おめでとう。2月20日若狭のすべての原発がとまる
2012年02月20日 舞田宗孝
2月20日夜若狭の15基ある原発のすべてがとまる。
おめでとう。よかったね。
1970年以来実に42年ぶりに若狭のすべての原発がとまる。
全国では原発は55基中53基がとまったことになる。
夢のようだが、本当にとまる。
電車が止まったという声も聞かない。
病院で緊急事態が起きたとのニュースも聞かない。
大雪の中でエアコンが使えないとの声も聞かない。
若狭でも、日本のどこでも停電は起きていない。
昔の原始的生活に戻ることなく、原発は静かに眠る。
多くの人や企業が節電に励んだ。その甲斐もあって
不自由な生活に戻ることもなく原発はとまる。
4月には日本のすべての原発がとまる。
すべての原発がとまったそのとき
2012年を脱原発元年と呼ぼう。
世界に向けて、日本は原発をすべて止めたと伝えよう。
みんなで、祝脱原発元年を。
そして、再び原発の運転を行わせないために力を合わせよう。
福島第一原発を止め、破壊したのは3月11日の地震と津波だけれど、
その後の原発の運転再開をさせなかったのは人々の深い悲しみと怒りだ。
福島で被曝し、今も被曝しつづける人々の深い悲しみがとめた。
ヒロシマ、ナガサキで被曝し、焼き殺された人々の悲しみと怒りがとめた。
ネバダの核実験場で、ビキニ環礁で、ウラルの核施設の大爆発事故でそれとは知らずに
核兵器の犠牲となった人々の悲しみがとめた。
スリーマイルアイランドの原発事故の、チェルノブイリ原発事故の被爆者たちの悔しさが。
オーストラリア、カザフスタン、カナダ、南アフリカ、そして人形峠のウラン鉱山とその周辺で被曝した数多くの人々の悲しみが。
すでに、48万人にも上る日本の原発の被曝労働者、福島の事故で飛躍的に増えるに違いない被爆者の数。世界中ではどれほどになるのか想像もつかない被曝労働者の悔しさのこえがとめた。
アメリカはこうした被曝体験から核を拒絶し、すべての核を廃絶することを願う人々の思いを核アレルギーと呼んだ。アメリカは自ら行ったヒロシマ、ナガサキ、ビキニでの核による大量殺戮のおぞましさにおびえ、その見えざる力を核アレルギーとよび、恐れた。
その核アレルギー、すべての核をいのちへの脅威と感じる人々の強い拒絶が日本の原発を運転再開させない力となった。その力が日本のすべての原発を止める。
日本でのすべての原発がとまったその日から、オールタナテイブエナジーをはじめとする新しい社会を築く人々の共同の作業を始めよう。
希望の世紀への歩みを始めよう。
脱原発元年、2012年。