出雲国並河氏 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

丹波国亀岡の豪族並河氏は並河城主で並河因幡守宗隆は守護代内藤忠行に仕えていたという。
また織田信長の勢力に属し、明智光秀に組みしていたともされています。

出雲並河氏については中国路において秀吉と対峙していた毛利勢の背後を牽制するよう、明智光秀に命令がくだり、先遣隊として出雲へ向かったが、やがて本能寺の変により丹波国に帰れなくなり、そのまま土着したといいます。現在の山陰酸素工業並河社長はこの子孫とされ、以後安来に移り醤油、酒の醸造また金融などの商いで繁栄をなしている。現在安来市の並河家は重要有形文化財に指定されています。

さて島根県雲南市加茂町にある宇能遅神社棟札には天文二十一年(1552)地頭並河口衛門宗信(口部分は判読不能)とあり、出雲国はまだ尼子晴久の時代です。言い伝える織田、毛利が対峙した頃にも並河一族が来ていたのかもしれませんが、それ以前にも棟札にあるように並河氏が地頭であったようです。加茂神社や宇治の地名があるので京都と並河氏の繋がりがあるかもしれません。

また何か見つけたら記事にします