2015年4月4日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
牡羊15度「儀式用の毛布を織るインディアン」
キーノート「総体性の実現と自己実現の充足感とを日常生活のなかに投影すること」

自己表現のごく単純な卓越を通じての個人的な充足のシンボルであり、またそれは真の冷静さにあって望まれたあらゆるものごとを中心に据えるための手段として、存在の基本的な技能を与える。人がそのなかで自分自身を発見するような文化から構成されるなんらかの技法あるいは価値観を保全または増強するための個人の天賦の才を通じて、自我というものは安定化される。永続的な自己の欲求の満足の手段として、生涯の仕事は人的必要性を満たすようになるのである。

キーワード:DILIGENCE(勤勉、不断の努力、熱心さ、骨折り)
ポジ:固有の特質の関心における自身の個々の適切な行動を静かに秘めやかに貫徹すること
ネガ:日常の退屈なルーティーンを束の間の安全の類として受容すること

[月]
天秤15度「環状の小道」
キーノート「社会活動の一定のリズムを確立する必然性と折り合いをつけること」

体験への参加を徹底させることを通じての主観的な充足のシンボルであり、中心で自分自身に忠実であり続けるためのあらゆる個人の天賦の才によって、ここでは劇化されている。人それぞれの人生の出来事には果てしない繰り返しがあるものだが、意識は絶えず軌道を保持し続け、理解は依然として変わらないままであるはずだ。人間と世界とはある危機的な点においては互いに完全に不和であるかのように見えるが、万事はすべて不可避的に落ち着くべきところに落ち着くものである。

キーワード:CONGRUITY(適合、一致、調和、合同)
ポジ:順応ないしは実践的な再方向づけにおける幾分並外れた腕前
ネガ:堂々巡りの思考傾向や非論理一貫性にあってまったく見通しを誤る傾向

両者の冒頭に共通しているのは「充足のシンボル」であるという点。「個人的」と「主観的」とではずいぶんと意味あいが似かよっているようだが、反意語をかんがえてみれば、前者牡羊15度では集団や全体に対しての個人の充足について述べており、後者天秤15度では認知や認識の問題として客観的ではなく主観的な充足を意味しているのだということが理解できるだろう。前者がいわゆる自己満足であるのに対し、後者ではソーシャルな認識を前提としながらあくまでも自分の視点からとらえた満足度合いを問題としている、というわけだ。

太陽のほう、牡羊15度で描かれているのは、そのような自己満足を日常生活のなかで展開することが一種の自己実現ともなり、また自分という存在の安定化にもつながる様子である。いくらか好意的にとらえ、また主客転倒した言い方をすれば、ライフワークというものはすなわち絶えざる自己満足を繰り返すことなのだと読むこともできるだろう。〈ゾディアックの人間成長の物語〉全360話の第15話が終わったところに相当するわけであるが、ここでいったん自己実現が達成されて充足にいたっているのだと、長いスパンで見ればとらえることもできる。牡羊13度「不発弾が失敗に終わった社会的抗議を明らかにする」では先行する2つの度数、11度12度との衝突が示された。それはすなわち、政治権力による社会の統治と、個人の内的倫理による自律との確執である。そして14度「男と女のそばでとぐろを巻く蛇」ではその両者の融和が示された。二極的な関係が一へと融合することを、とぐろを巻いた蛇が象徴していた。これらを踏まえての「充足」がこの15度である。

月のほう、天秤15度で描かれているのは、リズミックな規則性が社会活動を営むうえではどうしても求められるのだということを理解する必要性である。とぐろを巻いた蛇は牡羊15度では人間の心に内面化され、自己完結的に自己充足にいたった、それが織物・毛布へとかたちを変えたのだと見ることができるが、ここで「とぐろ」は環状の小道へとまた変態を遂げたとかんがえられる。牡羊15度で内面化されていた二極的な関係のエネルギーは、天秤15度では、環になった道を歩く周期的な運動のエネルギーへと転換されたのだということだ。それはとりも直さず社会的な活動への参画を意味し、そこではなによりも反復的な規則性が求められる、というわけである。

今回の満月は、太陽のほうが個人的な充足を示し、月のほうがよりソーシャルな視点をもっている点がなんとも複雑であるが、ともあれ規則正しい生活を心がけるように気構えを新たにしておきたいところだ。それが自分の内面の安定化にもつながるのだというわけである。ただ、それはその場しのぎのために型に嵌まったことをやるようなものであってはならない点にご注意を。自分をよく見つめ、自分から湧き出てくるものを、自分ならではのやり方でゆっくりとかたちにする――静かに、秘めやかに、織物を織り上げるように、たとえ自己満足であるとしても、またそして少しは世の中に目配せもしながら。そのような半月としていただきたい。