大袈裟な関心

両者の冒頭に共通しているのは「欲望のシンボル」であるという点。またいずれにも「忠義」が大きく関わっている。魚15度ではそれは階級社会におけるものを意味し、そのなかではみずからを見失ってしまうようなものとして示されているが、乙女15度での忠義は高度に構築され洗練された文化の体系の称揚に捧げられるものとして積極的好意的に示されている。

太陽のほう、魚15度では、退路がなく逃げることが一切許されないような状況のなかでそれをいかに有効利用し打開するかといういわば決死の覚悟に基づいた試みが描かれているが、ルディアはこれをゾディアックの終盤、魚というサインの半ばに差しかかっての、不可避の根深い闘争なのだと記している。それは満たされなかった過去、生きられることのなかった生という亡霊に対する闘争であり、回避され続け蓄積されてきたカルマに直面することなのだとも書かれているが、つまりはやり残したことのツケがまわってきているという状態だ。そこで認識するのが「リハーサルの徹底の必要」であるとはずいぶんと泥縄的な感がなくもないが、いずれにせよやらなければならないことに向き合う必要に迫られるのはまず間違いないだろう。

月のほう、乙女15度で描かれているのは、みずからの手中に当然のようにあるものの源流はいったいどこにあるのか、それを認識することである。直前の乙女14度「貴族的な家系図」は自身の出自を確認し、力の源泉が祖先につながっていることを自覚する度数であったが、この乙女15度ではそうして祖先から伝承されたものそれ自体さえもがそれをとり巻く文化の所産の賜物であることを理解するという展開になっている。より〈大きなもの〉へと自分自身が連なっていることを実感し、またその“大きな物語の体系”のなかに自分が生きていることを好もしく喜ばしくそして誇りにさえおもう様子が描かれている。自己充足的ではあるが、ジョーンズが本文で記しているとおり、そのような価値体系への自己同一化が刺激を与えてくれるものでもあるわけである。魚15度ではみずから刺激的なものにしようと動機づける必要が示されているのだが。

今回の満月、公的には上述のとおり、やらなければならないことに向き合う必要に迫られる可能性が示唆されているが、また同時に私的な満足を得ようとすれば非常に簡単にそれが手に入ることも示されている。易きにつくのであれば権威にすがるよう求めて走ればよい。しかしそこでただ単に自己満足に安穏としていては、山積した問題は手つかずのままである。自分の私的内面的な心持ちをよりよくし高めるものとしてなんらかの権威を求め、その末席に自分がいることを確認して悦に入ったとしても、やらなければならないことをだれかがやってくれるわけではない。内的な誇りを大切にしながらも、重要な問題の解決に全力でとり組む半月にしていただきたい。